第21話 プロポーズスチルの場所で
「ここは……」
「何か、気になる物でもあったのか?」
暫く景色を楽しみながら二人で歩いていると、既視感に再び襲われた。
そこは、先程ジェットを繋いで昼食を取った木陰から、まだそう離れてはいない場所。
特に大きく景色が変わったわけでもなく、青い空と太陽が透き通った湖に反射しているという光景だった。
違うところと言えば、ハーブがメインだった事により緑色の多かった足下の植物が、白い花メインに変わっている事くらいだろうか。
同じ湖の周辺でも、育つ植物が少しずつ違うのは、そう珍しい訳ではないはずだけれど、何故か急に胸がざわついた。
(私は、この場所を知っている?)
きょろきょろと、他に何かこの不思議な感覚の原因となるはっきりとした物がないか見回してみるけれど、特に変わった様子はない。
町から外へ出たことのないマルガリータが、この場所へ来たことがあるはずもなく、日本で暮らして来た真奈美がこの場所を知っているはずもない。
(でも、確かにどこかで……)
マルガリータが首を傾げて曖昧な記憶を巡っていると、突然ディアンがマルガリータの髪にそっと触れて来て驚く。
「え? 何……です?」
「似合いそうだと思って」
いつの間に摘んだのか、足下に咲き誇っていた白く小さな花をいくつか手に持ったディアンは、割れ物にでも触るかのように繊細な手つきでマルガリータの髪を花で飾りながら、ふわりと笑う。
(あ! 思い出した!)
ぶわりと、真奈美のゲームプレイの記憶が、脳内を駆け抜ける。
(ゲームスチルで見た景色なんだわ)
そのスチルに映るのは、もちろん悪役令嬢だったマルガリータではなく、髪に白い花を散らして笑う少女と、それを愛おしそうに抱きしめる攻略対象の一人。
主人公であるヒロインと、メインヒーローである第二王子だったはずだ。
ここにヒロインが連れ来られるのは、親密度MAXの状態の終盤。
第二王子という立場なのに、ゲーム開始の時点で既に第一王位継承者になっている、その理由を聞かせて貰えるのだ。
本来であれば、第一王位継承者であるこの国の第一王子は、亡くなっている訳ではなく、今現在も生きている。
にも関わらず、第二王子がその立場にいる経緯を、王族ゆかりの地であるこの湖で教えて貰うイベントで、その流れのまま王妃になって自分を支えて欲しいと告げられる、言わばプロポーズイベントでもある。
王家のゆかりの地であるこの湖は、一般人が簡単に入れるような場所ではないはずだった。
なのに何故今、マルガリータとディアンはここに立っていて、しかもプロポーズスチルに限りなく近い状況に、なってしまっているのだろう。
ゲーム内では、この湖は神聖な場として王家が管理しているという扱いだったけれど、実際には誰でも気軽に訪れることの出来る場所なのだろうか。
もう既にゲームの時間は終わっているのだし、真奈美の覚えている事と実際では違う事も多い。
そう考えると、多少の差違はあってもおかしくなかった。
一般に開放されているとしたら、この場所はとても良いデートスポットのような気がするのに、余り人を寄せ付けない雰囲気というか、ほとんど足を踏み入れられていない土地特有の自然の匂いしかしないというか、そういうものに包まれた場所なので、どうにも判断が付かない。
湖畔に育つハーブの状態は、誰の手も入っていない物ばかりで、苗の仕入れだと言われれば疑い様もなく、むしろ仕入れるには良い物ばかりだ。
ディアンは気分転換に連れ来たのだと言っていたけれど、黒仮面の男の研究的にも、ここのハーブは役に立つに違いない。
どちらを本来の目的にするかの違いだけで、ついでにどれでもいいから苗を取ってくるようにと、黒仮面の男がディアンに行き先を指示していたのだとしたら、やはり平民が訪れる様な気軽な場所ではないような気もする。
避けられ続けている為に、黒仮面の男の身分がいまいちわからない。
けれど、ここが本当にゲームと同じ王族ゆかりの地だったりしてしまうのならば、王族とは言わないにしろ、黒仮面の男はかなり身分の高い人という事になってしまうのではないか。
(でも、そんな人がわざわざ自らの足で出向いて、町の最下層の奴隷売買に参加するはずがないのよね……)
マルガリータは今現在、あの屋敷で起こること全てが訳のわからない状態である。
あり得ない可能性でさえ、どこかあり得てしまう気もしてしまって、真実が見えてこない。
「マルガリータ、どうかした?」
「い、いいえ。それよりせっかく綺麗に咲いている花を、私なんかのために摘んでしまっては可哀想ですよ」
思考を飛ばしていたら、ディアンが不思議そうに覗き込んできたので、慌てて意識をこちら側に戻す。
「花は、女性を美しく飾るためにある物だろう?」
(何、そのさらっとぶっ込まれる気障な台詞! この世界って貴族だけじゃなくて、一介の庭師までこんな甘いことさらっと言えるの? さすが、土台が乙女ゲームだけあるわ……)
何を言っているのかと、当たり前のような顔で首を傾げるディアンに、マルガリータは思わず固まってしまう。
ゲーム内の台詞は、所詮乙女ゲームなのだからと、砂糖を吐くがごとき甘い言葉の数々も聞き流せていた。
けれど、ヒロインでも何でもないマルガリータにまで、当然のようにそれが向けられるとは思ってもみなくて、心の準備が追いつかない。
そう言えば使用人達も、やたら毎日マルガリータを褒めちぎってくれるのは、そういう常識だからなのだろうか。
(この世界って、こういうのがデフォルトなの? ちょっとどうして良いか、わからないんだけど!)
