第26話 湖にある島②


 鳩は怒っているのか、反応しようとしない。

「この鳥、コトリっていう名前なんだ。そして君は誰なの?」

「僕は、サリリ。誰も知らない国から来たんだ」

 少年は、ただ首をかしげた。

「コトリさんは、僕の友達なんだ」

「そうなの? 全然君に関心を示さないみたいだけど」

 しかし、サリリが近づくと、関心がないのではなく、機嫌を損ねているのだろうということがわかってきた。

「けんかでもしたの?」

「うん、僕、コトリさんのいうことを聞かなかったから」

「普通、鳥の言ってることはわからないと思うよ」

「そうだけど、でもわからないなりに、もっとなにを考えてるのか、察してあげないといけなかったんだ。僕たちは、友達なんだから」

 鳩はその言葉を聞いくと、仕方ないなとでもいうように、ようやくサリリに目を向けた。

 少年は羊飼いだった。夜、外に出てみると、鳩が家の近くの地面で動けなくなっていた。鳥目だからよく見えないんだと思って近寄ると、人を怖がらないようで逃げもしない。そっと拾い上げると、鳩は少年の腕に止まり、そのまま懐いてしまった。何気なく笛を吹いてやると、鳩は喜んだように思えた。それでついつい、時が経つのも忘れて笛を吹き続けたのだった。

「僕は一人で暮らしてるんだ」少年は言った、「よかったら、泊まってきなよ。疲れているだろう」

 サリリはにっこり笑った。寝床に案内されるやいなや、すぐに眠りについてしまった。

 翌日目を覚ますと、太陽はとっくの昔に空に昇っていたようだった。

「よく眠ってたね」

「うん」

「何か食べるかい?」

「うん!」

 少年は「ちょっと待っていてね」と言いながら支度を始めた。

 レーアは朝早くから家を出て、遠くまで歩いて、羊を放牧していた。今日はサリリが寝ていたので、まだ出かけていなかったようだ。

 羊を大切そうに見つめるレーアの目は、またどこか虚ろに見える。普段だったら、サリリはそこまで気づかなかったかもしれない。しかし、旅人の石をつけていると、普段は気にならないような細かいところに気がつくようになるのだ。レーアの目は、どうもいつも、はるか遠くを眺めているようだった。サリリには、それが見えた。

「どうしたの?」

 サリリの言葉にレーアは我に返り、いかにも人の好い笑みを浮かべた。

「君はいつまでここにいるの?」

 サリリは首を傾げて、「うーん」と言う。

「いや、早く帰ってって言うんじゃないんだ。いつまでいても大丈夫だよ。僕は、昼間は羊の世話をしているけれど、それ以外に特に用事もないし、ここは山の上で眺めもいいし、好きなだけゆっくりしてていいよ」

 みんな親切だなとサリリは思った。知らない人が好きなだけふらふらしているほど食べる物に余裕がある家ばかりではないことくらい、サリリのもわかる。もしかすると、旅人の石をつけていると、自然とみんなが優しくしてくれるようになるのだろうか。

「まあ、好きにしてるといいよ。じゃあ、僕はまた夕方帰って来るから」

 レーアはそう言って出かけて行った。

 レーアが去ってから、サリリは一緒に連れて行ってもらえばよかったかなと思った。でも、レーアは特に声をかけなかったし、自分はそんなに歩くのは早くないから、足手まといになってもなんだしなと思った。

