第18話 再び山の上④

「この国には、旅人がたくさんいるの?」

「旅人も他の職業と同じで、ある程度の人数はいる。そして、継いでいくものになっている。

 その旅人はまだ若かった。彼もまた、誰かから旅人という職業を継いだのだけど、ある程度楽しく旅して新鮮味がなくなってくると、もはや自分はそれほど旅が好きだったわけではないことに気づいたらしいんだ。

 彼と私は、偶然話をすることになった。普段私は勉強が忙しくて、あまり遊びにでかけることはなかったんだけど、その日は私にしては珍しく簡単なはずのテストができなくて、面白くない気分だったんだ。それが私の運命を変えることになった。

 家に帰りたくなかったけど、夕飯はどのみち家で食べないといけない。ほんの数十分でもいいから、普段とは違う場所で気分を変えたくて、喫茶店に入ってみた。あいにく満席で、帰ろうとしたら、彼が合席を勧めてくれたんだ。

 我々はすぐに打ち解けた。いつも勉強ばかりしていた私には、旅の話があまりに面白くて、それに比べて自分の日常はなんてつまらないのだろうと思ってしまって、彼にそのことを話した。

 そしたら彼は、実は自分は法律の勉強がしたいのだと言った。行く先々で、法の知識がないために余計な苦労をしている人たちを見てきて、法を教えたり、法の知識のない人たちを助けたり、そういうことに関わりたいのだと、旅よりもそういうことを自分はしたいのだと、彼は言ったんだ。そんな話をしているうちに、私は旅人になろうと決めていた」

「なろうと思ってなれるものなの?」

「ああ、彼と入れ替わったんだ。旅人の石を使ってね。小さい村だったから、村人たち全員に、彼を私だと思い込ませることは可能だった。

彼も、まだ若かったからね。十五歳くらいだったんじゃないかな。さすがに二十歳だとか,それくらいになっていたら、誤魔化すのは無理だったかもしれないけど。

 そうして私は、旅人になったんだ」

 あっけにとられてなにも言えない私に、彼は「そんなもんだよ」と言った。

「もしかしたら、私が旅人になることを決めたのではなくて、旅人の石が私を選んだのかもしれないけどね。自分で言うのもなんだけど、私にはそれなりの適正はあったと思う」

「でもあなたは、旅人を辞めたのよね」

「旅人は、なんと言っても体力が必要だからね。サリリと会った時の私は、けっこう年もとっていたし、体力もなくなっていた。引き継げる人がいれば、いつでも引退するつもりではいた」

 私よりも若く見える少年に「引退」と言われても、てきとうなことを言われているような気になってしまう。本当はこの人は何歳なんだろう。サリリが「おじさん」と呼ぶくらいの年齢だったことは確かだろうけど。

「あなたが若くなったのは、ここに来てからなのよね?」

「ああ、あの木の実には、成長を止めると同時に、若返る作用もあるらしいね。お蔭で今は体が軽くて、毎日快適だよ」

「なんでそんな作用があるの?」

「さあ、そこまでは知らないね。あの樹の実を食べると、ある年齢で成長が止まるようだけど、逆にそれを超えてしまった人は、その年齢まで戻っていくようだ。

肉体が若くなったからといって、寿命がどれくらい伸びるものかはわからない。ただ、私がここにいることで、ほかの誰かが自由を奪われずにいられるのだったら、私はいつまででもここにいていい思う、私はもうよそへ行く必要なんてない、ここにいて、ここで生きられれば十分幸せだ」

 話しかたが変わったせいか、一瞬彼が老人に見えた気がした。

「あの、ちょっと訊いてもいいですか?」

「なんだい?」

「旅人になってから、故郷や家族が恋しくなったことはなかったんですか……?」

「あったよ、それはもちろん。でも、旅人になったからには、もうそんなことを言ってはいられないからね。特に私の場合は、ただ旅に出ただけではなく、入れ替わってしまったんだから、もう戻る場所なんてなかったんだよ。嫌になったことがなかったわけではなかったけど、旅人でいてよかったと思えるようにやっていくしかなかった。君は?」

「今はまだ、ここにいるのが楽しくて、あんまり思い出す余裕はないです、どちらかというと」

「じゃあ、帰るかここにいるか、今選ばないといけないとしたら、どちらを選ぶ?」

「本当にそういう状況にならないとわからないです。私って、想像力ないのかな……」

「まあ、確かに今どうしようか考えてみたところで、実際そのとおりに振る舞うかどうかなんて、なんとも言えないよ」

 やはり少年は私よりうんと年上だなと思った。

「じゃあ、私、ちょっと星を見てから寝ますね」

 私がそう言うと、彼はちょっと笑って、それからとても静かな表情になった。

 灯りから離れると、いつの間にか霧が出て星が見えなくなっていた。


 自分でちゃんと起きようとしないと、起きるタイミングを失ってしまう。目覚まし時計もない。最近は、晩御飯を少なめにして、朝になったらお腹がすいて自然と起きたくなるように気をつけている。

 向こうにいたときは、太陽が昇る前に起きたことなんてろくになかった。こうして地形の制約があって見たくても見られないところに来てしまうと、見ておかなかったことが悔やまれる。

 夜と朝とのどこを境目とするかは人によって意見が分かれるかもしれないけど、やっぱり朝日が出る瞬間なのかもしれない。

 もっとちゃんとした朝日を見るためには、向こうへ戻らないといけないのか。少しは戻りたい気持ちが出てきたのかなと思いながらも、まだなんともいえない。

「なんだかうかない顔をしているね」

 サリリは私の様子を見てとったようだ。

「うん、ここでは朝日が見えないから」

「有泉さんも朝日を見るのが楽しみだったの?」

「どうだろう、もしかしたら、写真かテレビでしか見たことなかったかもしれないけど」

 それを聞くと、サリリは笑い出した。

「知ってた? あの町も、ここみたいに朝日が見えにくい場所だったんだよ。僕が住んでた家も山の麓にあったから、二十分くらいかけて裏山に上らないと、朝日は見えなかったんだ。

 有泉さんの家がどこだったのかよく知らないけど、やっぱり山や木が近くにあると、ちょっと歩かないと難しいよね」

 私の家の周りの様子を思い出そうとするけれど、なんだか思い出せなくなりつつある。


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