第7話 乙女ゲーム『君とラストダンスを』
ゲーム名『君とラストダンスを』(通称:君ダン)。
学園恋愛シミュレーションゲーム(いわゆる乙女ゲー)。
ヒロインは、王族・貴族の通う格式高い『ゲンマ学園』に転入して来た、元平民の男爵令嬢。
攻略対象は六人。
ただし、良くある逆ハーエンドは用意されておらず、開始直後から攻略対象誰か一人へ一途であることを強いられ、皆と満遍なく仲良くなると、誰とも何ともならないバッドエンド一直線の為、ある程度全員の好感度を上げて途中セーブを作っておくという鉄板技の使えない、なかなか面倒なゲームだった。
つまり、全員分のエンディングを見る為には、必ず六回最初からプレイせねばならず、更に全スチルを見るには各ルートのハッピーエンドとバッドエンド、そして誰とも何も起きないエンドを迎える事が必要で、コンプには十三周を余儀なくされる。
ちなみに、マルガリータの前世である久我真奈美は、十三周した上で推しキャラルートをもう一周したヘビーユーザーだった。
だからこそ、この世界がゲームの世界なのだと、あの混乱の中で気付けたとも言える。
周回が必要とは言え、冒頭からよそ見をさせてくれない分、攻略対象各キャラルート毎に全く違ったストーリーが用意されていて、世界観もしっかり作り込まれていたから、飽きが来る様な事もなかった。
マルガリータは、攻略対象の内のメインヒーロー、いわゆるパッケージの中心に居る攻略対象である、学園を有するジェムスト王国の第二王子『アンバー』ルートに登場する、悪役令嬢だ。
各ルート作り込まれているのはサブキャラに対してもそうで、攻略対象によってライバルや悪役キャラが変わってくる力の入れ様だ。
ルート毎に見るとそうでもないが、全体的に見ると乙女ゲームにしては規格外の人数の登場人物がいるのも特徴的で、しかもそれぞれにきちんと細かな設定が用意されている。
中でもマルガリータは、メインヒーローである第二王子ルートの悪役令嬢である事もあって、ともすればヒロインより作り込まれた所さえある「制作陣気合い入れたんだな」とわかるキャラだった。
金髪ふわふわ可愛い系のヒロインと対照的になるように、銀髪ストレートのきつめ美人系で、スタイルも抜群だ。
今朝、アリーシアにドレスを着せて貰い髪を結って貰った後に、鏡の中の自分自身を思わずガン見してしまった。
平々凡々な真奈美とは、言葉通り住む世界が違いすぎる。
美人に生まれ変わってラッキーだと、単純に思える状況で記憶が戻れば違ったのかもしれないが、残念ながら全く喜べるタイミングではなかった為に、ただただ理不尽感が募った。
容姿への不平不満はもうどうしようもないので、あまり気にしないように脇に置いておいて、マルガリータ自身のプロフィールを確認しておきたい。
真奈美の記憶が甦っても、マルガリータの記憶はそのままだったし、むしろマルガリータの記憶に真奈美の記憶が追加された様な感覚に近いので、当たり前の事ばかりだが念の為だ。
マルガリータ・フォン・オーゼンハイム。
オーゼンハイム伯爵家、令嬢。十七歳。両親と兄が一人。
長く真っ直ぐな銀の髪と深い青の瞳に、透き通る白い肌を持つ美女。
ちなみに身体は細いのに、胸はなかなかの重量を持つ大変羨ましいスタイルである事は、昨晩浴室で確認済。
『君ダン』メインヒーロー、第二王子『アンバー』ルートの悪役令嬢。
ただし、マルガリータは王子と面識はあるものの、よくある親に決められた婚約者という立ち位置ではない。
しかし王子には、ヒロインに出会う前から婚約者は居た。
相手はマルガリータの友人で、この国において王族の次に身分の高い公爵家の令嬢ガーネット。
多少の身分差はあったが、ガーネットはマルガリータを取り巻きのように扱うのではなく、対等な友人として仲良くしてくれていた心優しい令嬢だった。
王子とも、良好な関係を築いていたはずだ。
その彼女がヒロインに出会うことで心変わりした王子の態度に、傷つき嘆き悲しみ塞ぎ込んでいくのを放ってけなくて、マルガリータはガーネットの代わりにヒロインへ嫌がらせをする、という役どころ。
