閉店後のレストラン事件

月野流々

閉店後のレストラン事件

 「お客様、申し訳ありません」

 シンジがワインのグラスに口を付けていると、若い男のウエイターが近づいてきた。

「閉店のお時間となりましたので、お会計をご案内させていただきます」

 シンジの向かいに座るツヨシが無言で顔をしかめた。

 「なーんだ。もうそんな時間か。仕方ねえな」

シンジはそう言って、ワインを飲み干した。

 「帰るか」

2人はナプキンで口を拭いて席を立った。

 会計を済ませると、ウエイターは「ありがとうございました」と頭を下げた。そして、レッドブラウンに塗られたアンティーク調のドアを開けた。その男が開けるには重すぎるくらい、立派なドアだった。外の冷たい冷気が、容赦なく店に入り込んでくる。シンジとツヨシはまだ外には出ず、店の中で上着を羽織った。その間も、ずっとウエイターの男はひょろりとした身体で開いたドアを支えていた。

 ようやく客が店の外に出ていくと、男は力のない腕でドアを閉め、ため息をついて店の奥へと消えていった。



 「さあて、ここからが本番だ」

シンジとツヨシは物陰に隠れると、ついさっきまでいた店の入り口を睨み見た。

「撮影に成功したら、きっと登録者数が増えるぞ」

シンジは脱色してミルクティー色に染まった髪を整え、血色を整えるリップクリームを塗り始めた。ツヨシはカメラの準備をしている。

「今度こそ、注目を集められるはずだ」

 シンジの言葉に、ツヨシはうなづいた。


 中学時代、2人は1年間だけ同じクラスだった。

 お調子者のシンジと無口なツヨシが直接関わることは、当時ほとんどなかった。

 だがつい先日、同窓会で、シンジが動画コンテンツの制作を行っていることを周囲に話したところ、ツヨシが「オレもそういうのに興味があるから、一緒にやらせてほしい」と話に加わってきたのだ。なんでも、ツヨシは写真や動画撮影が趣味らしい。特に仲がよかったわけでもないツヨシがいきなり話しかけてきて、最初は驚いたシンジだったが、1人で動画を制作し投稿していくのがそれなりに大変だったため、この誘いを受けることにした。

 今回撮る動画が、2人の初共同作品だ。

 

「オレ、準備完了。そっちは?」

ツヨシが無機質な声で聞くと、シンジはにやけた顔で答えた。

「こっちもばっちりだ。あとは、店の従業員が帰ってくのを待つだけだ」

 すると、中からさっきのウエイターが出てきて、外に出ている看板を店の中にしまい始めた。そしてそれから少し経つと、カーテンが閉められ、店の明かりがパチッと消えた。

「よし、じゃあ行くか」

シンジがしゃがんだ姿勢から立ち上がった。

ツヨシが腕をつかむ。

「従業員、まだ中にいるかも」

シンジがその手を払って言った。

「戸締りもしたっぽいし、どうせ店の裏口から帰っただろ。寒いし、行こうぜ」



「どーも!シンジチャンネルでーす!今日は○○市の○○にあるレストランに来ていまーす!」

ツヨシがカメラを回すと、シンジは威勢よく挨拶を始めた。

「なんとこのレストラン、その昔、戦があったといわれている場所で、心霊スポットとしても有名なんですよー。さっきそこで食事をしてきたんですけど、せっかくなんで、これから閉店後の暗ーい店内に潜入して、いろいろ撮っていきたいと思いまーす!」

