第11話 モナムを訪ねて②

「毎日同じ景色の中で、同じことをして、同じような毎日が続いて……、僕のそれまでの暮らしには、実はもう退屈しかなかったんだってことが、離れてみて初めてわかったんだ」

 私も、サリリが天野君として転校してくるまで、自分がいつも一人でいるのを本当はつまらないと思っていたことが、ずっとわからないでいた。

「あの場所にいる時には、気づかなかったんだ。

小鳥を見ているときは、翼を持っているのに、このあたりをうろうろしてばかりで山の向こうに飛んで行こうとしないのは、なんでなのかなって思っていたのに、自分はここから離れて遠くへ行こうって、そんなことは全然思わなかったんだよね。ここから出て外で暮らす、そういう生き方が自分にもあるかもしれないって、考えてもみなかった。いったん外に出てみれば、あっという間だったのに」

「けっこう急な斜面だったけど、馬は降りていけたの? まあ、旅人さんが上がってこれたんだったら大丈夫だったんだろうけど」

「あの斜面は、まあさすがに馬から降りたけど、ある程度降りちゃったら、あとはそれほどでもなかったよ。山を降りる必要はあっても、越える必要はなかったから」

「山をの合間に、歩きやすい道でもあるの?」

「このあたりって山が多いでしょう。その中でも特に大きな山があって、いろいろな町の人たちが行き来するのを拒んでいるんだけど、実はその山は蜃気楼のようなものなんだ。夜になると幻の力が薄れるから、夜に移動すれば、楽に移動できるんだよ。でも、夜明かりをつけ続けることはなかなかできないから、以前は旅人の石を持っていて夜も行動できる人だけが、山を越えられたんだ。石を持ってるっていうのは最低限の条件で、経験とかカンとか運とか、いろいろ必要みたいなんだけどね。旅人の石を持っていない人は、僕のいた山にはどんなに頑張っても行けないようになってるんだよ。

 まあ、最近は電気を使う家が増えてきて夜でも明るいから、だんだんと誰でも移動しやすくなっているらしいけどね」

 いろいろと気になるけれど、この世界ではそういうものなのだろうと思うしかないのか。そもそも、自分がもといた世界についても、それほど知っているわけではないけれど。

「新月で、何の灯りもなくて、もちろん電気なんてないんだよね。真っ暗な中を、馬で進んだの? 馬も、そんな暗かったら怖がって歩かないんじゃないの?」

 サリリはにこっとした。

「そういうときのために、旅人の石があるんだよね」

「灯りにもなるの?」

「物理的に光が点くわけじゃないけど、暗くても目がよく見えるようになるんだ。自分以外にも、乗っている馬なんかもね。あの日も夜に出発したから、僕は知らないうちに山を越えていたんだよね」

「便利な石だね」

 そしてその石は、今私の手元にある。私はこの石を使って、これからなにをしていくのだろう。

「だから、今は僕が有泉さんにとっての馬みたいなもんだね」

「せめて、水先案内人くらいにしておけば」

「そうだね」

 サリリは微笑むと、窓の外を見た。

「さっきからずっと走ってるのに、全然景色が変わらないね。すごいよね」

視線を前に戻すと、また話し始める。

「彼がまだ旅人で、おじさんだったとき、山の上で一人で暮らしていた僕は、自分以外の人と話をしたのは初めてだったんだ。

 話しているうちに、僕は、今まで自分が気づいていなかった自分の気持ちに、少しずつ気がついていったんだ。そう、僕はやっぱり心のどこかで、一人でいるのは寂しいなって思ってたんだよね。僕以外の人を見たことがなかったから、そういう気持ちでいることに、それまで気づかなかったんだけどさ。それで僕は、彼と話しているうちに、泣きだしてしまったんだ」


『泣いていても始まらない。寂しいのは、心の穴が開くからだ。そして、その穴を埋めるまで寂しさは消えないよ。その穴は放っておいても埋まらない、自分で埋める方法を見つけるしかないのだ』

『おじさんは、穴を埋めるために旅をしているの?』

『それは何とも言えない、ただ言えることは、こうしてじっとしていても、誰も穴を埋めてはくれないってことだ。ここは地図に乗っていない場所なんだ。なぜ君がここに一人でいるのかは知らないが、世界中でここを知っている人は一人もいない、ここは誰も知らない場所なんだよ。私のように、道に迷った者が偶然たどり着くだけだ。君が自分で動き出さなければ、誰も君のことを助けてはくれないんだ』


 正直言って、あのときの僕に、おじさんが言いたかったことがどれくらいわかっていたかはなんとも言えないよね。ただ、このままここにいてはだめなんだなって思ったのは確かだった。気づいたら、『わかった、僕、旅に出るよ』って言ってた。その一言がすっと口から出て、自分でも驚いたんだ。自分の口から出た言葉を聞いて、ああ、これが僕がしたいことなんだなって知ったんだ」

 旅に出るのって、ずいぶんと突然決まるんだなあと、呆気にとられる。

「でも、ここを出た初めての夜は、僕も大変だったんだよ。

初めはわくわくしていたけど、三時間も経ったころだったかな、近くのものは見えても周りの景色は全然見えないし、自分がどこに進んでいて、どこへ向かっているのかも全然わからないし、そろそろ寝た方がいいのか、このまま進んだ方がいいのかもわからないし。 

 でも、今日だけは夜通し進もうって思った。だから、陽が昇るまでの間、どれくらい長かったかわからないけれど、とにかくずっと馬に乗ってた。疲れはしたけど、眠くはならなかったな。馬には悪いことしたのかな、でも馬も元気に歩いてたと思うんだよね。あれも旅人の石の力だったのかな。

 だんだんと辺りが明るくなってきて、そう、そして僕は、生まれて初めて平らな地面から出てくる朝日を見たんだ。

疲れてふらふらで、もうだめかもしれないと思ったけど、一度でも外の世界に出られて、朝日を見れてよかったって、あのときは、すごくそう思った。もしあのまま山の上にいたら、朝日をみることなんて、ずっとなかったはずだからね。

 僕はこれから、こういうふうに、見たいと思ったらいつでも朝日が見える世界で生きていくんだなって思ったんだ」

 サリリの顔がぱっと輝いた。出られてよかったね、と思った。

「でも油断したのがいけなかったんだね。その後すぐ、落とし穴に落ちちゃったんだ」

 サリリはあくびをすると、「疲れたから、ちょっと寝るね」と言って、あっという間に寝てしまった。

なんでこんないいところで終わらせるんだろう。やっぱり性格が悪いんだ。仕方がないから、一人で窓の外を眺める。

 これから会いに行くサリリの友達がどういう人なのか、まだよく知らないでいる。

昨日訊いてみたときには、「長くなるから、バスの中で話すよ」と言われて、いざバスに乗ってみると、サリリが旅に出るときの話が長くて、全然その子が出てくる気配はない。

 すぐに結論を知りたがってしまう私もよくないのか。もう少しゆっくり構えて、サリリの話が自然とそこにたどり着くまで、じっくり待つことも大事なのかもしれない、でもやっぱり気になるものは気になる。

 ひょっとして、ここは夢の中なのかも、バスに乗っていると、そんなことを思う。ここがどこであろうと、今私が楽しくて、わくわくしているのは本当のことだけど。

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