第3話「事情聴取」
何があっても朝は来る。例え仕事で推しにインタビューをしようが、その推しが昔から付き合いのあるフォロワーだろうが、そのフォロワーに交際を申し込まれようが、朝が来れば仕事に向かう。
職場に着けば仕事があるし、終わればまた電車に乗って帰るだけ。
「杏里!飲み付き合って!」
「うぉお…」
仕事を終え、帰ろうと荷物を持ち上げた瞬間背中に衝撃が走る。よろめきながら振り向けば、入社した頃から仲の良い同期がくっ付いていた。
「ゆかり…明日も仕事なんだけど」
「ちょっとだけ!ね、ね!」
「良いけどさ…何処行くの?」
山内ゆかりと書かれたネームプレートをぶら下げ、くるくると巻かれた髪を一纏めにしている女性社員は、杏里よりも随分背が低い。
本人は気にして高いヒールを穿いているのだが、それでも杏里よりも小さい。
「いつもの居酒屋行こう!愚痴を!聞いて!」
わあわあと騒ぐゆかりに押され、オフィスを出た杏里はやれやれと溜息を吐きながらネームプレートを外す。
今日は帰って洗濯をしたかったのだが、ゆかりが愚痴を聞いてほしいと言うのは珍しい。きっと何かあったのかもしれないし、恋人と別れたばかりの頃沢山励まして貰った恩もあり、断る事が出来なかった。
「もうさ!詳しくは後で話すんだけどね!」
ふんふんと怒っているゆかりは、カツカツとヒールの音を響かせる。よくその高さのヒールで歩けるなと感心しながら、杏里は自分の靴を見下ろした。
申し訳程度のヒール。そんなに身長が高いわけではないのだが、元恋人から「あんまり高いヒール穿かれると背抜かれるから嫌」と言われた事を未だに引き摺っている。
歩く事もままならないだろうが、ゆかりのようなハイヒールを穿いてみたい。きっと少し穿いて満足してしまうのだろうが、いつもより高い視界を見てみたかった。
「杏里―!早く行こうよー!」
ぼうっとしている間に置いて行かれていたらしい。少し前を歩いているゆかりが大きく手を振って声を張った。
小走りで追いかけ、ゆかりの隣に並ぶと、早く行こうよと腕を組まれた。ゆかりは昔からこうだ。杏里の腕を捕まえ、引っ張って行ってくれる。
可愛らしい顔をして、中身は男勝り。思った事をはっきりと言ってくれるゆかりは、仕事仲間でもあり、良き友人だった。
◆◆◆
怒り狂っているゆかりは、ぐびぐびとビールを飲み干し、空になったグラスをテーブルに置いた。カウンター席は少し狭いが、二人で並んで話をするには丁度良いだろう。
「でさ!小学生みたいでその気にならないって言うんだよ!有り得なくない?!」
「どうどう…」
まあ飲めよとメニューを差し出しながら、杏里は何と返そうか考える。
簡単に纏めると、最近友人から男性を紹介されたらしいのだが、身長が低いと子供に見えると言われて振られたそうだ。
「別に私付き合ってくださいとか一言も言ってないっつの!ていうか初対面の相手に普通そんな事言うか!?」
怒りが収まらないのか、ゆかりはビールのお代わりを頼みながら杏里に意見を求めた。
確かにゆかりは童顔で身長も低い。二十九歳と言われて驚く事はあっても、子供に見えるは流石に酷い言われようだと思う。
「まあ…付き合いが長くなる前に切れて良かったんじゃないの?」
「そうだけど!そうだけどさあ…」
ビールを持って来た店員からグラスを受け取り、ゆかりはまた一口ぐびりと飲んだ。結構なペースだなと水を差し出し、杏里も梅酒ソーダをちびりと舐めた。
「そんな男忘れときな。ゆかりは可愛いんだから、まだまだ良い出会いあるって」
「ちっちゃくて可愛い的な事?」
「それもあるけど、いつもちゃんとメイクして、服だって気を遣ってさ。スキンケアも頑張ってるんでしょ?」
トーンダウンしたゆかりの背中をよしよしと摩り、杏里は何とか励まそうと言葉を続ける。
「仕事だって人一倍頑張ってるしさ。それに、この間部長も褒めてたんだよ。それに、こんなに可愛い子が人の体の事どうこう言う男に掴まらなくて私は安心したよ」