シンジが店の入口に向かっていく。

「なんか、閉店後の店って、出そうじゃない? 幽霊」

そんなことを言いながら、店の鍵穴に針金を通し、ぐちゃぐちゃと動かす。

やがて、カチャッと音が鳴り、店のドアが開いた。

「さあ、早速入っていきましょう!」

シンジは重いドアを開け、暗い店内に足を踏み入れた。

「わー、営業中のさっきとは、また雰囲気違いますね~」

誰もいない店に、シンジの声と2人の足音が響く。

 アンティーク家具や小物が不気味に佇んでいる。

 さっきまで食事をしていたテーブルの前も通る。

 ツヨシはカメラを動かして、店全体を映す。

「幽霊、出ませんかね~」

シンジが笑いながら言った、その時だった。

ガタッ。

大きな物音が、店の奥から聞こえてきた。

「えっ! 何、今の音!」

シンジが急にひそひそ声で、かがんだ姿勢をとる。ツヨシもかがむ。

 しばらく様子をうかがっていたが、特に何も起こらなかった。

 シンジは(なんだ)といった表情で、再び立ち上がった。

「さあ、引き続き店を見回ってみましょう!」

 すると、何かに気が付いたのか、ツヨシが突然カメラを置いて、

「おい、お前」

と言いながら、腕をつかんできた。

「なんだよ」

 そのとき……

「ねえ……金がねえじゃねえか……!」

低い男の声がした。店の奥から聞こえる。

「だ、誰かいる……?」

シンジはまたひそひそ声になり、しゃがみこんだ。

 テーブルの陰に隠れて、声のする方を覗いてみると、大柄の男のシルエットが見えた。

 見ているうちに、目が慣れてきて、暗闇の中が少しずつ見えてくるようになった。

 大柄の男はレジをがさがさといじり、「なんでねえんだよ……!」とぶつぶつ言っている。すると今度は、レジの周りにある引き出しを開けて、中をぐちゃぐちゃと確認しだした。

 強盗だ。

 シンジは顔が真っ青になった。そして口元がにやけた。

 強盗と出くわして、身の危険を感じると同時に、このハプニングをおいしいと感じているのだ。

 「カメラ、回せ」

シンジは口パクでツヨシに言った。

「で、でも、オレ」

ツヨシはそう戸惑いながらも、言われるがままにカメラを構えた。

 カメラには、ドアップのシンジの顔と、奥にいる大柄の男の様子が、緊迫感満載で映されている。

「やばいっすよ!」

 興奮したひそひそ声で、シンジがカメラに向かって話す。

「これはオレらで撃退するしかねえ!」

「えっ」

シンジの言葉に、ツヨシはさらに混乱する。

「警察呼んでも、そんなすぐ駆けつけられねえだろ。オレがとっちめてやるから、ツヨシがその様子を撮影してくれよ」

「いや、オレ、やめたほうがいいと思う。絶対」

ツヨシがシンジを止める。

「何言ってんだよ。有名人になりたくねえのか?」

シンジが鼻で笑いながら立ち上がろうとした、その時。

「おい、そこで何してる」

「ひっ!」

いつの間に気づかれたのか、大柄の男が目の前に立っている。

「お前ら、誰だ」

大柄の男が詰め寄ってくる。

「あ、あの……その、えっと……」

さすがにシンジもびびった様子だ。

「いいから、騒ぐんじゃねえ」

大柄の男は低い声でうなるように言うと、シンジの身体をガシッと掴んだ。

「ひっ!」

シンジはひっくり返った声で叫んだ。

「と、トイレ行かせてください!」

「何?」

「トイレ行きたくなっちゃって……。逃げたりしないんで、トイレだけ行かせてください!」

大柄の男はため息をついた。「仕方ねえな」

 そして、シンジとツヨシの腕を掴んでトイレのほうへ向かった。

 トイレは男女兼用で、個室が1つだけあった。大柄の男は個室の前に立つと、「早く済ませろ」と言った。シンジは「は、はいっ」と言って個室の中に入った。

 シンジは個室に入ると、ほっと息をついた。

 そして用を足す。

 シンジは逃げようとしたわけじゃない。本当にトイレに行きたかったのだ。 

 さっきまでワインを飲んでいたのがいけなかったのだろう。

 そういえば、ツヨシは下戸だから、酒は一切飲んでいなかった。

 水を流すと、天井に近い壁に窓があることに気が付いた。

 シンジはトイレのフタを閉め、音をたてないように、そうっと上に登った。

(ここから外に逃げられるかもしれない)

 ゆっくり窓を開けて、窓枠に手をつき、身体を持ち上げたその時。

 シンジはどこかから視線を感じた。

 パッと下を見ると、シンジがいる個室の隣にある掃除用具入れに、1人の男が立っているのが見えた。男は異常に大きな目で、シンジのことを強く見つめている。

 よく見るとその男は、さっき会ったばかりの、あのひょろりとしたウエイターだった。

(な、なんでこいつがここにいるんだよ……? もう帰ったんじゃなかったのかよ? っていうか店が強盗に遭っているのに何してんだよ。あ、強盗に見つからないように隠れているのか)

 シンジがあれこれ考えている間にも、ウエイターの男はじっとシンジを睨んでいる。

 その目を見て、シンジは思った。

(こいつ……もしかして……幽霊!?)