今まで恋人がいなかったマルガリータにとって異性と話す機会は多くなく、関わりのあったと言えるのは父親や兄だけだ。
幼い頃に、一人だけ身内ではない男の子との交流があったけれど、淡い思い出とともに記憶も薄れているので、参考にはならないだろう。
父と兄は、身内びいきの溺愛っぷりを遺憾なく発揮してくれていたので、正直あまり基準にならない。
気障な台詞に返す言葉が思いつかず、何も言えないまま恐らく顔が真っ赤に染まって居るであろうマルガリータの頭を、笑顔のディアンがそっと撫でてくれる。
ディアンは、頭を撫でるのが癖なのかもしれない。
けれどマルガリータだけでなく、恋愛経験どころか異性との交流の仕方さえも危うい真奈美のキャパは完全にオーバーしていて、恥ずかしさで倒れてしまいそうだ。
「そ、そろそろおやつにしませんか?」
「いいね。マルガリータ特製のクッキー、早く食べたかったんだ」
何とかこの甘ったるい空気を変えたくて、咄嗟に出した言葉だったけれど、ディアンが途端に嬉しそうな表情を見せたから、どうやら選択肢としては間違っていなかったらしい。
過大な期待が、寄せられてしまっている気はするけれど。
「素人の作った物ですから……あまり期待は、しないで下さいね」
「それは、難しいお願いだな」
早々と、ジェットを休ませている先程のハーブ生息エリアに引き返そうとするディアンの声は弾んでいて、お世辞ではなく本当に楽しみにしてくれているのが伝わってくる。
甘い雰囲気から解放されてほっとしたはずなのに、どこか残念に思うような気持ちが、もやっと心を揺さぶった。
自分の事なのに、その感情の変化がマルガリータ自身にもよくわからない。
ただディアンと居ると落ち着くのと同時に、最近やけに動悸がする。
楽しそうに笑うディアンの横顔を見て、再びドキドキとし始めてしまった胸の高鳴りを沈めようと少し早足で歩き出す。
すると、隣でマルガリータの歩幅に合わせつつ歩きやすいようにエスコートしてくれていたディアンが、突然ぴたりとその足を止めてしまった。
早足になっていたマルガリータの方が足を止めきれず、突然足を止めたディアンとの距離が数歩開いてしまい、がくんっとつんのめってしまう。
即座にディアンが腰に手を回して支えてくれたから転げはしなかったけれど、一瞬何が起こったのかわからなくて、瞳を揺らして見上げる。
そこには、マルガリータと居るときには一度も見せたことのない険しい表情をしたディアンが、真っ直ぐ正面を見据えていた。
「ディアン、どうしたの? …………っ!!」
厳しい表情に戸惑いながら、ディアンの視線の先を辿ったマルガリータは、そこに立っている人物に、思わず息を飲む。
視線の先に居たのは、先程記憶の中のスチルに登場したばかりの『君ダン』のヒロインと、メインヒーローである第二王子。
マルガリータを理不尽な理由で奴隷に堕とした、元凶の二人が立っている。
二人は、記憶にあるスチルの中で見せていた幸せそうな笑顔とは違う、嫌な笑みを浮かべて、こちらを見ていた。
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