「あんりぃ…!」
酒が入ったせいなのか、ゆかりは目を潤ませて杏里を見つめる。
飲もうぜ!と互いにグラスを持ち上げ、冷めてきてしまった料理にも手を付けた。
出会いが無いと喚いてはいるのだが、焦って変な男に掴まるより良い。大好きな友人でもあるゆかりには、幸せになってほしかった。
「最近妹が子供産んでさー。姪っ子二人目!超可愛いんだよね」
「へえ、おめでとう」
写真を見せてくれたゆかりは表情が緩み、姪っ子が可愛いと自慢を始める。スマホに映る幼い子供が赤子を膝に抱えている姿に口元を緩ませながら、杏里も可愛いねと言葉を続ける。
「手狭になって来たから、今度家買うんだってさ。そしたら母さんがアンタはまだなの?って圧掛けてきてさあ…」
「あるあるだねぇ…」
「この年になるとそうなるよなとは思うんだけど…だからってプレッシャー掛けられてもね」
「うちも似たようなもんだよ…」
父からお見合い話を勧められている話をすると、ゆかりは苦い顔をして同情するような視線を杏里に向けた。
「どんな人とお見合いするって?」
「会社の若い人だって。断ってるからまだ本格的に話進めてるってわけじゃないみたいんだけど…三十になっても結婚相手見つけられないんだったら見合い!って大騒ぎ」
ゆかりの愚痴を聞きに来ていた筈なのに、いつの間にか杏里の愚痴を聞いてもらう事になってしまった。
どうにかして見合い話を回避したいのだが、あと三ヶ月で相手を見つける事はほぼ不可能。どうしようと頭を抱える杏里に、ゆかりは小さく唸って何かを考えているようだ。
「誰か知り合いに彼氏のふりしてもらって、親に挨拶してもらうとかどう?」
「その後の事が面倒すぎる」
「あー、確かに。婚約破棄したばっかりだもんね」
「傷心中なんだからもう少し放っておいてほしいんだけどなぁ」
別れてまだ二か月。もう少し放っておいてと何度も言っている筈なのに、一人娘を心配している父は暴走している。母が止めてくれてはいるのだが、母も母で娘が心配なようだ。
「誰か良い人いないの?長年付き合ってる人がいたとは言え、男友達くらいいるでしょ?」
「…実は、ちょっと色々あって」
もごもごと言葉を詰まらせた杏里に、ゆかりは興味津々で身を乗り出す。所謂恋バナが好きなゆかりは、早く話せと目を輝かせた。
「詳しい事はちょっと…ぼかすんだけどね。結構付き合いの長い友達から付き合ってって言われて…」
「良いじゃん!え、おめでとう!」
「いや、お断りしましてね…」
「何で!」
声が大きいと人差し指を口元で立て、杏里は隣の席に座っていた客に小さく頭を下げる。ゆかりも口元を抑えぺこぺこと頭を下げると、詳しく聞きたいからうちに来いと言いだした。
「朝早いんですけど…」
「泊って行きなよ。服も前に忘れて行ったやつあるし!」
「取りに行くの忘れてた…」
元恋人と別れた頃、一人になるのが嫌だとしょげている杏里をゆかりが家に泊めてくれたのだ。その時部屋着を借りて帰ったのだが、着て行った服は忘れてしまったままだった。
「はい、問題解決!そうとなったら行きますぜ!」
「話聞いてよお…」
行くぞと盛り上がっているゆかりは、さっさと荷物を纏めて立ち上がる。会計票を手にしてレジまで行かれてしまっては、追いかけるしかなかった。
◆◆◆
ゆかりの部屋はいつも良い香りがする。お気に入りのルームフレグランスの香りらしいのだが、全体的に白い家具で纏められた部屋はお洒落な雰囲気で居心地が良い。
いきなり来ても綺麗に整えられ、床には髪の毛一本すら落ちていない。どうしてロングヘアのゆかりの部屋がこんなに綺麗なのか理解が出来なかった。
「はい飲み直しと共にー!事情聴取ですー!」
「おうおう出来上がってますな」
明日も仕事だからと、一応二人はソフトドリンクで楽しむ事にした。コンビニで飲み物を買い、ついでにお菓子も買い込んだ。
「何があってお付き合い断ったわけ?」
「やあ…釣り合わないなぁと思って」
