第17話 再び山の上③

 家族の顔を思い浮かべてみる。多分彼の言う通りだろう。私ですら、黙って一人で出ていくことは、よほどのことがない限りしないし、できない。

「それが悪いわけではないよ。多くの人がそうだし、こういっちゃ悪いけど、君らくらいの年ごろの子が一人で旅をしていたって、悪者に騙されていいように利用されるだけだしね。窮屈でも、ある程度生き延びる力を身に着けないと、やたらめったら冒険はできないものだ。

 サリリだって、旅人の石があったから普通の子よりは断然危険が少なかったわけだけど、丸腰だったら、今ごろここにいないと思うよ」

 サリリはにやっとしながらうなずいていた。

「僕の場合は旅人の石だけじゃなくて、山も僕のことを守ってくれてたんじゃないかな。

 何度か、もうダメかなって思ったときに、誰かが助けてくれた感じがしたもの。旅人の石よりも、もっと大きい力だったと思う」

「君は山から逃げたのに、山に守ってもらうだなんて、ちゃっかりしてるね」

「あれ、山は、人を見分けられないんじゃなかったの? だからサリリがここを出てって、彼が代わりにここにいても問題ないって話じゃなかったっけ?」

 二人だけの会話になりつつあるので、横から加わる。

「樹はそう言っていたけど、でも僕は、やっぱり、どこにいても山が守ってくれていたような気がするんだよね。いいんじゃない、自分がそう信じていれば」

「なにかを信じるのって、大事だよね」

 またこうして、二人で勝手に納得しているのだった。

私は来たばかりで、この世界での一般常識のようなものは、サリリや少年から直接教えてもらうしかない。だけどここでは、世間の常識なんかは口承で伝えられるらしくて、二人の間でもよく意見が食い違っていた。

「仕方ないんだよ、アリ。真実は一人一人にとって違うものだから。それを、本やなんかに書いて、固定させちゃって、『これが正しい』って言い張っても、それって字を書いたり読んだりする人じゃないとわからないよね。書き終えて本にして人に渡してからしばらくして、やっぱり違ったかもなって思うこともあるだろうし。

 それにここではね、記録を残すのって、いつも大多数の方なんだよ。多数決で負けたほうの記録は、まあ、残らないと言っていいと思う。旅先で、よくそういうのを見たよ」

 元旅人の少年は、よくこんなことを言っていた。

「向こうの世界でも、けっこう読んでたな」

 とサリリ。

「向こうの世界の本のことは知らないけど、少なくともこの国のまともな人は、これは自分の意見だから、どう思うか、信じるも信じないも読む人の勝手だ、ということを前置きしてから書いてるよ」

 そうやって、またやりとりが続く。二人は、いつまででも話し合っていそうだ。

 そういうのを見ると、楽しそうでいいなと思う。元いた世界では、私の周りの人たちは、話し合いは好きじゃないみたいだった。「なんで?」という言葉を二、三回言うと、面倒な人だと避けられた。私は一度転校していて、前にいた地域でのことはよく覚えていないけど、少なくともあの町に引っ越してからは、誰かともう十分だと思うほど話した記憶はない。

 家族とは多少話すにしても、学校で会う人とはほとんど話さない。家族が対応してくれるだけでありがたいと思うべきなのかもしれないけど、家族は身内だから、仲良くするのは義務ともいえる。その義務を超えたところで、私と一対一で真剣に向かい合ってくれる人に会いたいと思っていた。

 この二人は他人同士で、ここでは何度か会ったというけれど、それほど多くの時間を共有したわけではないと思う。なのにこんなに打ち解けて、いくらでも話していられるだなんて、どうやってそんなに仲良くなったのかと思う。

「この国の人は、すぐにこんなに仲良くなるの?」

どういうことか訊かれたので説明すると、サリリは首をかしげた。

「有泉さんだって、転校してきたばかりの僕と仲良くしてくれてなかったっけ?」

「そういえば、そうだったかな」

「あの国の人は、すぐにあんなに仲良くなるの?」

「まあ、人によるんじゃない」

「こっちでも、同じことだよ。会ってから間もなくても、それまで思っていたこととか、経験したこととかに共通点があれば、案外早く仲よくなれるんだと思うよ」

「そうなのかな」

「逆に、どれだけ一緒に時間を過ごしても、合わない人とは、余計に合わなくなっていくばかりじゃないかな」

「なるほどね」

 うなずきながらも、なんだかうまく丸め込まれてしまった気がした。

「旅人の石は、なにか言ってきた?」

「ううん、全然。サリリとあの人がいるから、自分は休んでていいと思っているのかな」

 私の言葉に、サリリは笑った。

 時間がありあまっている状況を持て余しつつあるなんて。

 毎日学校があって、休みが週に二回しかなかったときには、一日中日向ぼっこできたらどんなに幸せだろうと思っていたのに。いざそういう状況になったら、飽きてしまうだなんて、うまくいかないものだ。


 ある日、サリリが、なにをしていたのか一人で勝手に疲れて寝てしまった。

「僕でよければ、話し相手になろうか」

 少年がやってきた。見た目は少年だけど、やっぱりなにかが違っている。知れば知るほど変わった人だ。

「あなたは、なんで旅人になったの?」

「この国では、なんになるかは、自分で決めるわけではなくて、親や親戚の職業を手伝ったり、継いだり、そういうのが一般的なんだ。

私も最初はそういうつもりでいた。親に倣って、法律関係の仕事につくつもりだった」

 そんな話は初めて聞いたので、驚いた。

「法律関係の仕事に就くためには、試験がある。関係者の子供だけが専門の教育を受けられて、そして専門の教育を受けた者だけが試験を受けられるんだ。教育を受けるのにはお金がかかるし、推薦状も必要だし、全然関係ない家の子供が、なりたい気持ちがあるだけでなれるものではないんだ」

「勉強しても、だめなの?」

「絶対だめ、とは言わないよ。学校で飛びぬけて優秀で、たまたま先生の知り合いに法律関係者がいて、やっとの思いで進学させてもらって、という人もゼロではない。だけど、そうして違う仕事を選んだ子の家では跡継ぎがいなくなるし、万が一試験に落ちてももう一度挑戦する余裕はないし、そうなったら家には帰りにくいだろうし、その後の人生がけっこう大変になるだろうね。だからここでは、そういう挑戦をする人はあんまりいないんだ。失敗したら死んでもいいと思えるくらいでないと、なかなかできない。人と違うことをしようというのは、なかなか一般的ではないんだよ」

 彼は一口お茶を飲んだ。私はその隙に星に視線を移した。

「私は、まだ十歳にも満たない頃から法律家になるめに、専門的な勉強を始めた。法律が好きかどうかなんて考えることもなかった。そんなある日、私がいた村に、旅人が現れたんだ」

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