第21話 どこへ……どこかへ②

「こういう弦楽器を持ちながら旅して、即興で歌を作ったりして、お金をもらいながら旅ができたら楽しそうだよね」

 楽器を抱えていると、ふとそんな言葉が口から出た。

「楽器、やってみたいな。でも僕、なかなか集中力がないんだよね」

 私たちが見事になにもできないので、見かねた店員さんはサリリに楽器を渡すように言うと、さっと弾き始めた。

 音楽の時間に習ったような聞き覚えのある和音に似てもいるけれど、微妙に調弦がずれているのか、もしくはそういう調弦なのか、初めて聞くような、不思議な響きだ。ただ、しゃんしゃんと弾いているだけに見えるのに、メロディも聴こえる。和音の中に隠れたメロディを、懸命に耳で追う。

 これはどういったものなんだろう。

 この土地に古くから伝わる曲なのか、彼が作った曲なのか、それとも最近はやっている曲なのか。いずれにしても、ここでの空気、人と会うこと、ここにいる人たちの暮らしの積み重ねがあって初めて聴ける曲なのだとしたら、私はこれを聞いたことによって、少しはこの土地について、より知ることができたと思っていいのだろうか。お店の人とはろくに話もできなかったけど、なんだかいろいろなことを話したような気がした。

 去り際にサリリは、名残惜しそうに楽器の弦をさらさら撫でた。旅行に持っていきたそうだった。でもサリリは自分が飽きっぽいことも知っているから、すぐに触らなくなって、ただの荷物になってしまうこともわかっているようだった。ちゃんと弾いてくれる人に選ばれたほうが、楽器にとって幸せなのだ。

「これから会いに行く僕の友達も、楽器が好きなんだ。笛を吹くんだよ」

「あ、もしかして、レーアに会うの?」

「うん」

 この一言で、ようやく、今回の旅行の目的がわかった。

 そろそろおなかも空いてきたので、ご飯を食べることにした。

 屋台でご飯を食べるのも、私にとっては新鮮だ。建物の中の、ちょっと広くなって、窓も広くて光がよく入るところに、フードコートを簡素にしたようなスペースがある。キャンプに持っていくような、簡易な白いテーブルと椅子が置いてある。近くに屋台が二軒あって、どちらで買ったものでも、ここで食べていいようだ。

 調理スペースがほとんどなくて、家であらかた調理したものをここまで持ってきて、ここでは温めているだけのようだ。屋台には、特に看板もない。来るのは常連さんばかりなのかもしれない。

 日当たりがいいほうのお店へ行って、今日のメニューを注文する。

 最初に出てきたのは、スープだった。一口飲んで、びっくりした。

 少年の料理もそれはそれでおいしかったし、モナムの家で出してもらったものもそれなりにおいしくはあったのだけど、料理を人に提供することを仕事にしている人の作るものを久しぶりに食べたからか、あまりにもおいしくて、茫然としてしまった。私があまりに驚いていたせいか、口に合わないのかと、お店の人に心配された。私がおいしくて驚いたのだと言うと、彼女は笑った。

「これは、落花生のスープよ」

 落花生だとは想像もつかないような、ミルクでも入っているかのような、優しくてなめらかな味だった。

 なめらかなスープに、細かく刻んだ野菜がたくさん入っていて、つぶつぶしている。こういうところは、よく少年が作ってくれたスープと似ている。けれど、少年のスープよりも具が多いし、各食材の組み合わせ方を、きっちり考えているように思える。毎日たくさん作って、しかも飽きられないように工夫している人の味だと思った。

 続いて、焼いた肉に、炒めた玉ねぎのみじん切りがたっぷりかかったものが出てくる。初めて食べた香辛料の味がとても新鮮で、確かめようとしているうちに、あっという間になくなった。

「有泉さん、楽しそうだね」

「今まで知らなかった味を知るのって、楽しいよね」

「うん。やっぱり、旅って楽しいね」

 お昼ご飯を食べ終えると、屋台で鈴カステラや綿あめを買った。

 向こうでも、今ごろは夏祭りが開催されているのだろうかとふと思う。屋台でこんなお菓子が売られているのだろうか。

 こちらにある屋台は向こうのものと比べると簡素なもので、カラフルなテントもないし、キャラクターの包装紙でお菓子が包まれているわけでもない。よく縁日で見ていたもののように立派な装飾はないけど、私にとってはこれくらいのほうが親しみが持てる。