(自分の為じゃなくて、友人のために動く所までは優しい子っぽいのに、嫌がらせって方法を取っちゃうのが、残念キャラだったのよね……)
愛する人、つまりヒロインを虐めていたマルガリータを、王子の取り巻き達が幾度も諫めるが反省の色はなく、挙句ヒロインに怪我まで負わせた所から断罪され、奴隷へと堕とされ退場。
その後、自分の気持ちに正直に生きて行きたいと決意した王子によって、ガーネットは婚約を破棄されてしまう。
憂いを全て解消した王子とヒロインは、最後のダンスパーティでラストダンスを踊ってハッピーエンド、という流れだった。
マルガリータが真奈美の記憶を取り戻したのは、このゲームの終盤も終盤。断罪イベントの数日後、という事で間違いないと思う。
マルガリータ自身は王族に刃向かったという事で、これ以上は死罪しかない奴隷に堕とされるという罰を受けたが、学園内の出来事であると考慮され、実家であるオーゼンハイム伯爵家には何のお咎めもなく、一個人への裁きになっている。
過保護な両親や兄には随分泣かれたし、裁きを不服として再審を訴えると憤慨されたが、それを止めて受け入れると決めたのは、マルガリータ自身だった。
(でも、やっぱりこの断罪イベは、ちょっとおかしいわよね)
真奈美の記憶が戻り、ゲームの流れやストーリーを把握した上で、マルガリータは今の自分が置かれている状況の異常さを再確認する。
マルガリータは伯爵令嬢の身分を剥奪され、あまつさえ奴隷という最下層の人権もない罪人へと有無を言わせず堕とされる程のことを、実際は何一つしていない。
確かに、ヒロインに対して何度かきつい言葉を発した事実はある。
けれど、それはヒロインの態度が婚約者の居る男性に対する淑女のそれではなかったが故の、苦言と言った方が正しい。
もちろん、怪我なんてさせた覚えもない。
彼女が勝手に転けた所を目撃した記憶はあるが、まさかマルガリータが転かした事にでもなったのか。
だとしても怪我は擦り傷程度だったはずだし、むしろ助け起こしたのに罪に問われる意味がわからない。
この世界では、マルガリータ位の年齢になると、貴族の子息令嬢はほとんどが身分の近しい者同士で婚約している。
王族となれば尚更、幼少期から決まった相手が居るのが通常だ。
実は、伯爵令嬢であるマルガリータには婚約者がいないのだが、その方が珍しい。
マルガリータの父、オーゼンハイム伯爵が情熱的な恋愛結婚だった為に、息子や娘にもそれを望んでいるからで、特に娘のマルガリータを溺愛しすぎて、申込みは多数あったものの、そんじょそこらの子息では認めないと蹴り続けて来た事等々が重なり合った結果だった。
マルガリータ自身も、両親の仲の良さを目の当たりに育ってきたのもあり、出来ることなら恋愛というものをしてみたい気持ちもあった。
ところが幼い頃、ほんのひとときだけ過ごした正体も知らない相手との淡い初恋を引きずったまま、それ以上に気になる人に出会えずに入学を迎えてしまう。
その為、そこそこ身分の高い伯爵令嬢には珍しく、婚約者の居ないままここまで来てしまった。
だからと言って、貴族社会の恋愛マナーを知らない訳ではない。
むしろ、公爵令嬢や侯爵令嬢といった身分の高い令嬢達を飛び越えて、王子の婚約者にととんでもない話が出た位には、教養を兼ね備えた令嬢だった。
攻略対象である現王位継承者の第二王子の他にも、この国には二人の王子がいる。
マルガリータの相手が、三人の内のどの王子だったのかはわからないが、のらりくらりと何だかんだ理由を付けて、父が断ったらしい。
(あの時は、お父様グッジョブ! って心から褒め称えたわ)
伯爵家の令嬢として何処に出ても恥ずかしくないよう、勉強やマナーは完璧に身につけて頑張ったけれど、マルガリータは個人的に、王妃ひいては国母と呼ばれる地位に就きたいとは、これっぽっちも思っていなかった。
ましてや、公爵家や侯爵家に令嬢が居るのに、伯爵令嬢のマルガリータが正妃なんかになったら、絶対に苦労するのは目に見えている。
