第28話 湖にある島④

「やっぱり、くるみとりんごの入ったケーキにすればよかったかな、いや、でもこっちもやっぱりおいしそうだし、そうか、両方買えばよかったのか……」

 バスに乗って席に座ったら、サリリがそんなことを言い始めたので、笑ってしまった。

 乗り換えたバスもそれなりに大きい。バスはいったん走り出すと、特に休憩もないまま走り続け、気づくと夕方になっていた。乗り物にずっと乗っているような、半ば強制的にずっと外を見ているときでないと、日中から夕方へ、さらに夜へとの移り変わりをずっと目で追うようなことはなんてない。空の色が徐々に変わっていく様子を飽きずに見続ける。

 バスはゆるやかに、着実に山の中へと進んでいく。もう十分奥へ来たように思うのに、さらに奥がある。一体どこまで続いているのか。いつの間にか夜になり、外灯も全然ない中で、バスの灯りだけが辺りを照らしている。夜になってしまうと、もう景色もあまり見えない中で、ときおり山の黒い影がうっすら見えた。

 バスはこのまま夜通し走り続けるようだ。目的地に着くのは、明日の朝らしい。

 隣を見ると、サリリは気持ちよさそうに寝ている。この人は、どんなところでもすぐに寝られる。これは特技と言ってもよさそうだ。

 夜空がどんな感じなのか気になって、カーテンと窓との間に頭を挟んで、空を見上げてみる。あっと驚くほどの、たくさんの星が見える。室内は湿気がこもっているせいか、窓ガラスが曇っているので、実際に見えるよりも、全然見えないはずだ。窓をさっと拭いてみても、またすぐに曇ってしまうので、思うような空を見るのは難しい。

 この夜空を、もしテレビで見ているだけならあきらめもつくのに、こうして、本当はすぐそこに、窓を一枚外せば星があるのにちゃんと見えなくて、ちょっと腹立たしかった。

 大人になったら、こういう山奥でテントを張って星を見たりできるのだろうか。でも一人だと危なさそうだ。星を見るためだったらもうどうなってもいいやという気持ちになるようでないと、そういうことはできない気がする。死んでもいいから星空を一晩中眺めていたいという、そう思うことは、この先私にあるのだろうか。

 眠くなってきたので、カーテンの内側に頭を戻して、背もたれに体重を預ける。夜行バスの中で寝るのは初めてだけど、サリリが隣にいるから、安心して眠れそうだった。

 カーテンの外が明るくなってきて、目が覚めた。

 カーテンを開けると、昨日の曲がりくねった道とは違って、比較的平らな道を走っている。昨日窓から見たところよりも、もっと山の上に来たはずなのに、ここの景色はなぜか山の下で見た景色と似ている。ぽつりと人の住んでいる家があって、家畜を放牧している広い草原がある。人が住んでいる気配が感じられるようになってきている。

 私はずっと寝ていただけでなにもしていないのに、知らない間にすっかり遠くにきてしまっていた。雰囲気ががらっと変わっただけでそれほど遠くではないのかもしれないけれど。ここは一体どこなんだろう。