 店番をしている子供たちの中には、私たちより小さい子供もちらほらいる。

「あの子たち、学校には行かないのかな?」

「場所によっては、行ってる余裕がないところもあるからね」

うろうろするのもそろそろいいかなというくらい歩き回って、そろそろいい時間になってきたので、ミニバスの出発地点へと向かった。

 ミニバスが走り出した。またサリリの話が聞けると思うとうきうきしてくる。

「バスに乗るの、久しぶりだね。なんか面白いお話はないの?」

「有泉さんがどういうことを面白いと思うのか、僕、すごく知ってるわけではないんだよね」

「サリリの話はなんでも面白いから、なんでもいいよ。あ、そうだ、レーアの話をしてもらわないと。会いに行くのに、どういう人なのか全然知らないんだから」

「そうだねえ、レーアねえ」

 サリリは、景色の中に話すことをがあるかのように、窓の外をいやに真剣に見ている。

「僕、重大なミスを犯したような気がしてきた」

「いいよ、重大なミスなんて。話を聞きたいよ」

「乗るバスを間違えたって言っても、そう言ってられる?」

 バスに乗ってから、陽は沈む準備を始めたようで、辺りは明らかに暗くなっている。街を離れると街灯が徐々に減って、家も減って、風景は寂しくなっていく一方だ。それでもまったく不安を感じなかったのは、サリリの友達に会いに行くんだと思って、そのことを信じて疑わなかったからだった。

 それが、実はどこへ向かっているかわからないと聞いて、突然、お腹がずどんと落ちるような不安を覚えた。

「私たち、どこへ向かってるの?」

 サリリは隣の人に、さりげなく何かを話しかけた。彼が答えると、微笑みながらお礼を言った。

「僕も全然知らないところに向かってるみたい」

「ええ! どうすればいいの、とりあえず下ろしてもらう?」

「こんな平原しかいないところに下されても、困るよ。とりあえず、目的地まで行くしかないんじゃないかな。一応、どこか町へと向かっているはずだから、着いたら雨風をしのげる家はあると思う」

 雨風をしのげる家だなんて、物語かなにかの中でしか耳にしないような言い方だ。藁の家くらいは期待してもいいのか、それとも、さらに想像を超えたような家なのか。

「泊めてもらえるのかな?」

「運転手さんだって、ほかの人たちだって、まさか野宿するわけじゃないだろうし。人が暮らしてるところに行くんだから、ちょっとくらいなら、どこかしらには泊まれせてもらえるはずだよ」

「相手が怖い人や悪い人で、だまされたりしたらどうするの?」

「旅人の石があるから、それほど致命的なことにはならないと思うけど……」

 だんだん不安が大きくなってきた。

 サリリに腹を立てたり、全部任せっきりにしてしまった自分に腹が立ったり、平静を装いながらも実は泣きそうなのは確かだ。それでも今の状況はとっても楽しいなと、そういう気持ちもどこかに感じられる。今気を抜いたら、もしかすると私は、泣き出すのではなく笑い出すかもしれない。

 これも旅人の石の作用なんだろうか。なにが起こるかわからないけど、命まで取られるわけじゃない。なにが待ち受けているのか、わくわくしたほうが得だ、そう思えるようになっている。ただ毎日学校に通っていたころには、全然知らなかった気持ちだった。

「レーアは、心配しないかな?」

「レーアの連絡先は結局わからなかったから、行くって言ってないんだ。だから、心配される心配はいらないよ」

 いいんだか悪いんだか、わからない。

 さすがのサリリも、ちょっと動揺しているように見える。いつも余裕たっぷりだから、そんなサリリを見るのは新鮮だ。

 空はすっかり暗くなっていたけれど、窓ガラスにほこりがたまっていて、空がよく見えない。

 それでもしつこくじーっと見ていたら、空は根負けしたのか、流れ星を一つだけ見せてくれた。

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