第31話 最後の旅①
数日ぶりに山の上に戻ると、とっさに不在にしていたのは何日だったんだっけと思ってしまった。
ちょっとはっとするくらい景色が変わっていた。種を撒いたエリアが全面的にうっすらと緑に覆われていて、見慣れているところなのに、今までとは違って見えた。わくわくする景色になりつつあった。
少年にそう言うと、
「確かに、言われてみればそうかもね。毎日見てたから気づかなかった」
「もうそこまで水やりしなくても大丈夫そうだね」
サリリも微笑んだ。
「どうだった? あの島は」
「いろいろあって、今回は違う島へ行ったんだ」
「そうか、あの湖にはいろいろな島があるということだから、またそれも興味深かったことだろう。僕もいつか、違う島にも行ってみたいものだけど」
少年は忙しいようで、話は続かなかった。
あのガイドさんの話を思い出してしまう。あのときは気づかなかったけど、少年の話とかぶるところがある。二人とも、いろいろなタイミングが重なって、そこに旅人が現れて、人生が思わぬ方向へ進んでいった。少年は旅人に遭わなかったら、自分がいた町で法律関係の仕事についていたのだろうか。一度ある程度年をとったのに、こんな人里離れたところにたどり着いてまた少年に戻るだなんて、思ってもいなかったにもほどがある。
旅人は、そんなに人々の人生を大きく変えてしまうのだろうか? 確かに私もサリリと会わなければ、旅人の石と関わったりしなければ、ここには来ていなかったのだけど。
旅人の石といえば、サリリいわく、今回は石の回復がいつもより早いらしい。石もだんだんと、この状態になじんできているのかもしれない。
「あーあ、また出かけるんだ。なんだか、こう何度も何度も出掛けてるのを見てると、うらやましくなってくるなあ」
去り際に少年がつぶやいた。
「たまには、僕の代わりに行ってみる?」
「いいよ、だって今回は君の友達に会うんだろう。僕が行っても仕方がないじゃなよ」
「確かに、そうだね。でも君は、あれからずっと外に行ってないんだよね。飽きない?」
「飽きると言ったら飽きるけど、でも、今執筆が盛り上がってきてるところでね、中断したくないんだ」
「そうなんだ。じゃあ、頑張ってね」
そうして私たちは、また山の上を後にした。
いつものように暗いうちに家を出て、バスターミナルバスに着いた。
バスに乗りこんでほっとすると、なにか心残りがあるような気がしてきた。よく考えてみると、少年にお別れを言ったほうがよかったのかどうか迷って、けっきょく言わなかったことに気がついた。
日数的に、また戻ってくるのだと思うけど、もしかすると、もう戻らない可能性もあるのだ。それはつまり、私が今回の旅のどこかで「帰りたい」と思えるということなのだけど。
でも私はまたここに戻ってくるつもりで、彼にお別れを言わないだけでなく、山の上の風景も、私が育てている植物の様子も、さほどしっかり目に焼きつけてきてはいなかったし、特に心の中でお別れを言ったりもしていなかった。
悩んでも仕方ないことなのだろう。仮のお別れを言ったとしても、数日後にまた会っているかもしれない。先のことは、誰にもわからないのだ。
バスに乗っても、なんだか話をするような雰囲気にならない。
私たちは会ってからずっと、なにかしら話をしていて、たいていサリリが話していた。私はなにか話して、というばかりで、あまり自分の話はしてこなかったことに気づいた。
なんでだろう、サリリの話が面白すぎたからなのか、私がそれほど聞いてほしいような話がないからなのか、もしくは、サリリが私に「有泉さんの話も聞かせて」と言わないからなのか。
それはそうだ、私の話なんて聞いても、サリリはそれほど楽しくないだろう。だって、サリリのほうがたくさん生きていて、いろんなところへ行っていろんな人たちに会っているのだから、サリリの話のほうが面白いに決まっている。