「どゆこと?相手が超お金持ちとかそういう事?」
メイクを落とし、部屋着に着替えたゆかりは、オレンジジュースを飲みながら首を傾げる。杏里もゆかりの服を借り、簡単にメイクを落として寛いでいるのだが、何と説明しようか考えているうちに正座をしていた。
「お金持ち…ではある、かなあ」
「ええ…何、もっと詳しく!」
「誰かは言えないんだけど、その…所謂有名人だったんだよね、友達」
相手がユキである事は、流石に言えなかった。有名人である事は嘘ではないし、有名人である事だけを伝えれば、ゆかりは何となく察してくれたようだ。
「友達としては凄く良い人なんだよ。会話のノリも合うし、付き合いも長いし…」
「恋愛対象としてはちょっと、ってやつ?」
「そういう事。今までそんな目で見てなかったし、有名人と普通の会社員じゃ釣り合い取れない気がして」
杏里もオレンジジュースを飲み、小さく溜息を吐いた。
健斗と飲みに行った日、少し考えさせてと返事を保留して別れた。あれから何度かやりとりはしているのだが、次に会う予定なども決まっていない。
「えー、勿体ない!ちょっとデートくらいしてみたら?」
「ええ…どこに行けば…見つかって騒ぎになったら大変だしさ」
「あー、そういうのもあるのか」
スナック菓子を口に放り投げ、ゆかりはスマホを弄り始める。事情聴取とやらは終わったのかと安堵した杏里もスナック菓子を放り込んだが、目の前にスマホを突き出されて動きを止めた。
「水族館とか!」
「は?」
「薄暗いし、皆魚に夢中で他の客なんて見てないって!初デートには良いんじゃない?」
ニヤニヤと笑っているゆかりは、どうやら楽しんでいるようだ。無責任な!と文句を言いたくなったが、スマホを降ろしたゆかりはふいに眉尻を下げて俯いた。
「杏里には、幸せになってほしいんだよ」
「ゆかり…」
「だって、もしかして良くない事を考えるんじゃないかってくらい落ち込んでたじゃん。あんなに泣いて、顔パンパンにしながら仕事して、終わったら馬鹿みたいにお酒飲んでさ…」
ズビッと鼻を鳴らしたゆかりは泣いているらしい。どうして泣くのだと慌て、杏里はテーブルに置かれていたティッシュをゆかりに差し出した。
「お、お弁当だって毎日作ってさあ!同棲するんだってあんなに嬉しそうにしてたのに…!何だよ若い子妊娠させたから別れてくださいってさぁ!」
ゆかりは杏里の元恋人に相当怒っているようで、別れたばかりの頃も泣いている杏里を励ましながら怒ってくれた。
二か月経ち、杏里の心は少し落ち着いて来たのだが、ゆかりはまだ許せないようだった。
「毎日お弁当作って、昼休みにレシピサイト見て献立考えてくれる彼女を裏切りやがって!」
「や、料理下手なんで…母に甘えていたツケと言いますか何というか…」
「努力してたじゃん!頑張ってたじゃん!」
ぼろぼろと涙を流すゆかりは、ティッシュを纏めて取り出すと勢い良く鼻をかむ。
可愛いのに時々おっさんなんだよなと内心思いつつ、杏里はよしよしとゆかりの頭を撫でた。
「幸せになってよぉー!」
「おうおう、私の台詞だよぉ。アイドルの追っかけは程々にするんだよぉ」
寛いでいるリビングの隣、ゆかりの寝室には人気男性アイドルグループのグッズが大量に飾られている事を知っている。
コンサートチケットの抽選を手伝った事もあるし、応援用のうちわ造りに付き合わされた事もある。
「アイドルと結婚出来るとは思ってないけどさ?推し活を理解出来る人じゃないと無理。理想を言えば一緒にコンサート来てくれる熱量の男じゃなきゃ嫌」
「理想たっけぇ…」
そろそろ寝ようと誘っても、ゆかりはまだ落ち着かないのか、ずびずびと鼻を啜っている。
幸せになりたいねと二人で肩を寄せ合うのは、あと何年続くのだろう。
互いに互いの幸せを願いながら、ソフトドリンクを飲み続ける時間は、深夜まで続いた。
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