第13章 サルも人間のうち

 俺はオフィスに戻ってきたサルにずかずかと近づき、有無を言わさず連行した。サルは俺の尋常でない様子に気づいたのか、驚いて逃げようと試みたが、俺が睨みつけると観念し俺に連行された。樫尾が訝しげに俺たちを目で追い、何か言いかけていたが、知るもんか。


 俺はサルを連れ歩きながら、身の内に渦巻く殺意に翻弄されていた。今まで一回も感じたことのない感情に揺さぶられていた俺を、なんとか一線を越えないよう押し留めていたのは、驚いたことに──師匠の教えだった。


『ハッカーに必要なのは、段取りだけではないんだよ』


 突然師匠の声が響く。羽根と輪っかをつけた師匠が脳内に現れ、暴れ回る真っ黒い殺意に向かって、子供に言うようにゆっくりと言い聞かせる。


『いいかい、フシギソウちゃん。ハッカーに一番大切なのは、うろたえないことさ』


 殺意が、師匠に向けて、『引っ込め!!』とか『ペテン師!!』とか罵声を浴びせるが、師匠は悠々と飛び回る。


『んーん、フシギソウちゃん、カッとなりやすいでしょ~。覚えが悪い分、しっかり考える癖つけないと、やってけないよ』


 うるせえ死ね!!俺は脳内の師匠を巨大な手でぶっ潰す。


 気づけば、俺はファミレスでサルと向かい合っていた。おかしい。ここに来るまでの記憶が無い。これは現実だよな? そうだよな?


「はーっ、はーっ……」


「……大丈夫ですか?」


 うぇ、サルに心配された。俺は混乱しながらも水をかっ食らい、ガンッとグラスをテーブルに勢いよく置いた。サルがびくりと跳ねる。


「……えーと、サル。」


「は、はい。」


「俺、お前を連れて、このファミレスに入ったんだよな?」


「はあ…そうですが。」


 やっぱり記憶が無い。どうやら本格的に俺はおかしくなっちまったらしい、と俺は思った。普通の俺だったら、剣呑な話し合いにファミレスは選ばないだろう。……どうしてこうなったんだっけ? 屋上で俺が考えてて、玲サンの声が聞こえて、玲サンと、サルが……


「そうだ!! お前が……!!」


 俺は再び憤怒に満たされ、サルを指差した。


「お前なんかが、なんで玲サンと一緒にいんだよ!!」


 サルは突然怒鳴った俺にびっくり仰天して、俺の指と顔を交互に見た。しかし、呆気にとられたような顔をしたまま、サルは何も答えない。俺は大声で叫び、テーブル越しにサルの首根っこをひっ掴んだ。


「言えよ!! じゃないとぶち殺すぞごらあぁ!!」


 店じゅうの顔がこちらに向く。案の定近くの店員がすっ飛んで来て、「他のお客様のご迷惑になりますので……」と止めてきた。俺は舌打ちし、ゼェゼェと息を切らしながら、しょうがなく手を離した。サルは震えて下を向いたが、今度は、言うまいというように唇を噛み締めた。その顔を見て俺はまたムカムカしてきた。


「……言え、ません」


「何で」


「誰にも言わないって、あの人……玲さんに、約束したんで……」


「……は?」


 約束。玲サンと、サルが、約束。


 また殺意が暴れだしそうになった時、サルが思いもよらない言葉を続けた。


「じっ実は……俺、山本亜子に、三年くらい前からずっと、いびられてたんです」


「え」


「他の奴らが俺を目の敵にしてくる中、玲さんは、俺なんかにも、優しくしてくれてたんです……それもあって、山本亜子は、玲さんのこと嫌いだったみたい、ですけど……」


 サルの語尾が、だんだんと情けなくなる。サルは切れ切れに、あえぐように続けた。


「玲さんが辞めた時、俺っ、申し訳ないと、思ったんです。辞めた事情は、なんとなくしか、知らないんですけど、元はといえば、俺のせいなんだって、思って……。金、受け取ったのも、俺だし」


「……」


「だから、俺、あの人には、恩があるんです!! 俺は、自分にできることなら、それを、返したいんです!! ですから、申し訳ないですけど、口が裂けても、秘密を、話したり、できません!!」


 サルは怯えながらも、確固たる決意を持って俺を反抗的に見返した。


 俺は、玲サンがサルに優しくしていたという点にはムカついたが、同時にサルを見直した。


 なんだか、サルに『恩返ししたい』という概念があったことに感動したのだ。俺は無意識のうちに、サルをそれこそ猿以下のように思っていたことに気づいた。グループ内でマトモに人間扱いされてないサルを、人間として見たことが無かったのだ。底辺のレッテルを貼って、負け組だとバカにしていた。


 こいつも人間なんだな、と俺は当たり前のことを思った。ふと気づくと、あんなに荒れ狂っていた殺意は鳴りを潜め、怒りのボルテージは大きくダウンしていた。


 俺は久しぶりに落ち着きを取り戻し、「……分かった」と言った。サルはホッとしたように力を抜いた。


「一応聞くが、玲サンと付き合ってる……とか、そういうわけじゃ、ないよな?」


 サルは目を丸くした後、合点がいったような表情をして、ぶんぶんと首を横に振った。


「断じて、そういうわけじゃないです!!」


 それを聞いて俺の怒りはほぼゼロにまで減少した。


 そうか、と俺は思った。俺はこいつを人間だと思ってなかったからこそ、玲サンには俺とこいつを同じように扱ってほしくなかったんだ。俺は、サルに申し訳ないとは思わないまでも、これからはサルをちゃんと人間扱いしてやろう、と自分勝手に決心した。手始めに俺は店員を呼び、自分とサルの分の二つ、アイスコーヒーを頼んだ。サルは俺の豹変に着いていけないようで目を白黒させた。


 間もなく運ばれたアイスコーヒーを飲み、一息着いたところで、俺はあることを思い付いた。


「サル。怯えさせて悪かった。さっきの質問には答えなくてもいい」


「はあ。そしたら、もう戻っていいですか?」


「……二つ、別の質問に答えれば、戻っていい」


「……えぇ……まあ、いいですけど」


 サルは少し嫌そうにしたが、了承した。


「お前から見て、山本亜子はどんな奴だった?」


 サルは目を泳がせた。考え考え、話し出す。


「恐ろしい人……ですかね。……亜子さんは、人の弱みを握るのが、上手いんですよ。握ってから、好きなだけ、操るんです」


「それは怖いな……」


「亜子さんに、表立って逆らう人はいませんでしたけど、ひそかに反感を持ってる人は、多かったと思います」


「お前もその一人ってわけか?」


「……まあ、そうですね」


 俺はなんとなく、玲サンがサルに近づいた理由が分かるような気がした。玲サンと共通の敵を持つサルは、共闘にはうってつけの相手だ。俺は自分の浅はかさを恥じた。玲サンと山本亜子の間に確執があるように、サルと山本亜子の間にも何かあることくらい、予想できたってよかったのに。


「もう一つ」


 俺は深呼吸して、サルを見据えた。


「玲サンは、山本亜子を、殺したいほど恨んでいると思うか? もしチャンスがあれば、何がなんでも殺そうとするほど恨んでいると、そう思うか?」


 サルは目を見開き、間を置いてから、無言で頷いた。そして言った。


「……それは間違いなく、そうだと思います」


「……そうか。分かった。ありがとう」


 俺は礼を言って、サルを解放した。



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