病床日記

ひのとあかり

☀︎

熱が出ました。38度1分。

精神的不調にしては体が重すぎるわけです。



睡眠もどきのような不快な夜を過ごし、起き上がった時から「まだ夢は続いている」とぼんやり感じました。

曖昧な表現をすれば「好きなものが死ぬ夢を見た」…という感じでしょうか。

とにかく、久しく風邪を引いていなかったせいで、好きなもののために体調を崩したと思い込んでしまったようです。心が弱っているとロマンチックな方向に考えてしまいがちですね。



人の少ない日曜にお休みをいただくのは心苦しいことでしたが、体調が悪くてはまあ使いものになりません。

私は職場に「発熱」という簡素な連絡を入れ、今日はおとなしく寝ていることにしました。


母に「風邪を引きました」とLINEを送ると、「さむなってきたからな 気をつけなさい」と返ってきました。

SNSに熱が出たと投稿しすると、フォロワーさんから「お大事に」とリプライをいただきました。

世界と繋がっていると安心します。私はそのフォロワーさんが書いた小説のページを開き、大事に大事に読み返しながらうつらうつらし始めました。



☀︎



起きて時計を見ると12時を回っていました。体は重いものの、頭はややスッキリしていたので「8度超えでもすぐ治るもんだな」と拍子抜けしたものです。



体温を測ると、8度6分に上がっていました。


プラシーボというのか、欠陥迷走神経というのか、とにかく悪化している体温を見るとどんどん気分が悪くなってくるようでした。


「測らなきゃよかった」

私は水を飲んでまた布団に潜り込みました。

朝よりも自分の体調の悪さがハッキリ分かるようです。身じろぎひとつ苦しく、吸う空気もとげとげしく感じられるかのようでした


朝に抱いていた不安とはまったく方向性の違う、黒いもやのようなものが私を包んでいくのが分かりました。


風邪を引くと弱気になっていけません。

朝に抱いていた不安とはまったく方向性の違う寂寥感が私を侵食していきます。


熱が上がり続けたらどうしよう。

流行り病であったらどうしよう。

誰にも知られず、この病床で苦しみ抜いて死んでいくのだろうか。

そんなことばかり考えてしまいます。



そうだ、たしか”夜は短し歩けよ乙女”という小説にこんな場面があった気がする。主人公が風邪に倒れ万年床で寂しさに苦しみもがいていたような。竹久夢二の詩が引用されていたのが印象深い。


「ひとりある身はなんとせう」

私は呟きました。それはまさに今の状況にぴったりでした。

小説の登場人物と重ね合わせるとなると、自分がますますロマンチックに染まっていくのを感じます。

こういう取り留めもない思い出が想起されると、連想ゲームのように夢の世界へいざなわれていくのです。



☀︎




着信音で目が覚めました。


「もしもし。お疲れ様です」

「おつかれー。今日どうしたん?」

「Sさんから聞いてないですか。熱が出て寝ている」

「大丈夫なん?」

「大丈夫ではないが」

「なんか食べたいもんある?買ってくよ」

私は「え」と掠れた声が出ました。

「来るの?」

「そのつもりだけど」

「感染りますよ。こんといて」

「そんなこと言うな。で、ほしいものある?」

「……10万円」

「しばくで」

そうして通話は切れました。


私は画面に向かって「真剣なのに…」と呟きました。

昨日は推しのアニバーサリー配信がありました。配信内で記念グッズがいくつか発表されて、そのグッズの合計金額がゆうに10万円を超えるのです。そういったわけで、可及的速やかに10万円が必要なのでした。


18時を回り、窓の外は夜の帳が下りています。吹き付ける風の音が外の寒さを伝えているようでした。


私はのそりと起き上がり、電灯を点けました。部屋を俯瞰してみると、怪獣が暴れた後のように散らかっています。

私はみえっぱりなので、片付いていないときに人を家に上げる時は決してしませんでした。しかし、今日はさすがに見栄を張る元気もありません。私は「ふわわ」とあくびをしたのち、本棚から”夜は短し歩けよ乙女”を取り出してめくりました。


