第8章 正義の側には馴染まない


 明くる朝、俺はボンヤリしたまま樫尾の世話をしに病院へ向かった。


 正直、樫尾はもうだいたい回復していて、世話することもそんな沢山あるわけでもない。それに一週間も経つと樫尾との世間話のネタも尽きてくる。


 俺は一昨日から樫尾の病室にPCとポケットWi-Fiを持ち込んで、片手間に仕事をしていた。しかし今日は、PCを打つ手もなんだかノロノロしてしまう。『山本亜子』の事を調べる、と玲サンに大見得を切ったものの、俺はさっそく途方に暮れていた。


 差し当たって問題は4つある。


 第一の問題は、痕跡を残さず相手の情報を掠め取れるほどの腕前が俺には無いことだ。クラッキングの方法は複数あり、特殊なツールを用いて総当たりにパスワードを特定する、システムの脆弱性を突く、マルウェアに感染させるといった方法がある。しかし、どれにしても俺の手腕ではログが残り、俺がやったことがバレる危険性がある。とはいえ俺も『道具屋』の端くれなので、一応海外のサーバを経由したりしてバレにくくはしてあるが、相手は俺と同じくクラッキングのプロだ。絶対にバレないとは言えないだろう。バレたら最後、組同士の抗争みたいに俺らのグループ全体に迷惑がかかる事態になるかもしれない。できるだけそれは避けたい所だ。


 第二の問題は、どういう情報を得れば山本亜子の詐欺の立証ができるのか、俺にはよく分からないことだ。適当にウェブページをあさって詐欺の立証について調べてはみたが、法律の話はとてもややこしく、俺にはちんぷんかんぷんだった。とりあえず分かったことは、「故意の立証」というのが大事ということと、組織的な詐欺の場合、量刑が重くなる、ということの2つだけだった。山本亜子がどういう詐欺に関わっているのかも、あまりよく分からない。玲サンの話では、俺たちのグループと同じ特殊詐欺っぽさはあったのだが、詳しくは不明だ。


 第三の問題は、恐らく山本亜子がある程度用心深い人物であるということだ。今まで手に入れた個人情報のリストをざっとサーチしたが、『山本亜子』に該当する人物の個人情報は見つからなかった。俺の情報網は大手携帯会社内部の内通者から、占いサイトの経営者、果ては保険会社の社員まで多様だ。それなのにヒットしないということは、山本亜子は恐らく偽名なんだろう。困ったことに、結局相手の名前すら分からないということだ。まあ、そんなことはこの業界では珍しいことではないが(グループ内で俺の本名を知ってるのは樫尾くらいだし)。


 第四は、山本亜子の個人情報や詐欺の証拠を押さえられたとして、俺はそれを玲サンに渡してもいいのかどうか、という問題だ。玲サンがもしその情報を元に山本亜子を殺そうとしたりしたら、玲サンは殺人犯になってしまう。玲サンと普通に付き合いたい俺としては、それは困る。また、玲サンがその情報を持って警察に行ったりしたら、それもヤバい事態である。山本亜子の詐欺グループが摘発されるのはまだしも、俺らのグループにまで飛び火したらたまったもんじゃない。たぶん、警察としては、情報の出所を洗う必要があるだろうから、場合によっては俺自身にもピンチが訪れかねないだろう。