私は今までなにをしてきたのだろう。普通に子供として過ごして、決められた通りに学校へ行っていて、淡々と日々を過ごしていた。なにも面白いことがなかったわけではないけれど、自分からあれをしたいこれをしたいと、なにをしたら楽しいのだろうと考えたり、面白そうなことをもってつっこんでやってみたりしたことはなかった。
いい子のようにしていれば、特に人から干渉されることもなく、怒られることもなく、ある程度自由にしていられた、私にあるのは、きっとそんな話くらいだ。サリリに話しても、「ふうん、大変そうだね」で片づけられてしまいそうだった。
「この間も、バス乗り場で、乗るバスを間違えなければ行けたんだもんね、なるほど」
「ついうっかりしちゃったけど、楽しかったね」
「うん、あれはあれで楽しかったね」
そう言ってはみたものの、いや、なにかが違うと思った。あれはあれで楽しかったんじゃなくて、あれが楽しかった、あの村へ行けたことが楽しかったのだ。予期せぬ場所へ行って、特に何かが起きたわけではなかったけれども、見知らぬ風景の中で、見知らぬ人たちと話した。二人で、それまで知らなかった世界をまた一つ、一緒に知った。普通にしていただけなのに、普通ではないことが起きていた、サリリにそう言いたかったけど、わざとらしく聞こえる気がして、やめておいた。
「モナムとレーア以外には、特に会いたい人はいないの?」
「そういうわけじゃないけど、なんでかな……」
サリリはちょっと考えた。
「あ、たぶん、また会おうねって言ってくれたのが、この二人だけだったんじゃないかな。僕は旅人だから、ほとんどの人はもう会えないだろうって初めから思われてることが多いのかもね。モナムもレーアも、会ったときは子供だったから、また簡単に会えるって思ってただけかもしれないけど」
道中のことを思い出してみたけれど、確かに、誰かに「また会おうね」と言われたことはなかった。いつもサリリと二人でいたので、偶然出会った誰かととても仲良くなるということも特になかったのだけど。
「あとは、あれだね、二人とも親が旅人だったってこともあって、普通の人よりも、僕のことを気にかけてくれていた気がする、大変だねって」
「そうなんだ」
今度は正しいバスに乗ったので、二時間ほどしてやはり薄暗くなってきたころに、レーアの住む町に着いた。ここは人も多くて、夜でもたくさんの灯りがあった。
「ずいぶん変わっちゃったな。前に来た時には、もっと静かなところだったんだけど」
「そんなにすぐに変わるもんなの?」
「すぐじゃないよ、十年くらい経ってるんじゃないかな」
「じゃあ、サリリがここに来たのは五歳のときだったの?」
サリリはこちらを向いて、私をじっと見た。
「言ったことなかったっけ、僕は、いつまで経っても十五歳のままなんだよ」
「あの樹の実があるから……」
「うん」
「前にモナムさんに会ったときに、モナムさんは私が想像していたよりもお姉さんだったのは、モナムさんとサリリが会ったのはけっこう前だったからってこと?」
「そう」
「モナムさんは、そういうの、気にしないの?」
「気にするけど、気にしなくなったっていうのかな、あれから一度会いに行ったんだよ、そのとき僕は、人が年をとるってことをあまり知らなくて、なにしろあの山でずっと一人でいたんだし、山を出てからも旅人をしていて同じところに留まっていなかったから、子供はいつまでも子供で、大人は生まれたときから大人、くらいにしか思ってなかったんだ。同い年に見えていたモナムが成長していたのを見て、すごく驚いた。それでモナムから、僕が年をとらないことは周りに言わないほうがいいって教わったんだ、そのことで特にまわりに迷惑をかけていなくても、気味悪がられていじめられたりするからって。モナムはたまたま納得してくれる人だったけど、レーアが僕のことをどう思うかは、なんとも言えないよ」
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