 異常に鋭い目つき。青白い顔色。生きる者の肉体とは思えないほどの、ひょろりとした身体。そして、一言も発さない謎めいた態度。


 

「なんとこのレストラン、その昔、戦があったといわれている場所で、心霊スポットとしても有名なんですよー」

 「なんか、閉店後の店って、出そうじゃない?幽霊」

 


 数分前に自分が言ったセリフが、頭に蘇ってこだまする。

 シンジの腕に、鳥肌が立った。

 恐怖心と好奇心の狭間で、シンジは固まっていた。

 でもすぐに好奇心が打ち勝った。

 シンジは黒いロングコートのポケットから自分のスマートフォンを取り出した。

 そして掃除用具入れから自分を見上げている幽霊の男を、動画で撮影し始めた。

 一瞬、ライブ配信にしようかと思ったが、強盗が個室のすぐ目の前で待っているので、声を出すわけにはいかない。ただ無言で幽霊を映しても盛り上がらないので、動画を撮っておいて、後で面白おかしく編集しようと思った。

 すると……

「おい、てめえ、何してる!! 早く出てこい!」

強盗の声が、狭いトイレに響き渡った。

 シンジがなかなか出てこないので、強盗に怪しまれてしまっている。 

「やべっ」

シンジは幽霊を撮影するのを途中で切り上げて、とりあえず窓から外に脱出しようとした。短い尺ではあるが、一応幽霊が映った動画は撮れている。

 すると……幽霊の男が、突然シンジの腕をものすごい勢いで掴んできた。

「や、やめろ!」

シンジはひそひそ声で慌てて抵抗するが、幽霊の冷たい手はなかなか剝がれない。

 幽霊はシンジの腕を支えに、窓のへりに手をつくと、壁によじ登った。

 幽霊の顔が、シンジの目の前にやってくる。

「ひっ……!」

 そして幽霊は、恨めし気にシンジのスマートフォンを見ると、突然

「うわっ!」

シンジの脇腹を刺した。血が流れている。

 シンジはよじ登っていた壁から落ち、個室の床に倒れこんだ。

 ドスン、と衝撃音が響く。

「どうしたんだ!」

異変を察知した強盗が、トイレのドアを無理やりこじ開けて、個室に入ってきた。

「うわあっ!」

倒れているシンジを見て、強盗は叫び後ずさった。

 強盗の隣にいたツヨシも「一体何が!?」と駆け寄る。

「誰にやられた!?」ツヨシが聞くと、シンジは最後の力を振り絞って言った。

「ゆ、ゆうれい……」

「は?」

「何言ってんだ、お前」

ツヨシが急いで、トイレの中を確認する。しかし、誰もいない。

「とにかく、救急車を要請しよう」

ツヨシの声に、シンジは気を失いそうになりながらも、首を少し起こして言った。

「お、オレ、死ぬのかな……」

するとツヨシがしゃがみこんで、シンジの腕を掴んだ。

「いや、死なない。オレが死なせない」

「つ、ツヨシ……!」

(それ、医者が言うセリフだろ)と、つっこもうとしたが、やめた。

 いつもとは違う、感情のこもった言い方に、シンジは中学時代からの熱い友情を感じたのだ。

ツヨシはシンジの目をまっすぐ見て、言った。

「ここで死なれちゃ困るんだよ、シンジ。……いや、青木進一」

「なんだよ、急に本名で。照れくさいだ……」

まだシンジが言い終わらないうちに、ツヨシはこう畳みかけた。

「お前を不法侵入の疑いで現行犯逮捕する」

シンジの手に、手錠がかけられた。

「エッ!」

 ツヨシは急に滑らかに話し始めた。

「知らなかったか? オレの中学時代からの将来の夢」

「は?」

「刑事だ。オレ、刑事なんだよ。久々に同窓会で会った時、今のお前がしてることを聞いて、心配になった。だから、お前に近づいて、いろいろ調べさせてもらった。潜入捜査ってやつだ。お前、以前からプライバシーの侵害や業務の妨害など、迷惑行為を数多く行っていたようじゃないか。この傷が治ったら、余罪についてたっぷり調べさせてもらうぞ」

