第6話 やはりここが私のお部屋らしいのです

 アリーシアに連れられた先は、やはり昨夜の部屋で、どうやらここがマルガリータに用意された場所、という事のようだった。


(納得したわけじゃないけど、お客様扱いされてることはわかった……。けどこの部屋、絶対客室じゃなくて主人部屋よね?)


 来客用にしては普段使い用の調度品が揃い過ぎているし、この屋敷の規模にしては部屋も広すぎる。

 何より三階は、この屋敷の最上階だ。


 屋敷の主人よりも上位の客人を泊める為に、主人と同等クラスの部屋を一室用意してあるというならわからなくもないが、余程大きな屋敷でない限りあまり考えられるものではない。ここが別宅だというのなら、尚更だ。

 万が一そういう部屋があるのだとしても、そこにマルガリータを通す理由は絶対にない。


(まだ、性奴隷として連れて来られた可能性は、捨てないでおこう……)


 ここが主人部屋と考える方がしっくりくるので、一番可能性が高いのはやはりそれしかない。

 いくら昨晩ここに黒仮面の男が現れなかったからと言って楽観的になれる程、マルガリータの思考は単純には出来ていなかった。


「お昼は、こちらへ運びましょうか?」


 気持ちを引き締めていると、アリーシアがそう声をかけてくれた。

 きっとあの広い食堂で使用人達に囲まれながら、一人で食事を取る事態に恐縮していたマルガリータの気持ちを、慮ってくれたのだろう。


 仕える主人の気持ちを先読みして提案する能力、マルガリータとそう歳は変わらないはずだが、それをしっかり身につけているアリーシアは、本当に優秀なメイドだ。


「はい。お願いできますか?」

「かしこまりました」

「あ! 出来れば、先程の朝食の残りを戴きたいのですけど」

「それは……」


 マルガリータの言葉に、アリーシアは難しい顔をする。でも、ここは引く訳にはいかなかった。

 あんなに沢山作って貰ったのに、ほとんど手を付けられなかったのだ。


 貴族の食事というのは、基本毎食残ったら処分だ。

 一切手を付けていないものだけでなく、おかわりを想定して多く作っておくのが普通なのに、それがなく出されることがなかった分でさえも、使用人達が残りを食べられるという事はない。


 朝食なら昼食、昼食なら夕食へと次に生かされる事もなく、豪華な食事を大量に処分する横で、彼らは質素な食事を取る。

 マルガリータにとってはそれが当たり前の常識だが、一般市民の真奈美としては到底受け入れ難い習慣だ。

 それに、マルガリータ自身も、この習慣に関しては前々から思う所があった。


 この世界では過酷な状況の中、タダ働きを強いられる奴隷がいる一方で、貴族がお金を湯水のように使う。

 貴族の責務に対する対価として持つそれを、大量に使うのはもちろん悪いことではない。

 けれど、使いどころは大事だと思うのだ。


 日本人特有の、もったいない精神という話じゃない。

 どうせ使うのなら、もっと生産性の高いところに使うべきで、こんなただ捨てるだけの使い方は絶対に間違っていると思う。

 それに、今のマルガリータは奴隷としてここに居るのだから、貴族の食事の後処理と同じ扱いを受ける必要は、どこにもない。


「そのまま出して欲しいとは言いません。例えば、他の料理に作り替えて出して貰う事は出来ませんか?」

「ですが……」

「バルトさんのお料理、本当に美味しかったんです。なのに全然食べることが出来なかったのが申し訳ないし、悔しかったので……。新しい物を用意して下さるのも、もちろん有り難いのですけど、彼の腕ならあのお料理を生かしながら、もっと素敵な物に仕上げて下さるのではないかと思うのです!」