「ここは、どこなの?」

「さあ知らないけど、あと一時間くらいで着くって」

 ただ座っているだけで目的地についてしまうだなんて、なんというか、達成感がない。かと言って、ずっと歩けと言われてもそれはそれで困るけれども。

 乗務員のお兄さんが、ワゴンを押しながらやってきた。前の人から順に、なにかを配り始める。なにか食べるものを配っているようだ。

「有泉さん、あのね、サンドイッチは選ばないほうがいいかも」

 サリリは私に耳打ちする。

「なんで?」

「ちゃんと冷蔵庫で冷やしてるかどうかわからないから。悪くなってると困るし。僕、前にあたったことあるんだよね」

「そうなの? でも、なんのメニューがあるかもわかってないんだけど……」

「じゃあ、僕が頼んじゃっていいかな?」

 やがて乗務員さんがやってくると、サリリはなにか話したあと、包みを二つ受け取った。

「試しに二種類もらったよ。ニンジンのケーキと、りんごのケーキ、どっちがいい?」

「あたらないほうがいい」

「ケーキは大丈夫だよ。ハムとかチーズとか、そういうのが入ってなければ」

 サービスで出してもらう食べ物まで、大丈夫かどうか考えないとは、なかなか大変だ。

「あれ、これ、昨日の……」

「うん、たぶんあの店で仕入れたんだと思う。昨日のものだけど、しっかり焼いてあるから大丈夫だよ」

「よかった、いろんな種類があったから、ほかのも気になってたんだ」

「じゃあ、半分こしようか」

「うん!」

 どちらともおいしかったけど、私は、甘みの強いりんごのケーキのほうが好きだった。もう少し大人になったら、スパイスが効いているニンジンのケーキのほうがおいしいと思う日も来るかもしれないけれど。思いがけず、どちらも食べられたのでうれしかった。

 またしばらくすると、今度は、それまで見えていたものよりも、しっかりした雰囲気の家が見えてきた。家が増えてきたと思ったら、あっという間に、バスは街の中を走っていた。

「唐突に街が出てくるよね、山の中にいたのに」

「僕は、有泉さんのいたとこみたいに、どこまでいっても家が途切れないところのほうが、驚いたけど。まあ、向こうでは、それほどいろんなところに行けたわけじゃないけど」

 バスを降りると、たくさんの人が道端に座って軽食を売っている。スイートポテトのような食べ物を指して、「あれ、なあに?」とサリリに訊いてみる。

「ジャガイモをつぶして作った生地で、ひき肉や細かくした野菜をいためて味付けしたものを包んで、さっと多めの油で焼いたものだと思う」

「へえ、詳しいね」

「お世話になった家で作ってもらったことがあるんだ。すごくおいしかったよ。食べる?」

「うん」

 サリリはさっとその人のブースの前に行き、買ってきたくれた。

「あれ、三個?」

「僕、二個食べようと思って……、有泉さんも、二個ほしかった?」

「うーん、ほしくないわけでもないけど……、でも、朝からそんなには無理かな……」

「じゃあ、この一個は半分にする?」

「うん!」

 朝からすっかり満腹になってしまった。山の上にいたときにはそれほど積極的に食べることはないけれど、こうしておいしそうなものが次から次へと現れると、食べるのがとても楽しい。

 道ゆく人に訊きながら港へ行くと、私たちが乗りたかった船は、今日の分はもう出てしまったことがわかった。

「でも、違う島へ行く船はまだ出てないんだって。そっちに乗ってみる?」

「そうだね」

 その船も出る直前のようで、係の人が私たちに急ぐよう合図した。急いで乗りこむと、たちまち出発した。それなりに人気のある場所なのか、数十人乗りの座席はほぼ満席だった。

 甲板に出ると、みんなとは違う雰囲気の服を着ている女の人がいた。すごく日焼けしていて、白いシャツを着て、緑のスカートをはいている。バッグは持っていなくて、華やかな風呂敷に荷物を包んでいる。

「あの人は、なんで席に座っていないの?」

「島の人だから、ただで乗せてもらってるのかも」

「席が余っているんだから、こっちに来ればいいのに」

「一人で景色を見てるほうが気楽なのかもよ」

 サリリはちょっと静かになった。

「僕もさっきから外へ行きたいんだけど、あの人のじゃまになっちゃうかなと思って、様子をうかがってたんだ。二人で試しに行ってみようか?」

 そうして、私たちは外に出た。彼女は、船の後ろで体育座りをして、過ぎゆく景色を見ている。確かに、なんだか声をかけにくい。サリリがさりげなく「こんにちは」と言ったけど、表情も変えないまま「こんにちは」と返された。サリリは一生懸命話を続けようとしていたけど、会話は続きそうになかった。

 サリリは席に戻ってくると、

「たぶん、あの人、島の人以外と話すことがあんまりないんじゃないかな」

「そうなの?」

「きっと島には島の言葉があって、普段は島の言葉を話してるから、外の人と話すのに慣れていないんだよ。僕の言ってること、あんまりわかってないみたいだった。あーあ、僕も旅人の石があれば、もう少し話ができたのかな」

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