面倒なことに巻き込まれるのは、御免被りたい。
婚約者だった友人のガーネットには悪いけれど、今となってはあんな常識の無い第二王子と婚約させられなくて本当に良かったと思う。
父の見識眼は、正しい。
他の二人の王子がどうかは知らないが、育った環境が同じならあまり優秀さは期待できないだろう。
だからこそ、それを補助し支えられる教養を持つ令嬢を望んだとも考えられる。
だからマルガリータは本当にただ、貴族として爵位の低い男爵家よりは遙かに地位のある伯爵令嬢として、余りに目に余る様子のヒロインを嗜めただけだった。
そこに、妬みも恨みも一切無い。
元平民のヒロインは、常識も恋愛感も全てが平民感覚のまま学園に現れた。
自由奔放で可愛らしい、貴族の慎みというものが皆無の彼女に、周りに居ないタイプに物珍しさから入って、攻略対象達がころりと落ちてしまうのは仕方ないとしよう。
だがこの世界において、王族貴族という身分を背負っている以上、好きという感情だけに身を任せる事があってはいけない。
例え婚約が政略的なもので、そこに愛がなかったのだとしても、それを周りの相手にさえ見せてはいけないのが義務の一つなのだから。
どうしても愛し合いたいというなら、愛人として囲う方がまだ常識的な世界なのだ。
真奈美の記憶を手に入れる前のマルガリータから見ても、窮屈で仕方ない制度だと思っていたし、恋愛結婚推奨の家で育ってきたのもあって、気持ちだけならヒロインの立場に近い。
だからこそ、ゲームの主人公は貴族の令嬢ではなく、元平民の彼女なのだろう。
その方が、劇的なシンデレラストーリーにもなるし、一途な愛を感じられる。
けれど、それでもマルガリータの知る常識の方が、この世界においては普通で当然の事で、王族貴族が守るべき事なのだ。
婚約者の居る男性に気軽に話しかける。婚約者の前で腕に抱きつくように身体を寄せる。昼食は婚約者を差し置いて一緒に食べようと誘う。その他にもやってはいけない細かい暗黙のルールというものがある。
それをことごとく破る行為を、ヒロインは繰り返していた。
そして当事者である王子はといえば、ヒロインの可愛さに既にメロメロだったのか、それらの行動を拒むどころか甘んじて受け入れ、挙句の果てにガーネットとの前々からしていた約束よりも、ヒロインとの降って湧いたちょっとしたデートを優先させる始末。
優しいけれど気の弱いガーネットが、日々傷ついてこっそりと泣いているのを目にして、何の行動も起こさないなんて、友人としてあり得なかった。
学園内でも身分の上下はもちろんあるが、それでも社交の場よりは少しだけ甘く見てくれる所もある。
それを利用して、世間では絶対的な権力者である王子に直接、もちろんそれとなくではあるが注意を促す賭けに出た事さえある。
けれどやはりと言うべきか、面倒くさそうな顔で一蹴され、言葉として聞き入れて貰う事は出来なかった。
ヒロインにも、ゲームで語られていた様な嫌がらせ等はしておらず、貴族の常識を丁寧に説明して控えるように何度か助言しただけだ。
実際の所、王子もヒロインも何というか思い込みが激しく、言葉の通じない残念な人種であったので、途中で諦めかけてさえいた。
ただガーネットが、それでもそんなどうしようもない王子の事を、大好きだったから。
彼女が不幸になるのだけはどうにかしてあげたくて、白昼堂々とイチャつく二人を見かけた時にだけは、何度も止める様に言葉を尽くした。
結果が、断罪イベからの奴隷堕ちなのは、マルガリータとしても真実を知った真奈美としても、本当に解せない。
余程、王子はマルガリータの存在が面倒だったのだろう。それとも、ヒロインにとってマルガリータの存在は、邪魔でしかないと判断されたのだろうか。
何より、ゲームの通りであるならば、マルガリータが学園から退場した後に、その断罪イベを青白い泣きそうな顔で見つめていたガーネットには何の落ち度もないはずなのに、王子から婚約破棄を言い渡されてしまったのだろう事が一番悔しい。
