第34話 最後の旅④
驚いて手首を見たけれど、特に変化は感じられない。
「なんで、そんなことがわかるんですか?」
「なんだかそんな気がしたんだ、サリリから聞いたかもしれないけど、僕のお母さんは、僕がお腹の中にいたときにずっとこの石をつけていたんだ、だからかな、なんだか今、石がそう思っているような、そんな気がしたんだよ」
私には石の気持ちはわからないけれど、レーアにそう言われると、そうなのかもしれないという気がしてくる。
「ここは、私がいる場所じゃないと……」
「君がそう思うなら、そうなのかもね、残念かもしれないけど」
周りの景色を見回してみる。ここは初めて来るところだけど、慣れ親しみつつあるこの世界の一部であることには変わりない。
私は、ここは私がいる場所ではないと思っているのだろうか。
今さっき初めて会ったばかりの人にそう言われて、あっさりそう思ってしまうような……、いや、レーアではなく、私が言ったので。とっさに「そんなことありません、私はずっとここにいるんで」と言い返さなかった。ここは私がいる場所ではないという言葉に、私の本心が含まれていないとは、とても言えない。
いつからそう思っていたのだろうか。
ここに来たばかりのときは、確かに驚いてすぐに馴染みはしなかったかもしれないけれど、ここのところ、すっかり、もうここにいることに違和感がなくなってきたはずだったのに……。そういえば、サリリも少年も、「ここは君がいるところじゃない」とは一言も言えなかったなと思った。言えば私が反発すると思っていたからだろう。でも、実際私は反発しなかった。
「ここにいられないんだとしても、私、向こうには戻りたくないんです、学校にはもう行きたくないんです。どうしたらいいですか?」
レーアは「耳が痛いな」と笑った。
「君は、これからどうしたいっていうのがあるのかな?」
「……特にありません」
レーアは、いつの間にか空になっていたコップに、お茶を注いだ。
「君はどちらかというと、僕に似ているというか……、でも僕と違って、行動力もあって、好奇心も旺盛で、旅をするのが大好きで、そういう子なのかなって思うんだけど、でも、僕の両親やサリリのように、それをずっと飽きずに続けていける人でもない気がする」
「どうしてですか?」
「さっき、そろそろ戻らないとねって言われて、実はちょっとほっとしなかった?」
そんなことない、と言おうとしたけれど、もしかしたらそんなこともあるかもしれない。実は、そろそろいいかなと思い始めているのだろうか。
「自分では決められないから人に決めてもらいたい、そういうときってあるよね、でも、本当は君の中では、どっちにするかわかっているんだと思う。サリリといるのはとても楽しいけれども、ずっとついていくのは大変そうだなって、もしかして思ってない?」
思わず頷いてしまう。
「サリリは君についていくことはないし、君にペースを合わせることもなく、これからもずっと、あくまで自分のペースでやっていくと思うんだ。今はまだ新鮮で楽しいけれども、これがずっと続くのには、けっこう大変なんじゃないかなよ」
「どうしてそんなことがわかるんですか?」
「あれから何度も何度も考えていたから、サリリと一緒に旅に出たらどうなっていたんだろうって」
レーアはちょっと黙ってから続けた。
「まあ、一緒に行けなかったのがあまりに残念で、自分を納得させるための言い訳が必要だったのかもしれないけどね」
そう言うと、寂しそうに笑った。
「君の家では、羊は飼っていないの?」
「飼ってないです。レーアさんは、今でも羊を飼っているんですか?」
「さすがに街では飼えないから、教師になる前に、譲る人を見つけてきたよ」
「旅に出るときには、だれも引き受けてくれなかったのに」
「今回はすぐに見つかった、むしろすごく欲しがってる人がいてね。まあ、これもタイミングなんだろうね
あたりは少しずつ薄暗くなっていた。冷たくなったお茶を、一気に飲み干した。
「ありがとうございました。会えて、よかったです」
「今度来るときには、サリリも連れて来てね」
無言のまま、にっこり笑う。
「あの、その鳩は、サリリの鳩なんですか?」
レーアは首を横に向けた。
「いや、さすがに鳩はそこまで長生きしないよ。子孫ではあるけど」
「ずっと肩にいるんですか? 鳩ってそういうものなんですか?」
「どちらかというと、僕がそういうものたと思っているから、そうしてくれているのかも」
私が頷くと、レーアは思いついたように、「さすがに授業中は載せてないよ」と言った。
そうして私たちは別れた。辺りは暗くなり始めていた。
市場へ行くと、店もだんだんと閉まりつつあった。街からは人も消えつつある。サリリはすぐに見つかった。
「レーアに会えた?」
「うん、レーアは元気だったよ。例の鳩の子孫だって鳩もいたよ」
「え、コトリさんの子孫? 会いたかったなあ」
サリリは、「ちょっと散歩して来る」と言った。ついて行こうとしたら、
「ごめん、ちょっと、一人で行きたいんだ」
と言って、一人で行ってしまった。
さっきレーアが言っていたことを思い出しながら、目についた屋台に入って、珍しく一人でご飯を食べた。いや、珍しくどころではない。ここに来てから、一人でご飯を食べたのは初めてだった。
なんだか急に寂しくなってきた。向こうにいたときはいつも一人だったから気にならなかったのに、ここが自分が元々いる世界でないからなのだろうか、一人だと心細くて、涙まで出てきそうだ。私はこんな子だっただろうか。
これからどうなるのだろう。あの山の上で、永遠に十五歳のままで、旅人の石のペースに合わせて旅行をして……、確かに、半年や一年くらいだったら、楽しく過ごせるかもしれない。でも、それがずっと続いたら、私はどうなっていくのか。もし年月が経って、将来もとの居場所へ帰ることがあったとしても、サリリがレーアに会えなかったように、私は誰にも会いに行けないのだ。
ついさっきレーアと会った学校へ行って、校庭のベンチに座った。今では校舎の電気も消えていたけど、夜だからといって門が閉まることもなく、門付近の外灯の明かりがついているせいか、新たに来た人たちがいた。私と同じ年ごろか、少し上くらいのカップルが何組か、ベンチに座って小声でなにやらささやきあっていた。
小さな町に明かりがともっていて、取り巻くような背の低い山がぼんやり光っている。まだ陽が沈み切っていないのかもしれない。
残った場合と、残らなかった場合の、メリット、デメリットを考えてみる。どちらを選んでも、同じくらいメリットもデメリットもあるように思える。
少し前までだったら、きっと残るほうが、点数が高かっただろう。同程度になりつつあるのは、あまり認めたくないけれど、私がこの世界に慣れて、満足し始めてしまっているからということもあるだろう。満足するのと飽きるのとは、紙一重なのかもしれない、あと一週間もいたら、さらに帰るほうに気持ちが傾いているかもしれない。
サリリがもし、私を探しにここに来てくれたら。そしたらもう、ここに残ることに決めてしまおうかと思ってみる。
空を見上げると、うっすら星が見えた。ちょっと前に、あの荒野のような村で見た星空と比べると星の数は少なかったけど、あっちの世界では絶対に見られないような星空だった。
流れ星がすーっと流れた。ずっと前に、バスの中で見た流れ星よりも、小さい気がした。
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