第13話 モナムを訪ねて④
として、私も袖の下で旅人の石をはずそうとしてみる。手芸屋さんで買ってきたゴムでつないでいるにも関わらず、ゴムは伸びようとしなかった。
向こうの世界を去る直前の光景が思い出される。彼らは校舎の裏でこの石を見たから、なんだかわからないながらも引き寄せられてしまったのかもしれない。あのまま石を奪われたらどうなっていたんだろう。なんだか様子がおかしかったし、普段の考えるより先に手が出てしまう人たち相手というよりも、ちょっとやっかいなことになっていた気がする。相手は子供だとは言っても、石を取り返すのはそう簡単ではなかったかもしれない。
ずっとこの国にいたのなら、そしてどこへ行ってもこんな気候だったら、袖の短い服を着たいとは思わないけど。旅の最初で注意されていたというのに、サリリは用心が足りないなと、ちょっとあきれてしまった。
『君は、旅人の石を他でも見たことがあるの?』
僕が聞くと、モナムは、しばらく黙ったままでいた。言っていいかどうか迷っていたのかもしれない。僕はとりあえず、モナムが自分から言うのを待っていることにした。
『以前に一度だけ』
彼女は答えた。
『君はここに一人で住んでいるの?』
『ううん、お母さんと一緒に住んでるの。お母さんは今、ちょっと出かけてるんだけど』
僕はそのとき、お母さんというのが何を指しているのかよく知らなかったけど、お母さんってなんだろうと思っていたら、なんとなく、ああそういうものかという感じがしてきた。石がそれとなく教えてくれたようだった。
『お母さんが帰って来る前に、ちょっと聞いてほしい話があるんだけど……』
『いいよ」
『よかった。じゃあ、コーヒー淹れてくるね』
モナムはほっとしたような、ちょっと元気が出たような、そんな様子で台所へ向かった。コーヒーって何? と訊きたかったけど、少し待てばわかるから、待つことにした。
コーヒーは、そのまま飲むとすごく苦かったから、モナムの真似をして、ミルクと砂糖を入れた。ミルクも砂糖も見るのははじめてで、そういう違うものを混ぜ合わせてできたもののあまりのおいしさに驚いた。モナムはそんな僕を見て、クスッと笑った。甘いものに苦いものを混ぜると、ただ甘いだけのものよりもおいしくなるって、そんなことも、そのとき初めて知ったんだよね。
モナムが話したかったのは、自分のことについてだった。モナムが生まれたのは、その家ではなかった。どこか遠くで生まれて、覚えていないくらい小さいころ、お母さんと二人でここに移ってきたんだって。
そしてお母さんは、以前自分たちがどこにいたのか、彼女のお父さんはどんな人なのか、他に兄弟はいるのか、なぜ生まれた地を後にする必要があったのかとか、そういうことは、何一つ教えてくれなかった。
「私は、自分がどこから来たかわからないの。それって、困るのよね」
「なんで?」
「だって、私、自分が誰なのかよくわからないんだもの」
モナムがそんなことを言うから、それは僕だって同じだよと思った。
今までなにも知らなかったから、考えてみようとも思わなかったけど、おそらくそれって、僕があの山の上でずっと感じていたのと、けっこう似たような気持ちだったのかもしれない。
「もう何年も前のことだけど、学校で将来のことを考えましょうって話になったの。みなさんの家族は何をしていますか? おじいさんは、おばあさんは? お父さんは、お母さんは? って。私は私の家族がどういう素質を持っているか、どういう仕事をしてきたのか、全然知らないの。お母さんのことしかわからないの」
「君は、将来を決めるために、生まれたところを知りたいの?」
彼女は首を横に振り、ため息をついた。
しばらく僕たちは黙ったままだてた。モナムはコーヒーを一口飲んで、カップをまたテーブルに置いた。
「まあ、そんなのきっかけにすぎないわね。ただ、そういうことを知らないままでいると、すごく不安になるときがあるの。普通の人が普通に知ってるようなことを、私だけが知らないだなんて」
「もし、誰かがよくできたにせものの話を持ってきて、『これが本当のことだから。今日からそういうことでいきましょう』って言ったら、どうにかなるかな?」
「あなた、おかしなこと言うのね」
「僕も知らないんだ、僕の両親のことも、どこで生まれたのかも」
彼女は「え」と言った。
「こんなことを言ったら申し訳ないけど、でも、うれしい」
