第2話 前世からの恋人
夏が来る前に、この街では降雨祭という盛大な祭りが開催される。そこでは選ばれた踊り子たちが
「“前世からの恋人”に出会えるとか、本当かよって思うけどな」
「そうかぁ? 毎年何人かはいるだろ?」
「それだって前世からの相手とは限らねぇだろ?」
「そりゃあそうだけどさ。でも前世からとか、すっげぇロマンチックじゃん」
そう言ったツグマが、いつもより念入りに髪を整えている。周りを見ると、
「“前世からの恋人”に出会えるのは踊り子だけなんだから、気合いが入るのも当然だろ?」
ツグマの言葉に「まぁな」と答えたものの、俺は信じていなかった。
いつからかはわからないが、降雨祭で踊った踊り子は“前世からの恋人”に出会えるという話がまことしやかに囁かれている。実際に最後の恋人ができたと言って踊り子を辞める奴らがいるのはたしかだ。
恋多き踊り子たちではあるが、大方は自分だけを見てくれる恋人がほしいと思っていた。しかし、より優れた踊り子になるためには特定の恋人を作るわけにはいかない。別に禁じられているわけではないが、そういう雰囲気が踊り子たちの間には流れていた。
そういうことがあるからか、踊り子たちは花形である
「去年は過去最多の六人が“前世からの恋人”と出会って辞めただろ? 今年こそは自分だって思ってる踊り子は多いと思うぜ?」
「なに言ってんだか……ってツグマ、おまえもか」
「そりゃあ俺だって“前世からの恋人”に出会いたいに決まってんだろ。なんたって、いろいろすごいらしいからなぁ」
上目遣いでムフフと笑っているということはベッドの中でのことを考えているに違いない。若干呆れながらも「もしその相手が男だったらどうすんだよ?」と尋ねると、ツグマがニヤッと笑って親指を立てた。
「“前世からの恋人”なら、男でも全然オッケー!」
「はぁ? おまえ、可愛い女の子が好きなんじゃなかったのか?」
「好きなのは可愛い女の子。でも“前世からの恋人”は別。なんたって一生に一度しか再会できる機会がないってんだからな。それを逃したら二度と巡り会えないってことじゃん」
「はいはい、ソウデスカ」
「あっ、おまえ、ちょっと馬鹿にしてんだろ!」
「いえいえ、出会えるとイイデスネー」
“前世からの恋人”に興味がない俺は、ツグマに手を振って楽屋を出た。準備中の野外舞台に設置された竜神像でも眺めていようと思い、舞台袖に近づく。
「……誰だ、あいつ」
舞台のほぼ中央に置かれた竜神像の脇に、真っ黒な髪の男が立っている。年に一度の
「勝手に入ってきた余所の
毎年、関係者のフリをして勝手に入り込む
だから警備は厳重に行われているはずなのに、どうやらそれをかいくぐった
「ったく、警備は何やってんだよ」
見つけてしまった手前、放っておくわけにはいかない。
降雨祭は観光客を集める祭りとしての意味合いが大きいが、
俺は足早に黒髪の男に近づいた。
「あんた、どこから入ったんだ?」
声をかけると、竜神像を見ていた男が振り返った。
「……」
男は返事をするわけでもなく、髪の毛と同じくらい真っ黒な目で俺をじっと見ている。何を考えているかわからない表情に少しだけ怯みそうになりながらも言葉を続けた。
「ここは立ち入り禁止なんだ。見たいのなら、夕方から始まる
男は、なおもじっと俺を見た。俺の言葉がちゃんと聞こえていないのかと思うほど反応がない。
「あのなぁ。ここは関係者以外、立ち入り禁止なんだよ。もしその竜神像を近くで見たいんなら、明日の朝から中央広場に置かれるから、そこで見てくれ」
「……」
(ウンともスンとも言わねぇな)
こうまで無視されるとさすがに腹が立ってくる。
「カイム」
「そちらさんは?」
「あー……なんか、潜り込んだみたいでさ」
「あぁ」
カイムが不快そうに眉を寄せた。そういえば一年前、同じように勝手に入り込んだ余所の
「大丈夫か?」
「いや、おまえのときみたいな感じじゃなさそうなんだけどさ」
「……タマ?」
急に名前を呼ばれて驚いた。振り返ると、さっきまで無表情にしか見えなかった男の目が見開かれている。
「なに? タマの知り合い?」
「いや、余所の
「……それにしては、めちゃくちゃタマのこと見てるぞ?」
「何でだろうな」
「俺が知るか」
隣に来たカイムとひそひそ話している間も、男の目は見開かれたまま俺に向いていた。そんなに見られると、もしやどこかで会ったことがあるんじゃないかと思えてくる。
「……いや、やっぱりまったく知らない顔だ」
踊り子も一応客商売だから、会ったことがあれば大体は覚えている。しかし、いくら思い出そうとしても目の前の男に見覚えはない。
「警備を呼ぶか?」
「んー……。おいあんた、警備につまみ出されたくないなら、とりあえず舞台から降りてくれ」
よからぬことをしようとしたわけじゃないなら警備を呼ぶこともない。そう思って声をかけると、何か迷うような顔をした男が口を開いた。……が、結局何も言わないまま口を閉じた。
「……?」
よくわからないが、背中を向けて歩き出したということはこのまま会場から出て行くということだろう。大事な踊りの前に揉め事が起きなくてよかったと思いながら男の後ろ姿を見たとき、ふと既視感のようなものに襲われた。
(顔は見たことねぇけど、あいつどこかで……)
後ろ姿というか背中というか、どこかで見たことがあるような気がする。そう感じたもののやっぱり思い出せない。
