第12話 モナムを訪ねて③

 今は何時くらいなんだろうと思う。午後三時をちょっと過ぎたころだろうか。

 ここでも、時間や時計というものは、一応あるようだ。確かに、時間がどうでもいいというのならバスに乗るのも一苦労だ。

 この時間帯は、普段だったら学校が終わって放課後になるころで、そういう境目の空気が漂っていた。気温が下がり始めるころでもあって、一日の後半だという気持ちになっていた。

 太陽はまだ沈む気配はないけど、ここでの季節は冬だ。雪は降らないようで、ただ寒くて乾燥しているのが、ここでの冬の様子らしい。確かに、植物を見ても若々しい色の葉っぱを見ることはないし、目につく色は茶色っぽい色ばかりだった。

 あと何時間くらいで目的地に着くのだろう。さっき、サリリが起きているときに訊いてみた。

「あと五時間くらいって言ってたけど、わかんない、途中で渋滞するかもしれないし」

 町を出たら、信号なんてあったかどうかも忘れてしまうくらい、ひたすら真っ直ぐな道が続いている。渋滞とはなんら縁がなさそうに見える。

 そのこうしているうちに、なぜかバスが減速し始めた。あれ、と思っていると、すっかり止まってしまった。それと同時に、サリリが目を開けた。

「どうしたの?」

「バスが止まったから、起きちゃった」

 まったく、赤ちゃんじゃないんだから。

 運転手さんが席を立って、外に出る。しばらくして戻ってくると、客席に体を向けて、なにか言った。私にはよく聞き取れない言葉だ。旅人の石の機能は私にとっては不完全なので、この国で使われている言葉の中でも、みんなが共通で使っている言葉しか理解できなくて、地元で使われている言語はわからないのだ。

「タイヤがパンクしちゃって、もう走れないんだって。歩いて次のバス停まで行って、そこで各自乗り換えてくれって」

「予備のタイヤはないの?」

「この間もパンクしたばかりで、そのときに使っちゃったから、今は予備がないんだって」

 乗客からなにやら強い口調で責め立てられているようだけど、運転手さんはケロっとしていた。

「どれくらい歩くの?」

「三十分くらいだって」

 あーあと思いながらも、バスを降りて歩き始めると、舗装されていない道路は、車のタイヤが傷まない程度には平らになっているので、けっこう歩きやすかった。

この辺はあまり治安が良くないので、単独行動しないようにとのアナウンスもあったようで、みんな大人しく同じペースで歩いている。こういう状況は珍しくもないのか、文句もすぐに収まった。

「さっきの話の続き、今話してよ。歩いてたら、さすがに眠くはならないよね」

 サリリは「ええー?」と言いながらも、続きを話し始めた。

「僕はもうダメだと思いながら、そのまま意識を失った。

 でも、意識を失いかけながらも、一方ではこんなことを考えていた。

 あのまま故郷にいたら、落とし穴に落ちることなんてなかった。だけど、世界では、こんなに身近に落とし穴があるってことも知らないままだった。

 なによりも、なにかを求めてさまようわくわくする気持ちを知ることもなかったんだって。だったら、このままどこへ行ってどうなるのかわからないけど、あそこから出られて、僕は多分、幸せだったんだろうなって」

「落とし穴って、なんのこと?」

「知らないの? 子供のころ、そういうの作らなかった? 向こうでも、落とし穴って言葉は一般的なものだったと思うけど。穴を掘って、ダンボールを敷いて、土や葉っぱを被せてわからないようにしておいて…」

「それは知ってるけど……、こっちでは、そういうのが普通に道端にあるもんなの?」

「その落とし穴は、その近くに住んでいた女の子が、いたずらで作ったものだったんだ。小さい動物を捕まえようと思ってたんだって。その子は動物を捕まえて、ただ身近で毎日じっくり見ていたかったんだ。だからそれは、悪意に満ちた落とし穴じゃなくて、大きさもそれほどじゃなかった。ただ、僕は疲れてたし、視界が悪かったから、びっくりして気絶してたらしいんだよね。まあ、それまであまり刺激のない世界にいたから、仕方ないよね」

「馬に乗ってたんじゃないの? 馬はどうしたの?」

 サリリは、「よく覚えてるね」と笑う。

「僕はちょっと疲れて、馬から降りてその辺の切り株にでも座って休憩しようと思ったところだったんだ。だから馬は無事だったよ。馬も驚いたのか疲れてたのか、そこから動かなかったみたい。

 女の子は、朝になっていつもみたいに見回りしていたら、落とし穴の近くに馬が立っていたからびっくりしたんだって。それはそうだよね、穴の中に馬が落ちていてもびっくりするだろうけど、穴の隣で、馬がじっと立っているんだから、なにごとかって思うよね。女の子は慌てて穴に近づくと、僕が半分穴に入ったまま倒れているのを見たんだ。

 彼女は僕を揺すって起こした。僕が目を覚ますと、起き上がるのを手伝ってくれた。目が覚めたばかりで馬に乗るのは危いからって言われて、馬を引きながら、二人で歩いて彼女の家まで行ったんだ。

 家までは歩いてすぐだったけど、途中で僕のお腹がなったからか、家に着くと、女の子はすぐにぶどうとくるみのパンを出してくれたんだ」

 サリリは懐かしそうに、「あのパンおいしかったな」と言った。

「そのとき、僕は、初めてパンやくるみを食べたんだよね。あまりのおいしさに、びっくりしちゃった。疲れてておなかもぺこぺこだったから、余計においしかったのかな」

 サリリが、「まだ飽きてない?」と聞くので、「全然」と答えた。


 空腹が満たされると、今度はいろいろと訊きたくなってきた。

『なんのために落とし穴を作ったの?』

『小さな動物を捕まえたかったの』

『どうして?』

『小さい動物って可愛いじゃない』

 僕は小さい動物を本の中でしか見たことがなかったから、可愛いかどうかわからなかった、もっと言えば、可愛いっていうのはどういうことかも、よく知らなかったんだけど。

 山の上には、小さな鳥はいたけれども、動物はいなかった。彼女が小さい動物を捕まえたら、見せてもらおうと思った。

『あなたは、どこから来たの?』

 彼女は、僕が二番目に出会った人だった。他の人に自分の住んでいる場所について説明したことは、今まで一度もなかった。

 そのとき、あの旅のおじさんと話したときのことを思い出したんだ。確か彼は、あの場所は地図には載っていない、誰にも知られていないところだと言っていた。

『僕は、誰も知らない国から来たんだ』

 彼女はしばらく黙ったままでいたけど、僕がそれ以上何も言うことがないのだとわかったのか、こくりと頷いた。

『そしてあなたは、旅人なのね』

『そういうの、見ればわかるものなの?』

『だって、旅人の石をつけているじゃない』

 僕ははっとして、自分の腕にはめた石に目をやった。

『これ、有名なの?』

『そうでもないわよ。知らない人の方が多いと思う。知ってる人はろくな人じゃないことが多いだろうし』

『君もろくな人じゃないの?』

『さあ』

 サリリがぽかんとしていると、彼女はくすっと笑った。

『それ、あんまり他の人に見せない方がいいと思う。なるべく手首がしっかり隠れる服を着てたほうがいいわよ』

『なんだか心配だな、袋に入れておいてもいいのかな?』

『外れる?』

 石を外してみようとしたけれど、紐はきつく締まったまま、外れなくなっていた。

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