第27話 湖にある島③

 おじいさんは「そうか」と言って頷いた。二人がなにを話そうとしているのか、予想がついているかのように見えた。

「僕は、この人と旅に出ます」

 それを聞くと、お祖母さんは、涙ぐんだ。

「とうとうおまえも行ってしまうんだな」

「僕は、お父さんとお母さんに会いたいんだ」レーアは言った。「会って再会を喜びたいわけじゃないよ、なんで僕を捨てたのか、外の世界にはそんなに素晴らしいものがあったのか知りたいんだ。まあ、今更もうどうでもいいんたけど、彼と一緒なら、それができそうだからさ、まあ、たまにはいいかなと思ってさ……」

 おじいさんとおばあさんは顔を見合わせた。やがて、おじいさんが口を開いた。

「実は、二人はお前を捨てたわけではないんだ。二人がどうしても旅に出ると言ってきかないから、私が無理やり置いていくよう仕向けたんだ。どうしても折れない二人に、この子が死んでもいいのかと脅して、言い返せないようにしたんだ」

「え……」

 おじいさんは、「本当のことを話さないといけないときがきたようだな」と言った。

 レーアのお母さんは、レーアが大きくなるにつれ、不安そうな表情を見せることが多くなってきた。お父さんはとても心配していたが、どうしたのと尋ねても、知らない振り続けた。

 とうとうある日、レーアの父は二人のところに来ると、信じられないような話を始めた。

 レーアの母親は、実は旅人だった。なんだか面白そうだという思いから旅人の石を引き継ぎ、一人で旅をしたのはたった十日だけだった。この町に来たときも、斜面からうっかり足を滑らせて骨折し、偶然通りかかった村の人に助けてもらったのがきっかけだったという、あまり旅人には向かない性質の人だった。思っていたのと勝手が違い、早いところ石を誰かに譲らなければと思っているうちに、ここに落ち着いてしまい、子供が生まれたのだった。

 旅人の石は旅をする人のためのものなので、石を持つものは、四年以上一つの場所にとどまることができないとされている。四年を過ぎると、周囲に災いが起こり始めるのだ。そうして、彼女がここに来てから、そろそろその四年が経とうとしていた。

 うっかり者の彼女を一人で行かせるわけにはいかないので、レーアの父親も一緒に旅に出ることにした。どこかでうまいこと石を引き継いでくれる人を見つけ、そうしたら二人はまたここに帰ってくるつもりだと言った。レーアも連れていきたかったが、祖父がそれを許さなかったのは、先ほどの話の通りである。

「しかし、あの山をどうやって越えるつもりなんだ?」

「大丈夫、僕にはできます」

 おじいさんは黙ったままでいた。きっと、息子はそれほど向こう見ずではないので、なにか策があるのだろうと、納得することにした。

「お前はあいつの息子だから、なんとかすることだろうよ。いつ出かけるんだい? まあ、いつでもいいけれど、羊の面倒を見てくれる人はお前が探しなさい。私がもう少し若かったら力になってやれるのだろうけれども、今の私には羊の世話は無理だ。それだけは頼むよ」

「わかりました」

 そうして、二人は旅に出ることになった。


「それで、一緒に旅をしたんだ」

「ううん、レーアは行かなかったんだ」

「え、なんで?」

「羊の世話をしてくれる人が見つからなかったんだよ」

 私が黙ったままでいると、サリリは「よくある話だよ」と言った。

「じゃあ、サリリは一人で山を越えたの? お祖父さんがそんなに難しいって言ってた……、けっきょくどうだったの?」

「前にも言ったかもしれないけれど、その山って、けっきょく幻なんだよね。旅人の石をつけていると、近くまで歩いて行けば山は見えなくなって、ただ平地を歩いているだけになるんだ」

