第33話 最後の旅③

「サリリも、一緒なの?」

サリリ、という響きに鳩が反応したような気がした。

「サリリに、言われたんです。レーア……先生が、元気にしているか見て来て欲しいって」

「サリリから、僕の話を聞いているんだね?」

「はい、少しだけ。まだこの町に電気が通っていないときに、一度来たことがあるって」

「そうだ、サリリが来たころは、まだ電気がなかったんだ。今じゃ信じられないけど」

 レーアは、立ち話もなんだからと言って歩き出した。歩きながら、サリリはなんで来ないのか聞かれたので、途中まで一緒だったけど、食べ過ぎておなかを壊してしまって、さっきバスの乗り換えをした街の名前を出して、そこの宿で休んでいると言った。

「君は今日はどうするの? ここに泊まるの?」

「街に戻ります、まだバスがあるので」

「一人で大丈夫なの?」

「サリリがバス停まで迎えにきてくれることになっているので」

「街にはいつまでいるんだい? 休みの日になったら、行ってみようかな」

「え、あの、明日には出発してしまうと思うので」

 レーアはちょっとの間無言になった。

「サリリは僕に会いたくないんだね」

「会いたいけれど……、もし病気だったら、うつったら大変だって」

 レーアはなにか言いたそうだったけど、私が困ると思ったのか、それ以上はなにも言わなかった。

 校内にはあまり人はいなくて、たとえすれ違っても特になにも言わなかった。旅人の石の効果で、ごまかせているのだろうか。

 空いている部屋につくと、レーアはお茶を淹れてくれた。ミントに少し香ばしいスパイスが加わったような、初めてだけど落ち着く味だった。

「さて、何から話したらいいのかな」

 レーアは十分大人だけれど、どこか神経質そうな様子に、十五歳の少年が見え隠れしているように思える。

「サリリってば、また来るって言いながら全然来ないから、どうしたのかと思ってたんだよ。とりあえず、生きてるようでよかったけど」

 レーアは頷いた。

「僕は、外の世界へ行きたかった。すごく外の世界へ行きたかったんだ」

 レーアは当時のことを思い出しているのか、懐かしそうに目を細める。

「サリリと出かけることにして、それから数日間、必死で羊の番をしてくれる人を探したんだ、でも引き受けてくれる人は見つからなかった。普段だったら、いくらでもいそうなものなんだけど、そのときに限ってみんないろいろと事情があってね。近隣の人みんなに聞いて、みんなに断られて。このまま羊を置いていってしまおうかと思ったけど、そうしたらそうしたで誰かしら仕方ないなと面倒を見てくれたとは思うんだけど、僕はそういうことができない性分なんだ。本当に、泣きたかったよ。でも、サリリには、今回は一緒に行けそうにないって言うしかなかった。まあ、今となっては、それが僕の運命だったんだと思う。僕は羊を見捨ててまで出かけることはできなかった、いや、そこまでしようとしなかったんだ。旅人になれる人って、そういうときでも潔く羊を捨てられる人なのかもしれないね。

 当時はかなり落ち込んだけど、今から思うと、僕はサリリと会えて、いつか外の世界へ行けるんだ、こうして行き来している人がいるんだからって、そういうのがわかっただけで、ある意味満足した部分があったのかもしれない。もっと先を見たい、もっとなにがあるのか知りたい、もっともっとって、きっと、サリリほどそうは思わないんだ。不思議なもんだよ、母親は旅人だったのに、そこまで冒険心がないんだよね」

「お父さんとお母さんは、どうしてるんですか?」

「今でも、二人で旅人をしてるよ。ここに電気が引かれてバスが通ってから、何度か来たよ。まあ、来てもいつもすぐに、どこかへ行ってしまうんだけどね」

「寂しくないですか?」

「どうだろう、いつか寂しいと思う日も来るのかな、でも、あまりに両親がいない生活に慣れてしまったから、そんなもんだと思っているけれど」

「私もそうなのかも……、もともと住んでいた場所や、家族と離れてそろそろひと月になるのに、今のところ、あまり寂しいって思えないんです」

 自然に出てきた言葉に、自分でも驚く。

「君はずっとサリリと一緒に旅をしてるの?」

「いいえ、山の上にサリリの家があって、そこにサリリの友達がいて、三人で暮らしているんです。たまに、こうしてバスに乗って旅行してるんです」

「サリリはどんな大人になったのかな……、今彼は、なにをしているの?」

「今も旅人をしています」

 大人にはなってないけど、と心のなかでつぶやく。

「そうか。君は、学校には行ってないの?」

「今は、学校は夏休みなんです」

 レーアは夏休みのことを知らないみたいだったので、説明した。まさか違う世界から来たとは言えないので、ここからけっこう遠いところではそういうきまりがあるのだ、くらいにしておいた。

説明しながら、久々に学校のことを思いだして、サリリと学校で過ごした日々のことを思い出していた。あれはまだ、二ヶ月と前くらいのことなのだ。今では私の周りはサリリばかりで、実はまだ会って間もない人だということをすっかり忘れていた。

 サリリの話を聞いているレーアを見ていると、なんだかレーアの頭の中も今、サリリでいっぱいになっているのではないかと思えてしまう。サリリは、会う人にそういう思いを抱かせる人なのだ。

「長いこと休んでいたんだね。じゃあ、そろそろ現実に戻らないといけないんだね」

 私が急に黙ってしまったので、レーアも不思議に思ったようだった。「何か悪いこと言っちゃったかな」などとは言わずに、どうして私が黙り込んだのか、じっと考えている様子だ。

「今が休みだなんて、誰が決めたんだろう」

 ふと、そんな言葉が口に出る。

「私にとっては、むしろ今こうしていろいろと旅をしているほうが、私が本来やるべきことのように思えるんです。学校にいた私のほうが、中途半端で、休んでたような、そんな気がするんですけど」

「なんとなくわかるよ」

 ほかの人からそんなことを言われたらけっこう頭にくると思うけど、相手がレーアだからなのか、本当にちょっとはわかってもらえてるかも、という気がする。

「君はひょっとして、旅人の石を持っているんじゃないの?」

 一呼吸おいてから、頷く。

「でも、旅人の石は、そろそろ君から離れようとしているんじゃないかな?」

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