 俺は頭を抱えた。う~んう~んと唸る俺に、樫尾が「おい!」と強めに声をかけた。


「ソウ、電話鳴ってるぞ!!」


 本当だ。俺は樫尾に断って、画面が割れたままのスマホを持って病室を出た。


 電話は例によって、ミオからだった。


『おはよ~、道具屋さん。デート、うまくいった?』


「ミオか。うまくいった……のか……?」


『なんで疑問形?』


「その……、条件付きで、デートはしてもらえるらしい」


『おお! 良かったじゃーん』


「そうとも言えないんだよなあ……」


『なんで?』


「ちょっと説明がムズすぎる」


『なにそれ? ……そしたら奢ってもらうついでに詳しく聞くわ。いつ空いてる?』


「うーん、会っても説明できるかどうか……。まあしばらくは樫尾の看病以外ヒマだから、いつでもいいけど」


『ややこしそ~ね。じゃあ、えーっと』


 スマホをタップしてカレンダーを確認しているのか、少し間があったのちにミオは答えた。


『急だけど、明日でお願い。店はあたしが予約しとくね』


「了解」


 俺は通話を切り、樫尾の病室へと戻った。樫尾が誰からだったか聞いてきたので、ミオからだと答えると、樫尾は納得したように頷いた。


「そういや、ソウはあいつとは連絡取ってないのか? あの、ソウの師匠やってた道具屋の……」


 あっ、と俺は声を上げそうになった。


 そうだ、師匠!!


 俺にクラッキング技術のイロハを教え込んでくれたアイツなら、この無理難題もクリアする方法が見つかるかもしれない。特に、第一の技術的な問題はなんとかなりそうな気がする。俺は怪訝な顔をする樫尾を残して病室を飛び出すと、すぐさま師匠に電話をかけた。師匠は10コールくらい経ってからようやく電話に出た。危うく切るとこだった。


「もしもし、師匠ですか?」


『もひ……もしィ。なんだ、フシギソウちゃんか』


 めちゃくちゃ眠そうな声が電話口から聞こえた。しまった、師匠は基本的に昼夜逆転してる人間だった。今はまだ午前十時半。午前七時頃に寝付くのがルーティンの師匠はまだ眠りの真っ只中にいたはずだ。


「フシギソウちゃん」とは師匠が俺を呼ぶあだ名である。「ソウ」と呼ばれるのが嫌いという俺に配慮したのか何なのか、くさタイプポ○モンのような名称で呼ばれている。俺はやめろと何度も言っているのだが、樫尾と同じく師匠も全然直す気がない。


「すいません、起こしちゃって。あの、近々通話できませんか。えーと、ちょっとお力を借りたいことがあって」


『んんー、まあ今はそんな忙しくないから、いーよ。珍しーね』


「そしたら、今週の水曜日とかどうですか?」


『んー。ちょっと待ってね』


 ガサゴソと紙の擦れる音がする。俺は師匠の部屋へ訪問した時の数少ない記憶を思い出した。多趣味な上にやたら収集癖のある師匠の部屋は常に大量の雑誌やらポスターやらで埋まっていた。


『…夜中くらいになるけど、フシギソウちゃん大丈夫?』


「大丈夫です。そしたら、いつも通りDiscordで」


『はーい。準備できたらチャット送るね』


「お願いします」


 Discordというのはボイスチャットアプリのようなもので、文字のチャットや音声通話、画面共有なんかができるアプリケーションである。外出を忌み嫌う師匠とのコミュニケーションは、最近はもっぱらDiscord上だ。便利な世の中になったものである。


 俺が病室に戻ると、樫尾が話しかけてきた。


「今電話してたの、あいつか? ついに昼夜逆転止めたのか」


「いや、やっぱ寝てました」


「そうだろうな」


 樫尾はしかめ面をした。樫尾と師匠は人間性が合わないのか、非常に仲が悪い。乱れきった生活リズムにいちいち口を出す樫尾を、師匠が邪険に扱うところを何度も見ているので、さもありなんという感じはする。


「……で、元気してたか?」


「元気かどうかは分からないですけど、受け答えは普通でしたよ」


「そうか。まあ、死んでないなら何よりだ」


 樫尾の口調には、生きているなら別に興味はないという意味が含まれている。うるさく言ってもどうしてもダメな相手には無関心を決め込むのが樫尾のスタンスだ。


 俺は樫尾のベッド横の椅子に座ると、普段使わない頭をフル回転させ、次々に問題を整理していった。


 第二の法律関連のことがよく分からないという問題については、玲サン自身になんとかしてもらおうと思い立った。玲サンが情報を欲しいと言ったのだから、協力してもらうくらいは構わないだろう。玲サンだったら弁護士に接触しても(俺よりは)怪しまれないと思うし、知り合いに詐欺に巻き込まれた人がいるとか、話を適当にでっち上げれば、法律の専門家に相談くらいはできるだろう。山本亜子がどういった詐欺行為を働いていたのかは玲サンの方が詳しく知ってるだろうしな。俺は玲サンへの依頼メールを打ち、送信した。


