第32話 最後の旅②


 サリリの顔を盗み見たけど、なにを思っているのか、ちょっとわからない。

「過去からタイムスリップしてきた人だと思われるかもね。それとも、幽霊だと思われるのかな」

 なんと答えていいのかわからなくて、黙ってしまう。

 バスは、前回来た町に着いた。

 サリリと一緒に街を歩く。前にも来た市場へまた行ってみる。

 前回立ち寄った楽器屋さんは、今日は閉まっているようだ。また寄れると思って楽しみにしていたのに、残念だ。

 ご飯のお店はやっていたので、私はまた落花生のスープを頼んだ。サリリは違うものを頼んで、見た目はおいしそうだけど、かなり辛いようで大変そうだった。

 サリリとこの町で過ごすのは最後になるのだろうか、それともまた来れるのだろうか。私はどうすればいいんだろう。

 街中で楽器を弾いている人がいたらいいなと思ったけど、特にいないようだった。もう一度あの楽器を見てみたかったなと思いながら、バスの乗り継ぎがいいようで、前回よりも早く街を去ることになった。

 今度は正しいバスに乗ると、あっけなく目的地に着いた。

 すぐに目的地に向かうのかと思ったら、サリリはどこへ向かうでもなく、やけに念入りに道端のお店を見回っているようにみえる。

「行かないの?」

「レーアには、有泉さん一人で会ってきてくれないかな」

「え?」

 サリリは、ちょっと目を反らして微笑んだ。

「僕は、やっぱりいいかなって。有泉さんは、レーアに会いたがってたよね?」

「それは、サリリが行くと思ってたから……」

「別に、会いたい人に会うのに僕がいるかどうかは関係ないんじゃないの?」

「でも私、その人の顔も知らないから、見つけられないよ。それに、知らない人となにを話したらいいの?」

「ちょっと、石を触らせて」

 サリリは石に触れた。私の手に触れた指先は、気のせいかひんやりしていた。

「レーアは学校の先生をしているみたい。放課後になったら、学校へ行ってみるといいよ」

「知らない人が入って、不審に思われないの?」

「僕が行くよりはましだよ」

 私が黙ったままでいると、サリリは一人で歩き始めた。

 サリリの後について町の中を少し歩くと、お店がある通りはすぐに終わってしまい、そのまま民家の中を歩いた。

 歩きながら、考えていた。あまり深く考えず、まあいいやと思って放っておいたことがたくさんあったけど、考えずにはいられなくなってきた。

 私がここにずっといることになったとしたら、サリリや少年と暮らすことになる。いつか出ていくことがあっても、少なくとも最初のうちはそうするだろう。そうして私も、もといた世界に帰る必要がなくなったら、やがてあの実を食べるかもしれない。それは、今まで知らない町へ行って新しい体験をしたような、見たことのない景色を見たり、会ったことのない人と会ったり、食べたことのなかったものを食べたりして、なんだか自分も少しずつ今までの自分が知らなかった自分になっていったような、そういうこととはまた違う次元の新しいことに思えた。

 一度向こうへ行ってしまったら、もう戻れない。私がこの世界に来て、山の上から下へ降りて、サリリや旅人の石の力を借りつつ旅をしていることや、少年の話を聞いたり料理を食べたり、そういうことをしているだけでも、それまでの日々とはけっこう違っていたけれど、実を食べることは、もっと大きく、今までの私とそれからの私を隔ててしまうものになる。

 サリリは、以前聞いた話によれば……当時は半ばおとぎ話のような気持ちで聞いていたし、今もそれをどの程度信じるかはなんとも言えないにしても、自分の意思を挟むまでもなかった、選ぶ余地はなかった。サリリにとって生きることは、あの場所に存在することで、樹の実を食べることで、食べたらどうなるか考えた上で選んだことではない。少年は自分で選んだ。食べたらどうなるか、その時点では知らなかったかもしれないけれど、なんとなくあの場所やあの樹が特殊であるということは、それまでの経験から感じ取れたと思う。彼はその上で選んだのだろう。

 私はどうなのか。このままこの世界にいたいとは思うけど、なにせまだあまり生きていないこともあって、年を取らないことに対するメリット、デメリット以前に、それがどういうことなのかよくわからない。十分に普通に生きてから選んだあの人とはわけが違う。

 いつかサリリと、このままの年齢で一緒にいることに飽きてしまうかもしれないことを思うと、それは嫌だった。だったら間もなく別れるのがいいのかと言われると、それも嫌だった。今はただ、このまま、今のままでいたいと思うだけだ。

もしそうできるのだったら、自分で選ぶのではなく、誰かが選んでくれたら楽なのに、と思う。

「有泉さん」

 サリリの声に、我に返る。

「アイス、食べない?」

「え、あ、食べる」

 サリリは道端でアイスを売っている女の人から、二本のアイスキャンディーを受け取った。あちらでよく食べていたものよりも大き目だ。こちらの人は、食いしん坊なのかもしれない。一本は白くて、もう一本はオレンジ色だ。

「どっちがいい?」

「ミルクとオレンジ?」

「そう」

「サリリはどっちがいい?」

「どっちでもいいよ」

 どっちでもいいよ、と心の中で繰り返しながら、ミルクにした。幾分、サリリの表情が輝いた気がした。

 私にいてほしいか、帰ってほしいかを選んでもらったら、なんて言うだろう。まあ、サリリならそういう大事なことは、私に選ばせる。自分がなにか言ったら私が迷うかもしれないことを知ったら、ますますなにかを訊いても答えてくれなくなるだろう。


 その人がレーアだということは、すぐにわかった。肩には鳩が載っていたけれど、それだけではなくて、サリリの話を聞きながら思い浮かべていた人がそのまま大人になったような人だった。大人になった彼も、ちょっとひょろっと痩せていて、内気そうで、でも打ち解けるとわりとすぐに笑顔を見せてくれそうな、そんな人に見えた。

 レーアは、庭の植物にホースで水やりしていた。

 草のようなものはなくて、木ばかりだ。ここはあまり雨が降らなさそうだから、日々水やりする必要があるのだろう。

 鳩を見たときにははっとしたけれど、鳩の羽がつやつやしていて、そんなに長生きしていそうにも見えなかった。彼がサリリのコトリさんを預かったのをきっかけに鳩が好きになって、今でも鳩を手なずけていると考えるほうが自然だろう。

 サリリの話から、もっと若い人のイメージが強くなっていたのでちょっとためらいながらも、だからこそ、声をかけることにした。

「あの、すみません、レーアさんですか?」

 私の声に振り向くと、彼は不思議そうな目をして、微笑んだ。

「君、何組の子? ……この学校の生徒じゃないよね? どこから来たの?」

「私は、誰も知らない国から来たんです」

 レーアの動きが止まった。手に持っていたホースから、既に濡れている地面に水が落ち続ける。

「もしかして、君……」

 なにも言えなくなって、私は小さくうなずいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る