「ええ……」

シンジはそう返すことしか出来なかったが、救急隊を待つ間、ふと思いついて声を上げた。

「っていうか! こいつを先に逮捕しろよ!」

シンジは刺されたことも一瞬忘れて、強盗を指さした。

「こいつのほうがやばいだろ!」

するとツヨシは鼻で笑って答えた。

「この方は、この店のご主人だ。捜査に協力してもらった」

大柄の男は満足げに笑った。

「くっそ……。っていうか、ツヨシ。お前、さっきまでとキャラ違いすぎるだろ! すげえしゃべるじゃねえかよ!」

 悔しがるシンジを無視して、ツヨシはご丁寧に説明し始めた。

「中学2年の時、写真部のオレが撮った写真に、偶然近くで起こった空き巣の犯人が映ってたんだよ。そのおかげで空き巣は無事に逮捕された。で、オレは警察から感謝状を送られた。こんなオレでも、人の役に立てるんだなあって思ったよ。それが、刑事になりたいと思ったきっかけだ。あの頃は、人前に立ったり自分の意見を言ったりするのが苦手だったが、人って変わることが出来るんだな」

「し、知らねえよ! 覚えてねえよ! 中学時代のお前なんか!」

 シンジが叫ぶが、ツヨシの耳にはあまり入ってきていないようだ。また丁寧な説明を始めた。

「ご主人に危害が加わらないように、鍵を開けて店に不法侵入した時点で、すぐ逮捕しようと思ったんだ。しかし、ご主人の強盗の演技が予想外に入ってきたもんで。しかも、お前がトイレに行きたいとか言いだすし。予定より逮捕が遅くなってしまった。にしても、ご主人。強盗の演技上手でしたね。特に、『金がねえじゃねえか!』のセリフ」

「いや、ちげえんだよ、刑事さん。あれは本当だ。本当に金がなくなってたんだよ! とりあえずシンジチャンネルを逮捕するのが一番だと思って、そのまま強盗のフリをしたが……店の金が誰かに盗まれちまったんだ!」

「えっ、なんだと!? いったい誰が……」

ツヨシがそう言いながら、シンジの顔を見た。

「……オレじゃねえよ!!」

 シンジが今日の中で一番キレのある突っ込みをしたところで、救急隊が到着した。

 シンジは病院に運ばれた。命に別状はないが、しばらく入院し、その後警察に身柄を拘束されることになった。警察は、シンジの余罪を調べるとともに、店の金が盗まれた事件の犯人も追うこととなった。



 それから、数日が経った。

 まだ傷が治っていないシンジが病室のベッドで寝ていると、ガラガラと音を立てて、病室の引き戸が開いた。

 その音にうっすらと目を開けると、あの時、店のトイレで見た幽霊の男が見えた。

 驚いて、目を見開く。やっぱりあの幽霊だ。間違いない。

(またオレを襲いに来たのか!?)

 シンジはパニックになった。

 (だ、誰か、助けてくれ! オレはこの幽霊に呪われている……!)

そう思っても、恐怖のあまり声が出ない。

 あの時は、有名人になりたいと思って、動画を回そうとしたが、今はもう幽霊に対する好奇心なんて湧いてこない。恐怖心しかない。

 すると、幽霊の男が信じられないくらい顔を近づけてきた。

 死んだ目で、口をもごもご動かしている。

 そして、シンジの耳元でこうささやいた。

「どうが……どうが……」

「ど、動画?」

シンジが口をパクパク動かすと、幽霊はこくりとうなづいた。

「けせ……」

「け、消せ?」

またシンジがパクパク言うと、幽霊はうなづいて、音も立てずに去っていった。

 病室に残されたシンジは、心が無になった。

 ぼーっと天井を見つめる。

 だが、少しして、「け、消さなきゃ!幽霊の、怨念が!!消さないと呪われる!」と叫んだ。

 しかし、シンジのスマートフォンは警察に証拠品として押収され、手元には何もない。

 シンジは困った。だが、すぐに思いついて車いすに乗って病室を出た。看護師の目を盗んで、病院の外来受付まで行くと、こっそり病院のパソコンをいじりだした。


 

 それからというもの、シンジは病室での事情聴取において口を開くことはなく、幽霊のことも、動画のことも、話さなくなった。

(幽霊との約束を守るんだ)