くだんの風邪のシーンは”魔風邪恋風邪”の章でした。恋の風邪という洒落た言い回しが素敵だな、と思いました。


推しという病原菌が私を蝕む恋の風邪。そうであったなら私はこのまま死んでも一向に構わなかったところではあります。



そんな妄想を膨らませているとあの子がやってきました。


「ほんとに来たんだ」

「来るだろ」


彼女はスーパーで買ったであろうものを乱雑にテーブルの上に広げ始めました。

その時、私は何かとても胸にこみ上げてくるものがくるものがありました。

普段は軽口を言い合って、互いに雑に扱って来た人が私を見舞いに来てくれたという事実がすごく嬉しかったのです。


私は照れ隠しに「お酒がありませんが」と言いました。

「酒は治ってから」

ボケのつもりで言ったのに真面目な声色で諭されてしまいました。私は情けない気持ちになりました。



「…どうも」

私は買ってきてくれた栄養ドリンクを手に取ってベッドに座りました。


「なんか作る?」

「いや、感染るしもう帰ってほしい」

「上がった時点でやん、それは」

そう言って彼女は冷蔵庫を開けて物色し始めました。


「鍋しとくから私が帰ってから食べなよ」

「冷蔵庫あけたー!泥棒!泥棒!」

「はったおすで」

彼女は冷蔵庫から何やら取り出しながら「作ったらすぐ帰るから」と言いました。


「流し汚っ」

「見んといて。エッチ」

「お前さっきから何なん。寝とけよ」

「ふん」

私は醜態を誤魔化すのを諦めて横になりました。





「じゃあ帰るから。明日病院行きなよ」

「んあ。はい」

私は曖昧に返事をしました。病院に行くためにまたお休みをいただくのも厭だったからです。


しかしそれとは違う、また別の言葉が私の喉元まで出てきてもごもごしていました。


「何?」

「…あの、ありがとう」

それはずっと言いたかったことでした。


「んー」

「いやほんとに感謝してるので」

「え?うん」

「だって、私誰かのお見舞いとかせえへん人間やし」

「それはまあわかるけど」彼女はふはっと吹き出しました。

「まあ、私が風邪引いたら見舞いに来てくれたらいいよ。それでチャラ」

「だからあなたのお見舞いもしないってことなんだけど」

「しばくで」

彼女はけらけらと笑いながら帰って行きました。


キッチンからは出汁の良い香りが漂っていました。鶏鍋のようです。そういえば鍋物はこの冬で初めてです。

食欲はありませんでしたが、私は鍋から適当に茶碗によそいテーブルへ運びました。



熱を出して寝ていると、友人が見舞いに来て鍋を作り帰って行く。

列挙してみると小説のワンシーンのような一日でした。

人とあまり関わりたくないなあと思いながら日々過ごしているので、「寂しさは自業自得」と考えていた節があります。

自分の中で彼女の存在は救いに近かったことは確かです。私は自分のあまのじゃくを反省いたしました。

逆張りのような精神から見舞ってくれた友人に嫌なことを言ってしまったのだと思います。


それでも、この暖かい気持ちはいつまでも忘れたくないなと思い、今日のことはちゃんと日記に残しておこうと決めたのです。

私は葱を口に入れました。 



「え、固、全然煮込めてないやん何これ」

噛んでも噛んでも葱はグニグニと口内を踊るだけで一向に手応えがありません。

ようやく飲み込んでから、茶碗の残りを鍋に戻しました。明日煮込み直すことにします。


「エモい気持ちで今日を終わらせてほしかった…」

私は文字通り歯噛みしました。


「それは優しい温かい味をしていました。私は宝物のように味わい、また明日、友人に感謝の気持ちを伝えようと決めたのでした」とか書けばいい感じに日記を終われたはずなのです。


私は釈然としないまま、栄養ドリンクを飲んで横になりました。もうおとなしく熱が下がることだけを願って眠りにつきました。


頭痛はいつの間にか治まっていました。

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