 ダメだと言われる前に、畳み掛けるように言い切る。

 アリーシアは熱意に負けたと言うように、少し息をついて頷いた。


「わかりました。ダリスとバルトに伝えてみましょう」

「お願いします」


 「それが通るかは、わかりませんよ」と続けるアリーシアに、マルガリータは大きく頷きを返す。

 執事や料理長の立場の彼らに、「作り替えて欲しい」という要望を出したとしても、「同じ物を出すこと自体を良しとしない」と言われてしまえば、それまでだ。

 執事のダリスが良いと言っても、作るバルトが嫌だと言えばそれまでだし、逆もまたしかり。


 この屋敷の使用人達はほんの少し垣間見ただけでもわかる完璧な仕事ぶりからして、「残った分は、皆さんで食べて下さい」とどんなに頼んでも、断られるだけだと思った。

 だが少し触れただけだけれど、あのバルトの性格なら。

 処分するのではなく、そのまま再度出して欲しいでもなく、作り替えて欲しいという要望なら、もしかしたら受け入れて貰えるかも……そう感じた。


 貴族の常識に捕われないタイプだからこそ、あの腕を持っていて尚、名誉や権力を望むのではなく、そのままの自分で居られるこの屋敷に仕えているのではないか。

 ここの使用人達はみんな完璧であると同時に、どこか伸び伸びと働いているように感じる。

 それはまだ、マルガリータの直感的なものでしかなかったが、賭けてみる価値はあると思った。


「他に、何かご入り用の物はございますか?」

「では、紙とペンがあると嬉しいのですが」

「お手紙でしょうか?」

「いえ、少し書きまとめたい事があるので」

「すぐにお持ちします」

「ありがとうございます、アリーシアさん」


 名前を呼んでお礼を言うと、アリーシアは驚いた様に目を見開いた。

 貴族の中には、使用人の名前を覚えない人も多い。

 大貴族ほど使用人の数も多いから、覚えきれないというのが実際の所だろうけれど、マルガリータは出来るだけ、使用人とも個人の人間同士として付き合いたいと思っている。


 幸いな事に、マルガリータは人の顔を名前を一度で覚える、という貴族には必要不可欠とも言える特技を習得している。

 それを何も、対貴族にだけ発揮する必要はない。


 アリーシアはこの少数精鋭が揃っているとはいえ人手不足気味の屋敷の中で、マルガリータの世話を主に担当してくれるようでもあるし、仲良くしておきたい。


「マルガリータ様は、本当に旦那様と気が合いそうで……ようございました」

「はい?」

「名前を呼んで頂けるのは光栄ですが、敬称は不要でございます。私の事は呼び捨て下さいませ」

「でも」

「その方がマルガリータ様との距離が縮むようで、私が嬉しゅうございます」

「それなら、私の事も……」

「マルガリータ様は、マルガリータ様です。旦那様の大切な方ですので」

「…………わかりました。アリーシア、これからよろしくお願いします」

「はい、精一杯お世話させて頂きます。それでは少々お待ち下さいませ」


 良く出来ました、と言わんばかりの笑顔を返してくれたアリーシアが、部屋を退出していく。


(上手く、言いくるめられてしまった気がするわ)


 客人として扱われている今は問題ないけれど、黒仮面の男がマルガリータを奴隷として扱うようにと使用人達に正せば、立場は逆転する。

 そうなればマルガリータに呼び捨てられるのは不快だろうし、出来ればさん付けのままか、せめてお互い呼び捨て合う関係を獲得しておきたかった。

 口調までは指摘されなかったので、敬語を交えた丁寧な話し方だけは、このまま死守しておきたいところだ。


 部屋を出たアリーシアは、十分も待たないうちに日記帳のような分厚めのノートと、マルガリータの手に負担のない細身のペンを用意してくれた。

 そして、そのまま再び頭を下げて退出していく。

 どうやらお昼までは一人にしておいてくれるらしい。


 昨日、突然前世である真奈美の記憶が戻ったはいいが、怒濤の展開が続きすぎて冷静に状況を把握し切れていなかったマルガリータにとって、一人にして貰える時間は有り難い。


(昨晩は、一人になってからもそれどころではなかったし……)


 中央にある大きめのテーブルではなく、窓際にある手紙等を書く為にあるのであろう小さめの文机に座って、用意して貰ったノートを広げる。

 一度大きく深呼吸をして、マルガリータはペンを取った。

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