と、必死になっていた。


 そして退院の日がやってきた。

 病院の廊下を、松葉杖をついて歩く。

 外来の待合室を通りかかり、そこに設置されているテレビが目に入った。

「速報です。今月○日に○○市のレストランの店舗で起こった強盗事件で……」

テレビは今入ったばかりのニュースを映し出していた。

 シンジがあの夜侵入したレストランだった。

 反射的にテレビ画面に見入る。

「犯人が逮捕されました」

 画面に、犯人の名前と顔写真が映っている。

「えっ……」

シンジは言葉を失った。

 シンジの心の中で時が止まっても、ニュースは続いている。

「○○容疑者は、このレストランで従業員として働いていたということです」

 画面に映っているのは、あの夜、店のトイレでシンジの目の前にあったウエイターの男の顔だった。

「あいつ……幽霊じゃなかったのか……!」

 アナウンサーは淡々とした口調で、ニュースの内容を伝えた。

 「営業後、従業員の男は金を盗んで、裏口から逃走しようとしました。ところが、店の主人が裏口から店に帰ってきて、さらには店に不法侵入者も現れたため、店のトイレの掃除用具入れに隠れていたということです。その後トイレに入ってきた不法侵入者に見つかったため、侵入者を刺して、トイレの窓から逃走したということです。警察は犯人を追っていましたが、○○容疑者がその日その時間に店にいたことを証明する動画が見つかったことから、逮捕に至りました。警察は○○容疑者の認否を……」

 アナウンサーがまだ話している途中だが、シンジはそれ以上耳に入らなかった。



「『その日その時間に店にいたことを証明する動画』?」



 すると、向こうから1人の男が近づいてきた。

「ツヨシ……」

ツヨシはそれには答えず、こう切り出した。

「あの夜、お前を刺した強盗が見つかった」

シンジはどんな反応をすればいいか分からなかった。

ツヨシは構わず続けた。

「強盗は、あの時掃除用具入れに隠れていて、トイレの窓から脱出しようとしたらしい。しかし、ひょろっとした身体でな。筋肉がなく、壁をよじ登れなかった。そこで、現れたお前の腕を掴むなりなんなりして、ようやく壁によじ登れ、口封じにお前を刺して窓から逃走したということだ」

「そ、そうですか」

シンジはとりあえずそういう反応をした。

 すると、ツヨシが唐突に言った。

「動画。お前、消去したな」

シンジの心の中で、「エッ!?」という声が響いた。

「強盗が、あの日あの時間にあのレストランにいたという、重要な証拠を削除しただろ。犯人に頼まれたのか? ともかく、証拠隠滅の罪についても、これから調べさせてもらう」

シンジは一瞬、また心が無になってしまいそうになったが、慌てて声を上げた。

「いや! そんな動画知らねえよ! オレがそんな動画を撮ったっていう証拠も、捨てたっいう証拠もねえだろ!」

 シンジの声が大きかったので、外来の待合室にいる人たちが、ぎょっとして見る。

 ツヨシはそんなことには動じずに言った。

「お前、この病院のパソコンで自分のアカウントにログインしただろ。ログインした記録が残っている。」

「えっ……」

「削除した記録も、しっかり残っているぞ」

ツヨシはとどめを刺すように、言った。

「それに、『ゴミ箱』に動画が残っていたぞ」

 シンジは今度こそ心が無になった。

「さあ、署に行くぞ」

ツヨシがシンジに背を向け、歩き出した。が、すぐに振り返って言った。

「退院、おめでとう」

シンジは心の中で叫んだ。

(くっそー!)



 不法侵入、数々の迷惑行為、さらには自分を刺した犯人をかばったという罪で、ワイドショーはこぞってこの事件を取り上げた。しかし2日もすれば次の話題が取り上げられ、シンジはやはり有名人になることは出来なかった。



 これで事件は解決したと思われた。

 だが、ツヨシはある問題を抱えていた。

 

 その夜、ツヨシは署の自分のデスクで、シンジが撮った2つの動画を、もう一度確認していた。

 ここのところ事件が立て込んで、あまり眠れていないツヨシは、あくびをしながら動画を再生した。同僚たちのほとんどは退勤していて、ツヨシの周りには誰もいなかった。

 画面に真っ暗闇のレストランが映り始めた。

 その時、ツヨシは目を疑った。

 閉店後の店内に、誰かいる。

 男が2人。なぜか武士のような恰好をしている。

 暗闇の中で、シンジとツヨシの食べ残しを、椅子にも座らず一心不乱に食べている。

(……あの時はいなかったよな?)