 第三の山本亜子の本名がわからない問題はどうしようか。とりあえず、玲サンにももう一度当たってみるか。たぶん相手の詐欺グループの本拠地と、電話番号くらいは玲サンも知ってるよな(変わってなければいいが)。俺は玲サンに、相手の詐欺グループについて詳しく教えてほしいという旨のメールを追加で送った。


 そうだ、それに……サルがいる。サルは以前、玲サンと同じ詐欺グループだったと言っていた。ということは、山本亜子とも面識があるかもしれない。今度出勤した時にサルを締め上げて、山本亜子の事を吐かせる、もしくはサルが知らないようなら知ってる奴が誰かを吐かせて、そいつと接触させればいい。玲サンが直接動くと怪しまれて危険が及ぶかもしれないが、サルなら危険が及んでもいいだろう。よし。


 俺は当のサルが聞いたら目を剥いて震え上がりそうなことを考えながら、第四の問題に取りかかった。


 第四の、玲サンが殺人を犯すかもしれない、もしくは玲サンが自首することで詐欺グループに塁が及ぶかもしれないという問題は、すぐには考えなくてもいいだろう、と俺は結論づけた。情報がなければ玲サンも動けないのだから、情報が集まってから、玲サンに渡すかどうかをもう一度考えればいい。


 あらかた問題を片付けた俺は、フーッと息をついて伸びをした。


 そこで、樫尾から聞いた情報をふと思い出した。山本亜子が、へまをした同僚を自殺に見せかけて殺したという話を。


 山本亜子が本当にそんなことばかりしているなら、玲サンみたいに恨みを持ってる人間は少なくないだろう。そこに、俺みたいな若輩者でも付け入るスキがあるかもしれない。


 火曜夜、俺は再びミオと食事をしていた。今回ミオが選んだのは銀座の回らない寿司屋。こんな所、初めて来た。


 ミオは相変わらずのテンションの高さで、ただ前よりは少し夏らしさを含んだ服装でやってきた。前のようにしっかりしたオフホワイトのカーディガンではなく、薄手のパーカーを白Tシャツの上に羽織っている。ボトムスはチェック柄のショートパンツと重そうな黒ブーツで、細身のミオにはどちらもよく似合っている。俺も今日は半袖の黒い柄シャツに黒スラックスだ。ちょっといつもよりチンピラ臭がするかもしれないが、ミオ相手なら別にいいだろう。


 俺は店員の淀みないメニュー説明に圧倒されつつ、死ぬほど美味い寿司をほおばった。こんなに美味い寿司は食ったことがない。……後の会計が怖いけど。


 ミオも嬉しそうに寿司を食べていた。ミオはイカナゴが好きらしい。えっ何それ?と俺が言うと、ミオがイカナゴを俺にも頼んでくれた。透き通った小さな魚が沢山、軍艦の上に乗せられている。食べてみると臭みはあまりなくてコクがあり、美味しいことは美味しいが、俺は無難に中トロとかの方が好きだ。「新鮮ならもっと美味しいんだけどね~」とミオは得意気に日本酒の猪口を傾けて言った。飲むの早いな。俺も負けじと甘口の日本酒をあおる。


 ミオは思った通り、俺と玲サンのデートのことを根掘り葉掘り聞いてきた。俺はミオの鋭い質問をなんとかかわし、「告白した」「デートしてもいいとは言われた」ということのみを(多少の脚色を入れて)話した。間違っても玲サンの過去についてや、山本亜子について口を滑らせないよう、俺は注意深く言葉を選んだ。ミオは質問に対しての答えに納得がいかないのか少々不満げではあったが、俺の告白が一応成功したことを祝ってくれた。


