6 気付けば大人になっていた
大学卒業後も私とOセンセイのやりとりは続きました。
ですが、社会人となれば、大学時代のように夜行に飛び乗ることも出来ず、また、手紙を書く時間もそう取れず、交わす手紙の量はおのずと減りました。
それでも、先生の存在は心の支えでした。
私の二十代は、新卒で入った会社を二年で退職し、その後はなかなかひとつの会社に根付かず、結局、半分引きこもりのようになりながら、フリーのライターとして生きるという、それまで人生を舐めくさっていたツケが一気に回ってくるような散々なものでした。
だけど、その節目節目に、先生と連絡を取り合うことで私はだいぶん救われていました。
『なかなか人生、うまくいかんやろ』
『そうですね、ほんと』
もうそのころの私は、世間に揉まれて、不躾な手紙をいきなり見知らぬ筆者に出すような若さは失いつつありましたが、それだけにあの女子高生の時の自分の勇気を愛しく思いました。
Oセンセイと出会わせてくれた過去の自分に「ありがとう」と思いました。
一方、先生もK大学の定年を迎え、大学を退職。
先生は最後まで助教授のままでした。
大学のなかでの「立ち回り」はけっしてうまくない。いつも先生はそう零していたのですが、その通りだったのでしょうね。
「らしいな」と思いました。
そして先生は北陸を離れ、息子さんの住む和歌山へ引っ越されました。
そちらにもお邪魔したことがあります。
最後に会ったのは、三十代のはじめ、結婚の報告に、婚約者と会いに行きました。
そのとき先生はお祝いに分厚い封筒をくださいました。
そして、最後に声を聞いたのは、その結婚が長続きせず、離婚の報告の電話をしたとき。
「お祝いもらったのに、すみません」
「気にせんでいいよ」
そのころには、お身体の調子を繰り返し崩されていながらも、ニセ祖父はニセ孫にどこまでも優しかったです。
孫に甘い祖父でした。
それから手紙が途絶えて。
覚悟はしていたのですが。
それでも、巡り巡って、先生と親しかった方(たしか私が最初に読んだ本の編集担当だった、元出版社の女性だったと覚えています)から訃報が届いたときは、泣きましたね。
わんわんと泣き叫ぶようなことはしなかったけど、自分の青春がほんとうに終わったような、そんな喪失感でした。
冴えない女子高生が、単位不足に脅かされて本を読み、感動に突き動かされて手紙を出した結果、かけがえのない人間と出会えたという経験。
思えば、あれで私の人生は変わったように思います。
能動的に生きること。
その結果、なにか大切なものをつかみ取っていくこと。
自分の人生を自らの手で、紡いでいくこと。
それは気付けば私の生きていく指針になってくれていたし、それあってこそ、二十代のドタバタも、離婚騒ぎも乗越えられたような気がします。
女子高生は、いつのまにか大人になっていました。
Oセンセイと出会ってから、気が付けば、二十年の月日が経っていました。
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