 その後彼らの様子が映ることはなかった。

(どういうことだ……?)

 ツヨシはもう1つの動画を再生した。今度はトイレでの動画だ。

 トイレの掃除用具入れの中から、ウエイターの男がこっちを睨んでいる。

 すると突然、

ザァーーーー

 PCの画面に砂嵐が流れ始めた。

 思わずツヨシは後ずさる。

「なんだ、これ」

 ツヨシがマウスに手を置いてPCを操作しようとすると、まだ何もしていないのに勝手に砂嵐が止んだ。

「なんなんだ」

 そのとき……。

「う、うわあ!!!」

ツヨシは思わず叫んだ。 

 画面いっぱいに、あの武士の格好の男たちが映っている。

 身体に矢が刺さっていて、血まみれだ。その姿は、明らかにこの世のものではなかった。

 あの時のシンジのセリフが頭に蘇ってこだまする。


「なんとこのレストラン、その昔、戦があったといわれている場所で、心霊スポットとしても有名なんですよー」

 「なんか、閉店後の店って、出そうじゃない?幽霊」


 全身が固まり、思考が停止する。いつの間にか、動画は終わっていた。

 何も映っていないPCの真っ暗な画面に、自分の顔が反射している。

 目を見開いて固まった姿勢のまま、シンジはつぶやいた。

「ど、どうすればいいんだ……」


 

 証拠品に幽霊が映っている、なんて言い出すこともできず、ツヨシはこのことをひたすら黙っていた。PCに映っていた落ち武者たちの顔が頭から離れないが、刑事としての職務を全うするために、このことは忘れて、切り替えようと決意した。

 


 しかし数か月後、またそれを思い出すことになってしまった。

 

 シンジが服役している刑務所で、問題が発生した。

 なんと複数の受刑者が、シンジが来たとたん刑務所で怪奇現象が起こるようになったと訴えているというのだ。夜中に謎の足跡やうめき声が聞こえたり、金縛りにあったりするという。武士のような姿の男がさまよっているのを見た、と述べる者もいた。

 当の本人であるシンジはなにも異変を感じていないらしい。

 ツヨシはそれを聞いて、あの日あの場所にいた自分も、落ち武者たちに憑りつかれているかもしれない、と思った。


 ツヨシは、自宅にカメラを設置して、幽霊が映るかどうか確かめることにした。

 写真や動画の撮影が趣味であるツヨシは、高性能なカメラをたくさん持っているが、自分の大事なコレクションを、不気味なものを映すために使用するのは気が引けたので、スマートフォンのカメラで簡単に済ますことにした。

 録画したものを、昼休憩中に職場のデスクで確認する。

 動画を再生すると、あの落ち武者たちがツヨシの部屋の中を徘徊している様子がしっかりと映っていた。

「うそだろ……」

ツヨシは頭を抱えた。

「やっぱり、オレも……!」

そのとき。

「どーしたんですかっ! ツヨシ先輩!」

「ひゃあ!!」

突然肩を叩かれて、ツヨシは震えあがった。

 後輩の女の子だった。

「な、なんでもない」

ツヨシが冷静を装って返すと、後輩がスマートフォンの画面を覗き込んだ。

「あ! ツヨシ先輩ってSNSしてるんですね!」

「え?」

言われて画面を見ると、自分のSNSアカウントが表示されていた。

(なんでこの画面が?)

よく見ると……

「ああっ!」

さっきまで見ていた自宅の動画がそこに載っている。

 声をかけられて驚いた瞬間に、誤って共有ボタンを押して、SNSに投稿されてしまったのだ。

 1人暮らしの汚い部屋と、ツヨシのだらしない様子と、落ち武者の恐ろしい姿が、今、全世界に発信されてしまっている。

 ツヨシは「け、消さなきゃ!幽霊の、怨念が!!消さないと呪われる!」と叫んだ。

 しかし動画は瞬く間に拡散され、ツヨシが削除しても、すでに多くの人の目に触れてしまっていた。

 この動画は大反響を呼び、ツヨシはネットで話題の人となった。

 これがきっかけで、過去の投稿も注目され、ツヨシが撮った風景や食べ物の写真がたくさんの人に褒められた。


 ツヨシの中に、もっと注目されたいという気持ちが芽生えた。


〈END〉

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