「タマ、そろそろ最後の準備が始まるぞ」
「おう」
妙に気になる男だったが、それよりもいまは踊りのほうが大事だ。なんたって俺は踊り子たちのど真ん中を任されているのだから失敗は許されない。
「ま、俺が失敗するなんてあり得ねぇけどな」
「相変わらずタマは強気だな」
「おうよ」
カイムにニカッと笑いかけた俺は、男の何が気になったのかもすぐに忘れて
何度も何度も回る最後の舞は、踊り子たちの足腰と体力が試される。決してふらつくことなく爪先まで足をピンと伸ばし、水を散らす両手も美しくしなやかに伸びていなければならない。もちろん目を回すなんてことは論外で、回ると美しくはためく長い腰布が舞台に触れるのも厳禁だった。
そうして最後の音が鳴り踊り子全員がぴたりと動きを止めた瞬間、観客たちの大きな声と拍手が一斉に響き渡る。まるで地鳴りのようにも聞こえる歓声に包まれながら、踊り子たちは恵みの水と自分の汗で濡れた肌を沈みかけた夕日に晒した。それがより一層観客の声援を呼び、舞が終わっても異常なほど盛り上がった熱気が収まることはなかった。
そんな熱と余韻に浸っていた俺は、踊り子たちを取りまとめる座長に呼ばれて劇場側の楽屋に来ていた。目の前には伝説の踊り子とまで呼ばれた座長と、椅子に座る黒髪の男がいる。
(っていうか、なんでこの男がいるんだよ)
座っているのは、勝手に舞台に上がって竜神像を見ていたあの無反応野郎だ。あのときとは違い黒髪は綺麗に整えられ、青みがかった灰色でまとめられた
「タマヨリ、こちらは南の街に拠点を置くオオキリのご子息で、トリヤさんとおっしゃいます」
「オオキリって……」
思わず声が漏れてしまった。オオキリといえばこの辺りでも名前を知らない奴はいないというほどの大
そういう
「俺、なんで呼ばれたんでしょうか」
昼間に舞台にいたことを注意はしたが、それで呼び出すほど器の小さい
椅子に座った男は、昼間と同じように黒目でじっと俺を見ている。しばらく静かに見たあと、ゆっくりと口を開いた。
「きみにどうしても会いたかった。会って確かめたかった」
「確かめる?」
それまで表情らしい表情を浮かべていなかった男の口元が、ほんの少し笑ったように見えた。
「こうして会って確信した。きみは間違いなくタマだ」
「いや、名前はタマじゃなくてタマヨリなんですけどね」
勝手に愛称で呼ぶなと思いながら訂正する俺に、今度こそ男の口が笑った。
「そういうところもタマらしい。アツキさん、間違いありません」
男が隣に立つ座長を見てそう告げた。それに応えるように頷いた座長は、年齢不詳の美しい顔に笑顔を浮かべながら俺のほうを見る。
何だか嫌な予感がした。思わず「座長?」と声をかけると、座長の目がさらに笑みで細くなった。
「おめでとう、タマヨリ」
「はい?」
「トリヤさんは、あなたの“前世からの恋人”だそうですよ」
「もしかしてと思ったんだが、間違いない」
確信を持っているような男の表情に、俺はぽかんと口を開いた。
「僕はきみのことを知っている。これは間違いなく“前世からの恋人”だという証だ」
そう言って立ち上がった男が「よろしく」と手を差し出してきたが、俺はそれに反応することができないまま、やっぱりぽかんとした。
「さぁ、あとは若い二人で話したほうがいいでしょう」
「え? あの、座長……!」
訳がわからないことを言いながら座長が楽屋を出てしまった。残されたのは、また無表情に戻った男――トリヤと俺だけだ。
「あー……その、“前世からの恋人”っていうのは……」
「僕はそう確信しているし、間違いない」
「いや、そもそも“前世からの恋人”は俺たち踊り子のほうから見つけるものであってですね」
「きみのほうから僕を見つけたじゃないか」
「は?」
「僕は準備中の舞台の上に、それなりの時間立っていた。しかし舞台に現れたのはきみが初めてだった。つまり、きみが僕を見つけたということだ」
自信たっぷりの声だからか、うっかり「そうか」なんて納得しそうになった。しかし男の言葉はこじつけでしかない。
そもそも“前世からの恋人”に出会うと本人にしかわからない何かを感じると言われている。だが俺は何も感じなかったし、男が勝手に勘違いしているだけとしか思えなかった。
(この街にしかいない踊り子を手に入れたがる
このトリヤという男も、そういう一人なのだろう。オオキリほどの大
「いや、それはたまたまですから。それに俺のほうはあなたを“前世からの恋人”だとは感じていません」
「これから感じるはずだ」
違うとはっきり言ってやったのに、この自信は何なんだろう。さすがは大
「とにかく、俺は“前世からの恋人”なんかじゃありませんので……ええと、トリヤさん」
「そんな他人行儀な呼び方はやめてほしい」
「いや、赤の他人でしょうが」
思わず反論した俺に、男が小さく笑った。
「僕のことはトリと呼んでほしい」
「……トリ、」
思わず夢の中の自分を思い出した。いつも扉の隙間から眺め、その後切ない声で「トリ」と言いながら自慰をする夢の中の自分……そんなことを思い出し、一瞬動きを止めてしまった俺の手をトリヤがグッと掴む。
「これから末永くよろしく」
握手をするように力が込められたトリヤの手に、俺は頷くことも拒絶することもできずにいた。
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