「んで、電話で言ってた、ややこしいって話は何だったわけ?」


 しまった。そっちの言い訳をあまり考えてなかった。俺はあわてて玲サンの話を思い返した。そこで、俺はふと思い当たることがあり、ミオに聞いてみた。


「ミオ、俺たちって……犯罪者だよな?」


 俺がそう言うと、ミオは目を丸くし、少し後にぶはっと吹き出した。


「あは、まあ、それはそうじゃね?改まってどした?」


「いや……実は、玲サンが言ってたんだ。自分は、詐欺をしているうちに、修羅に堕ちたんだ、って」


「ふうん。修羅、ねえ」


「ミオは、そういう風に思ったことはあるか?」


「いや、無いかな~。そもそも、最近は自分が犯罪者っていう感覚も、無くなってきてたなぁ。んーでも、確かにあたしは犯罪者だし、道具屋さんも犯罪者だよね、忘れかけてたけど」


 おおむね予想通りの返答だった。ミオの認識では、今やってることは割のいいバイトと同じ。やっぱり犯罪という意識は薄いようだ。


「なに、玲サンは詐欺してる事について、悩んでるわけ?」


「う~ん、何というか……罪悪感がある、っていうか」


 本当は罪悪感どころではないだろう。息子を死に追いやったことを、玲サンは悔いても悔いきれないんだと思う。その莫大な感情のエネルギーを、復讐に向けざるを得ないくらいに。


「そうなんだぁ。それはちょっと大変そうだね。マジメな人っぽいもんね~」


 ミオはこの話にはそこまで興味が無かったようで、次に玲サンの女子会での様子を話し始めた。


「玲サン、感じはいいけど、ガード固いんよね~。昔のことも、あんまり詳しいことは話してくれなくてさ」


 俺は少し動揺した。玲サン、ミオには過去のことを話さなかったんだ。ミオのことは良く思ってそうだったけど。


 俺は、玲サンはミオに好感を持っているようだったとミオに話した。するとミオは「ほんと~!?」と上機嫌になり、ペラペラと話を続けたので、次第に俺は女子特有の長話に相づちを打つ機械のようになっていった。


 しばらくして、俺はふと周囲が騒がしいのに気づいた。見るといつの間にか近くの席には俺たちと同年代くらいとおぼしき大学生グループの一団が陣取っており、静かな寿司屋の中でワヤワヤと騒いでいた。


 俺はその中の、自分と同い年くらいの優男に視線を向けた。男は隣の後輩とおぼしき女とくすくす笑いながら、バカみたいに大量の寿司を頼んでいた。


 俺はなんとなく、あり得ない想像をした。もし、俺が普通に大学に行ってたら、あんな風だったんだろうか。俺は都内のそこそこの大学に入り、講義を受け、レポートに追われる自分を思い描いてみた。同級生にミオがいて、毎日酒を飲んで、バカみたいに楽しく騒いで──


 きっと、玲サンはそこに居ない。


「それでさあ、彼氏が~、エッチの度に首絞めてくんの。跡になっちゃうんだけど。酷くな~い?道具屋さんはどうすればいいと思う~?」


 そこまで考えた所で、ミオの言葉が俺の思考を中断した。俺はようやく、適当に相づちを打っている間にとんでもない相談をされていることに気づいた。そんなことを俺に聞かないでほしい。ミオはパパ活相手はマトモで紳士的な男性を選ぶのに、プライベートで付き合うのはなんでいつも、ろくでもない男ばかりなんだろうか。


 俺はアルコールが回ってる上、玲サンのことでいっぱいになっている頭をどうにか絞った。


「そいつは、首絞めフェチなんじゃねーの。だから、そいつに首絞めモノのAVをいっぱい見せれば、そいつの首締め欲が擬似的に満たされて、ミオの首は絞めなくなんじゃね」


 俺は何をのたまってるんだ? ミオの彼氏からクズが移ったのかもしれない。


「ああ~、なるほどぉ」


 納得すんな。


「でもぉ、首絞めモノなんてそんなにあるのかなぁ」


「俺に聞くな」


「道具屋さん、見てそうじゃんそーゆーの~」


「バカ言うな、やめろ」


 俺はそんな下らないやりとりをしながら、頭を軽く振った。つまらない妄想をするな、。俺のアイデンティティはもともと、正義の側には馴染まない。



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