マルガリータ個人的には、優しいガーネットとあの馬鹿王子との縁が切れて良かったと思うけれど、どんなにガーネット自身が良い子でも、婚約破棄をされた令嬢というレッテルはずっとつきまとうし、貴族社会においてその噂の広まり方はえげつない。
将来の嫁ぎ先が難航するであろう事は目に見えているし、きっとガーネットは一人で泣いただろう。
奴隷に堕とされた事よりも、その時に傍に居てあげられなかったのが辛い。
それにしても、貴族しかもそれなりに力を持つ伯爵家の娘が、どんな重罪を犯したのだとしても、平民にならまだしも奴隷にまで堕とされるなんて、普通ではあり得ない。
しかも、あり得ない罰を受けなければならない事を、何一つ行っていないのに。
だからこれは、元平民だったヒロインを苛めていた悪役令嬢が、その平民より更に下の身分である奴隷に堕とされる事で、プレイヤーの苦労に報いようというゲーム制作者側の強引な展開なのだ。
世界観を作り込んでいる割に、最後の詰めが甘過ぎやしないか。
実際、メインヒーローである第二王子ルートの攻略が、一番難易度が高かった。
きっちり作り込まれた世界が故に、多少の唐突感は否めなかったが、確かに自分がヒロインとしてゲームをプレイする分には、「ヒロインを苛めた罰があたったんだ」程度の感想だった。
だからこそ、真奈美のマルガリータへの印象が、せっかく美人で頭も良くて友達思いの令嬢なのに、嫌がらせや苛めに走ってしまう残念悪役令嬢キャラ、というものになっていたのだから。
けれど、今のマルガリータにとっては今が現実で、事実はゲームの中で語られた様なものではなかった。
勉学やマナーに対しては厳しく育てられはしたけれど、基本的には伯爵令嬢として両親や兄に溺愛されながら蝶よ花よと甘やかされてきたお嬢様が、突然国中の全ての者から虐げられる事が当然とも言える奴隷になるというのは、絶対に無理がある。
(無理があったから、前世を思い出したのかも)
マルガリータに、精神的にも肉体的にも限界が来たから、真奈美の記憶が目覚めたのかもしれない。
タイミング的には、それが一番考えられる。
(そんな状態で前世の記憶が甦った所で、何が出来るわけでもないし、目覚めさせられた私的にも迷惑なんだけど。結構早い段階で、貞操の危機とか覚悟させられたし……)
だが、思い出してしまったからにはもう仕方が無い。
実際、あの時マルガリータの意識が一瞬でも真奈美に切り替わっていたからこそ、奴隷紋を刻まれても心が壊れなかったとも考えられる。
(よし、切り替えていこう!)
せっかく、大好きだったゲームの世界に転生したのだ。
ヒロインでもなくゲーム期間も終わっているけど、この世に絶望して命を散らす選択肢を避ける為に、全てを思い出したのだと信じたい。
あんな一方的な王子やヒロインのせいで、マルガリータが命を落とすなんて馬鹿げている。
奴隷になったと言っても、買われた先のこの屋敷の使用人達は今のところマルガリータに対してとても優しいし、好意的だ。
黒仮面の男は何を考えているかよくわからないし、彼の一言で今のマルガリータの立場はころりと変わってしまうかもしれないと思うと、怖い気持ちもある。
けれど幸か不幸か、これまでの十七年間のマルガリータと接点がない人々しかいない場所なら、前世と今の記憶がまだ混じりがちでボロを出しがちな状態でも、一からの再スタートを切りやすい。
(王子やとヒロインが望むような、刃向かったことを泣き暮らしながら不幸な日々を過ごすなんて絶対に嫌! 楽しい奴隷ライフ、送ってやろうじゃないの!)
謎の決意を固めて、思い出せる範囲のゲーム内容とマルガリータ自身が持つ記憶を摺り合わせながら、各攻略対象キャラの身の上から国内情勢、身分制度等の世界観までをびっしりとノートに書き込んでいく。
まとめ終わってちょうどお腹も空いてきた頃、部屋のドアが控えめにノックされた。
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