第20話 エスコートが完璧過ぎて、困ります
「珍しいハーブでも、見つかった?」
ジェットの傍から戻ったディアンが、昼食とマルガリータの作ったクッキーが入ったバスケットを片手に、背後から覗き込んでいる。
距離の近さに驚き、慌てて立ち上がったマルガリータの手を自然に取って、「気にはなるだろうけど、先に休憩しよう」と、腰に手を添えてエスコートする姿は、一介の庭師とはとても思えない。
(本当に、黒仮面の男に仕える使用人達の、高スペックぶりはどうなってるのかしら? でも、このエスコートの感じって……)
先程木陰に敷いてくれた敷布に座るように誘導され、せっせと昼食の準備を始めるディアンの横顔を眺めながら出て来る感想は、ここ数日ずっと目の当たりにし続けた使用人達全員の有能振りに対する疑問と、手と腰に添えられたエスコートへの僅かな既視感。
使用人達の誰も彼もが、町外れのこぢんまりした屋敷に仕えるレベルではないから、どうしても不思議に思ってしまう。
「実は王宮で働いています」と言われても、納得してしまえそうな働きぶりなのだ。
エスコートの仕方に感じた僅かな既視感は、本来なら奴隷という立場であるマルガリータこそが、昼食の準備を率先して行わなければならなかった事にハッと気付いて、青くなったことですぐに消えてしまった。
気が付いたのは敷布の上に昼食が並べられ、携帯用のポットからカップへと温かい紅茶が湯気を立たせながら注がれた頃で、全てが遅すぎたのだけれど。
使用人達がマルガリータの事を客人として大切に扱うものだから、この歪な関係に慣れ始めてしまっている。これは、ダメなやつだ。
だが今更手伝おうにも、既にやるべき事は何も無い。
行き場のなくなった手を、わたわたとただ動かしていると、バスケットの奥に何かを見つけたらしいディアンが、小さく首を傾げる。
「これは……クッキー? 珍しいな、バルトが菓子を用意するなんて」
「あ! それは、私が作った物なんです。今日誘って頂いたお礼にと思って……昼食の後にでも、食べて貰えたら嬉しいです」
「これを、マルガリータが? 自分で?」
「はい。形はあまり綺麗じゃありませんけど……味は食べられる物になっていますから、安心して下さい。いくつかには、ハーブで味付けもしてみたんですよ」
「ありがとう。凄く楽しみだ」
ディアンが言うように、バルトはどうやら基本的に菓子類はあまり作らないようで、クッキー用の型抜き等は厨房になかった。
型抜きを使えなかった分、見た目は歪になってしまった物も多い。
だから、ディアンの言葉はお世辞かとも思ったけれど、その表情は本当に楽しみにしてくれているのがわかる位に笑顔だったから、作って良かったと思う。
(ディアンは見かけによらず、甘い物が好きなのかしら?)
ハーブの話だけでなく、いつか甘味の話も出来る位に仲良くなれれば、マルガリータも嬉しい。
バルトが用意してくれていた昼食は、マルガリータが初日に出された、朝食を食べきれずリメイクを願った時に用意してくれた、一口サンドウィッチだ。
屋外で食べるには、最適なチョイスである。
「バルトさんのサンドウィッチ、美味しいですよね」
「バルトは君に、普段から携帯用の食事を出しているのか?」
「違うんです。実は、私が最初に食べた朝食が……」
不穏な空気で問いかけてきたディアンに首を振って、初日の朝食の話とリメイクして貰った事を伝えたら、ディアンはとても驚いた顔をしていた。
(まだ沢山余っていると言っていたし、使用人の皆で食べて貰うようにお願いして、それは確かに叶えられたはずだったのだけれど……。あの日の昼食時に、ディアンは不在だったのかしら?)
知らなかったらしいディアンに、「旦那様には内緒にしておいて下さいね」と、念の為に口止めをお願いしたら、何だか複雑そうな顔をしていた。
もしかしたら、黒仮面の男と特別仲の良いディアンには、バルトは残り物で作ったサンドウィッチを、わざと出さなかったのかもしれない。
(余計な話、しちゃったかな?)