「石を持ってない人が近づくと、どうなるの?」

「僕は石を持たないで旅したことはないからわからないけど、歩いても歩いても山が遠ざかっていくから、そのうち疲れてやめちゃうとか、道に沿って歩いていたらいつの間にか山から逸れていくとか、なかなか山には近づけないらしいね。でも、最近では、前よりも山のことは問題にならなくなりつつあるんだ。どういうわけかよくわからないけど、電気が引かれると、だんだんと山の影響がなくなるというか、山が見えなくなっていくというか、そうなってるみたいで。

 夜明るくなると、今まで見えなかったものが見えるようになると同時に、見えていたものも見えなくなるみたいだね。星みたいなものなのかな。レーアの町も、昔は旅人とか、そういう特別な人じゃないとなかなかたどり着けなかったらしいんだけど、今はバスで行けるんだよ」

 目指すところはけっこう遠くにあるようで、まだまだ、中間地点にも来ていないようだ。距離があるだけでなく、坂道やくねくねした道が多くて、バスがゆっくりしか進めないせいのもあるのかもしれない。

 バスの本数も少ないらしくて、ようやくたどりついた途中のバス停では、次のバスが来るまで何時間も待った。バス停のある町はそこそこ大きくはあったけど、特にきれいな町並みというわけでもなくて、なんだかがやがやしている。あえて外に出て散歩したくなるような雰囲気ではない。

「今まで訪れたようなすごく小さな村とか、あとはもっと大きくて、観光客が多いところだったらいいんだけど、こういう、中途半端な大きさの町って、注意が必要な場合が多いんだ。むやみやたらに歩き回ると、泥棒に遭ったりするし、あと、知らないうちに人の土地の中を歩いていて、怒られちゃったりするんだよね。怒られるだけならいいんだけど、罰金を払えって言われたり、捕まっちゃったりすることもないとは言えない。特にこういうところだと、本当に地元の人しかいないから、地元の人しか知らないルールがたくさんあったりするんだよ。そういうところでは、ルールを知らないよその人が勝手に町の中でなにかするのをとても嫌がったりする場合もあって……、まあ、場所によるんだけどね。

 だから、ここでは外に行かないほうがいいんじゃないかな。バス停の中にいよう」

 バス停の周りはぐるりと柵で囲われていて、外の人は警備員のいる門を通らないと中に入れないようになっていた。

 中にはいくつか売店があって、飲み物やパウンドケーキが売られている。お店や工場で作ったというよりも、町のちょっとお菓子を作るのが得意な人が、自分の家で作って持ってきているような雰囲気だ。ラップで軽く包んであるだけで、ラベルもない。私が座って荷物を見ている間に、サリリか二人分の軽食を買ってきてくれた。

 オレンジピールと細かいチョコレートが入ったケーキは、私が買いに行ったら多分選んでいなかっただろう。私はくるみだとか、木の実が好きなので、木の実が入ったものを買ったと思う。たまには人に食べるものも選んでもらうのも面白い。

ミルクの入ったコーヒーを飲みながら、ケーキを食べる。バスの中ではけっこう話していたのに、動かないところに座っていると、二人とも無言になりがちだ。あるいは、バス停は人の出入りがさかんだから、なんとなく人の出入りを見ていると、それだけでなんとなく時間が経ってしまうのかもしれない。

 このバス停は、山の中だからなのか、この地域にずっと住んでいる人たちが多いようだ。見る人見る人、どこかしら、服装や髪型が似通っている。若い女の人が、赤ちゃんを布にくるんでおんぶしているのもよく見かける。私よりもほんの少しだけ年が上に見える人も、背中に赤ちゃんを背負っている。

 私にはきっと、あの若い女の人のように、早く結婚して子供を産んでずっと同じところで暮らしてという、そういう生活は合わないのではないかと思う。もっと移動し続けて、自分がどこにいるのか、自分が誰なのかがどんどん変化していくような、たとえば今回こっちに来てからの日々のような、そんな生活を選ぶのではないかと思う。そんなことを考えていると、やがてバスが出る時間になった。



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