 サリリが外に出ると、遠くに山が見えた。あたりは岩が多くて、景色はとてもきれいだけど、たくさんの人が住みたがるような場所ではなさそうだった。

 夜になって夕飯が済むと、サリリはレーアに告げた。

「レーア、僕、明日出発するよ」

 レーアは無言でサリリを見つめた。怒るのを一生懸命我慢しているような顔をしていた。

「ずいぶんと急なんだね」

 ようやく一言、絞り出すように言った。

「僕は旅人なんだ」

 レーアは頷きながらお茶を啜る。

「僕は旅人って苦手なんだ。いいよね、好きなときにふらふら好きなところへ行けて」

「旅人ってそういうものだから」

 レーアはため息をついた。

「なんで僕の周りの人たちって、みんなこうなんだろう」

 レーアがなにか続けたそうに見えたので、サリリは黙っていた。

「僕の両親も、旅人になってどっか行っちゃったんだよ、……僕を捨ててね」

 レーアは窓の外を眺めた。

「あの山は、この辺りでは近づいてはいけないとされている神聖な山なんだ。でも、僕の両親はあの山を越えると言って、出て行ってしまった。みんな、多分もう生きてはいないだろうって言ってるよ」

「君の両親は、なんであの山の向こうへ行きたいって思ったの?」

「さあね、なにもかも嫌になったんじゃないの」

 サリリも窓の外を眺めた。

 レーアの家は、古くからこの地で羊飼いをしていた。朝は日の出とともに起き、夜は月光を浴びながら眠った。そうやってレーアの家族はずっと生きてきた。レーアの父親も、自分もずっとそうやって生きて行くのだろうと思っていた。

 ある日、山の向こうから旅の娘がやってきて、レーアの父親は変わった。

 二人は一緒に住むようになり、間もなくレーアが生まれた。二人は、この地で今まで先祖がそうしてきたように、羊を飼いながら穏やかに暮らしていくはずだった。 

 しかし、ある日突然、二人は村を去った。朝レーアが目覚めると、すでに二人の姿はなかった。一人残されたレーアは、当時同居していた祖父母に育てられた。

「お父さんとお母さんの置手紙にはこう書いてあったんだ。『我々は山の向こうへ行ってきます。どうしても山を越えて向こうへいかなければいけないのです』と。心中だとか駆け落ちだとか、みんな僕がいないところでは好き勝手なことを言っていたらしい。あまり話題のないところだから、そういう話があると、みんな喜ぶんだ。おじいさんとおばあさんは、二人の結婚に反対したことなんて一度もなかったのに、あらぬ噂をたてられた。

 けっきょく、なんで二人が出て行ったのかわからないけど、一つだけ確かなことがある。僕は捨てられたんだよ」

 サリリはしばらく黙っていたけれど、やがて口を開いた。

「でも、君のお父さんたちの気持ちもわかるな」

「なんで?」

「だって、毎日あの山を見ていたら、あの向こうに何があるのか気になって、行ってみたくなってしまうもの。僕だったら、やっぱり出かけてしまうんじゃないかな。他の人たちは、よくそう思わなかったよね」

「あの山には、近づくことすら禁じられているんだよ。近づくだけでよくないことが起こるんだって」

「でも、君のお父さんたちは、きっと越えたんだよね?」

「そんなの、無理だよ」

「じゃあ、お父さんたちは死んじゃったの?」

「そんなこと、知らないよ」

「考えたことはないの?」

「考えたって仕方ないよ、虚しくなるだけだ」

 サリリは窓の外に目をやった。

「君のお母さんはどこから来たの? 空から舞い降りてきたのかな? あの山の向こうから来たんじゃないの?」

 レーアは息を飲んだ。

「君もあの山の向こうから来たんだよね? どうやって来たの?」

 サリリはにっこり笑った。

「君もあの山の向こうへ行ってみたいと思わない?」

「行けるものなら」

 サリリは「おやすみ」と言ってレーアを残すと、自分の寝床へと去って行った。

 翌朝サリリが起きると、レーアはベーコンエッグを作っていた。仕度を終わると、パンに載せて食べた。

「こんかおいしいもの、初めて食べたよ」

 ベーコンエッグは比較的若い人たちが好むもののようで、サリリはこれまで比較的年配の人に世話になることが多かったので、口にする機会がなかったのだ。

 朝食を終えると、サリリとレーアは、レーアの祖父母に会うために町へ降りて行った。

「今日は話かあってきました」

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