この流れから、貴族の食材の使い方について、マルガリータの考えも話す事にもなってしまった。
ディアンにしてみれば、マルガリータの個人的な意見を聞かせたせいで、黒仮面の男との間に秘密が出来てしまった事になる。
「ごめんなさい。今の話は、忘れて下さい」
「いや、貴重な意見だと思う。俺は食に余り興味がなかったから、それが常識だと言われるがまま、気にも留めていなかった。常識なんて、誰かが自分に都合の良いように勝手に決めたものだと、身をもって知っていたはずなのに」
顎に手を当てながら、真剣な顔をして摘まみ上げたサンドウィッチを眺める姿が、穏やかな湖畔での昼食のひとときとミスマッチ過ぎて、何だか可笑しくなってくる。
クスクスと笑みを漏らすと、不思議そうに首を傾げたディアンと視線が合った。
「今は、そんな難しいお顔になる話は置いておいて、もっとピクニック気分を楽しみましょう? あ、でもハーブの仕入れっていうお仕事で来ているのに、それも変かしら?」
「いや、そうだな。せっかく外に出てきたのだから、楽しむ方が先だ」
のんびりとした穏やかな昼食の後、「俺がやるから」と言うディアンの言葉を拒否して、今度こそはと片付けを手伝い終えると、ディアンが立ち上がって手を差し出してくれた。
その手を取ると自然と引き起こされ、敷布の上から簡単に立ち上がることが出来る。
今日のディアンは、あまりにも女性に対するエスコートが自然でこなれているので、普段と感じが違ってなんだか照れくさい。
いつもはディアンが屋敷の庭の手入をしている最中に、マルガリータが勝手に訪れて半ば無理矢理手伝おうとしているので気付きにくいけれど、確かにすぐに「危険だ」とか「汚れるから」とか理由を付けて、マルガリータがしようとする作業を代わってしまう。
最初に会った時のイメージから、ディアンはどちらかと言うと、人と関わり合いたくないタイプだと思っていた。
けれど、一度受け入れてしまうと少し過保護気味になるらしい。
そう考えると、今日の行動の方が、本来の姿なのかもしれない。
黒髪と黒い瞳のせいもあって、この世界の住人からは忌避されているのかもしれないが、それを気にしないどころか見慣れているマルガリータからすれば、今日のディアンは格好良すぎて困る。
(今日はハーブ苗の仕入れ! お仕事! 意識してる場合じゃないんだから、しっかりしないと)
仕入れが売買ではなく、現地調達なのは予想外だったけれど、ハーブの宝庫であり景色も空気も綺麗なこの場所へ連れて来て貰えたのだから、今はディアンに見惚れている場合ではない。
(自由のきかない奴隷である私を、連れ出してくれたディアンの努力と優しさに、報いなくちゃ)
真奈美の持つ知識と合わせ、黒仮面の男が集めたのだろう図書室で見つけたこの世界では希少な植物図鑑の情報を総動員して、望みのハーブを見つけ出す事が、今日のマルガリータの使命である。
「どんな効能の物を探しているのですか? 新しい物を試します? それとも、今お屋敷にある物を、増やす予定ですか?」
「うーん、どうしようか」
まずは求める物の方向性を確認しようと、足下に生える沢山のハーブの種類を確認しつつディアンに視線を投げかけると、まるで考えていなかったというように頭を掻いていた。
庭を管理しているわけではないマルガリータでも最初に思い付く、そんな基本的なことも決めずに仕入れに出てくるなんて、優秀な庭師にしては詰めが甘すぎて、逆に違和感を感じる。
「ディアン?」
「……実は今日は、マルガリータを連れ出すのが目的だったと言うか……ハーブの仕入れはついでと言うか、建前と言うか」
「はい?」
(その言い分だと、ハーブ苗を仕入れる必要は、別にないって事?)
ジト目でマルガリータに見られる様な事を言ったと、理解はしているのだろう。
ディアンは、マルガリータの懐疑心溢れる視線を甘んじて受け止めながら、気まずそうにしている。
「あー……、でも気に入った物があれば、もちろん持ち帰ろう。ハーブでも花でも」
「と言うことは……本当に今日の目的は、ハーブ苗の仕入れではなかったのですね」
少しでも役に立ちたくて、話が出てから色々と調べたり過去の記憶を引っ張り出してきたりと、色々な準備をして来たのだから、大きなため息と共に恨みがましい目をしてしまう事は、許して欲しい。
「怒ってしまった、か?」
「いいえ。少し呆れはしましたけど……私の為に、考えてくれた事なのでしょう?」
嘘をつかれて連れ出された事は、少し悔しかった。
けれど、奴隷であるマルガリータを連れ出すための大義名分が必要だったと考えれば、納得も出来る。
屋敷での暮らしに戸惑いはあれど、最下層の奴隷に対するものとは思えない好待遇の日々ではあったから、息が詰まるという不満があった訳ではない。
けれどディアンには、マルガリータが屋敷内に閉じ込められているように見えていたのかもしれなかった。
黒仮面の男とも仲が良い様だし、マルガリータが人体実験の被験者になっている事も、当然知っていたのだろう。
実際にはハーブティーを毎食後一杯ずつ飲んだところで、調子が良くなるだけで何の害も無い事は、実験体であるマルガリータ自身が一番知っているので、不安の一欠片もない。
けれど、この世界ではハーブは一般的ではないのだ。ディアンが、それを知っているはずもなかった。
(前世の記憶があるから、ハーブの知識が素人趣味程度にはあるんですよー。なんて言ったとしても、頭がおかしくなったかと思われる可能性の方が高いし……むしろ、その可能性しかないし)
つまり今日のこの外出は、完全なるディアンからの好意から来るもので、使用人達に笑顔で見送られたのも、皆がそれを知っていたからなのではないだろうか。
何となくそれだけではない、生暖かく応援するような雰囲気がなかったとは言えないけれど、基本的にはそういう事だったのだと思う。
「騙したような形になってしまって、すまない」
しゅんと落ち込んだ表情のディアンがなんだか可愛くて、騙されて少し悔しかった気持ちは、すぐに飛んでしまった。
(そんな顔をするのなら、最後まで隠し通せば良かったのに)
この場所に豊富なハーブ苗が生息しているのは確かなのだから、適当にハーブを選んで持ち帰ったら、きっとマルガリータは気付かなかった。
「ふふ。正直に話してくれて、ありがとうございます。ディアンの気遣いには感謝しているので、大丈夫ですよ。でもそれなら……少し散策のエスコートをして頂いても?」
貴族のお嬢様が少し我が儘を言う様に、こちらから手を差し出してみる。
今のマルガリータには本来許されない、けれどついこの間までこうすることが普通だった行動。
嘘をつかれた事を許す代わりに、「お姫様と王子様ごっこをしましょう」と、誘ってみたマルガリータの気持ちが、どうやら伝わったらしい。
「もちろんです。誠心誠意、エスコートさせて頂きます」
差し出した手の甲にうやうやしくキスを落として、にっこりと笑うディアンは、ごっこ遊びとは思えないくらいに王子様然とした、スマートで紳士的な動作だ。
仕掛けたはずのマルガリータの方が、どぎまぎしてしまう。
導かれるままそっとディアンの腕に自身の腕を絡ませ、湖をゆっくりと眺めながら二人で歩き始めた。
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