僕は、なぜかを尋ねた。すぐ知りたがるのが僕の癖なんだ。
「ここでは、私みたいな人は誰もいないの。みんなには、ちゃんとした家族がいるの。おばあちゃんやおじいさんもいて、たくさんの家族のみんなから、大事に育てられてるのが普通なの。
みんな私に、『どうしてあなたにはお母さんしかいないの?』なんて訊きはしないけど……」
「君も旅をしてみたら? 見つかるかもよ」
「あなたは知らないのね。女の旅人なんて、命を道端に捨てるようなものよ。仮に旅人の石があったとしても、女のほうが、あなたたちよりもずっと狙われやすいんだから。三度危険な目に遭うなんて、すぐだわ」
「三度、危険な目……?」
「知らないの? 旅人の石を持っているのに」
僕はとぼけたふりをした。
「旅人の石は持ち主を危険から救ってくれるけど、それは三回までなの。だから、大抵の旅人は三回危険な目に遭うと、石を他の人に託して、自分は旅人を辞めるの。旅人の石の力なくして旅をするのは、谷間に綱を張って、その上を歩いているようなものだから」
「なんで三回までなんだろう」
「危険な目に遭う前に、自分で防げる場合もたくさんあるのよ。勘が鋭かったり、注意深く物事をみていたり、様々な知識があったり。そういう努力を怠って、石にばかり頼るような人は面倒見切れないってことなんじゃないかしら。旅人にふさわしくないってことなのよ、きっと」
「僕は、もう使ってしまったのかな?」
彼女は僕に石を見せるように言った。
「大丈夫、危険を回避してくれたときは色あせてくるんだけど、これはまだ新しい色をしているわ」
彼が僕に石を譲ってくれたときは、どんな色だったんだっけ。思い出そうとしたけど、ちゃんと覚えていなかった。
「自分のことを理解するって、そういう、家族のことや、出生の秘密を知らないとできないものなの?」
言いながら、僕は自分のことを理解しようなんて考えたことは、今まで一度もなかったな、と思った。
「さあ、それが必須かはわからないけど。でも、このままでは、私は自分が何者であるか永遠にわかりそうにないし……」
僕も同じなのかも、と思った。
「お母さんにもっと色々と訊いてみれば?」
「だめ、訊いたら、お母さんが悲しむから」
「でも、お母さんは君を悲しませているじゃないの?」
「そうね」
そうするつもりがないことは、聞くまでもなかった。お母さんて、怖い人なのかもしれない。
「ごちそうさまでした。じゃあ、僕はそろそろ行くよ」
「もう行ってしまうのね」
モナムは寂しそうな顔をしたけど、引き留めはしなかった。
「君がどこから来たのか、探さないといけないから」
「まあ、うれしい」
モナムは、餞別にと言って、昔お母さんが旅したときに使っていたという旅の服をくれた。今僕たちが着ているのとは違って、上下が分かれている服で、僕はそういうのを初めて見たから新鮮だった。僕にはまだ少し大きかったから、裾をまくりながら着たんだけどね。
「うれしいな、僕、こういう服を着てみたかったんだ。僕が初めて会った旅人も、こういう服を着ていたような気がする」
つい昔のことのように話してしまったけど、そういえばあれって昨夜のことだったよな、と気づく。どうも山を出てから、時間の流れかたが違っているようだ。
外に出ると、ぱたぱたと鳩が飛んできた。
「あなたも行ってしまうの?」
「このコトリさんは?」
「これは鳩っていうのよ。なんでコトリだと思ったの?」
「うーん、僕は、今まで見てきた鳥って、宙を舞っている鷹だとか、鷲だとか、そういうのばっかりだったんだ。この鳥は小さいでしょう 。それとも小鳥っていうのは、これよりも小さいものなの?」
「まあね」
モナムはなにか言いたそうだったけれど、言わないことにしたようだった。
「この鳩、ずっと前から家にいるのよ」
「いいの? そんな大事な鳩が出て行ってしまって」
「うん、お母さんがよく言ってるの、鳩がどこかへ行きたがったら、行かせてあげなさいって」
彼女は少し寂しそうな顔をした。
「でも、本当に行きたがることがあるなんてね。大事にしてあげてね」
そう言って、鳩の背を愛おしそうに撫でた。
モナムは家にあるくるみぶどうパンを全部くれた。そして、僕の姿見えなくなるまで、ずっと大きな道の端で見守っていた。
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