5 女子大生、北陸の地を踏む
その年の冬。
受験シーズン、私は先生と何度となくこんなやりとりを手紙でしました。
『大学受験、自信ないです』
『がんばりや』
『さっさと合否が出てほしいです。早く楽になりたい』
『大学生になったらK大学においで。案内してあげるから』
『本当ですか? じゃあそのときは私が先生に奢ります』
『じゃあ約束や。大学受かったら君が僕に奢れ。落ちたらまた僕が奢るから』
『分かりました、がんばります!』
そのやりとりのおかげかどうかは分かりませんが、なんとか私は希望校に合格。晴れて思い出深い高校を卒業し、大学に進学しました。
そして、大学一年生の夏休み。
私は約束を果たしに、つまり「先生に食事を奢る」名目で、北陸にある先生の勤務先、K大学を訪れます。
K大学はそのとき移転中でしたが、私は先生の計らいで、すでに立ち入り禁止になっていた旧校舎を案内してもらえました。
K大学は城址跡に校舎があることで有名でした。
「だったら、せっかく来るなら、前のお城の校舎を見せてあげるよ」
そんな先生の心遣いで、私と先生は人のいない城址跡をふたりで歩き回りました。先生はそれはそれは丁寧に、自分がいつもヒキガエルを観察していた城門や堀を、逐一説明しながら巡ってくれたのです。
もちろん、ちゃんと「目的」も果たしました。次の日は能登半島を先生の車でぐるっと一周したのですが、ドライブ中、先生はちゃんとこう言ってくれました。
「お昼は君が奢るんやな」
結局、ドライブ中に入った名もしれないちいさな食堂で、私は約束通り、先生の昼食を奢りました。先生がそのときなにを食べたのか思い出せないのですが、私はたしか、うどんを食べたはずです。こう先生に言われた覚えがありますから。
「うどんなんて、俺が食べるようなもの食べるんやな。本当だったら交換するところや」
先生は呆れたようにそう笑いました。その年、胃を悪くして半分胃を除去したばかりの先生ならではの言葉でした。
天気は曇りのち雨の様相でしたが、車で巡った能登はとても美しかったです。
霧に覆われた日本海は、きらきら輝いていました。
それからも私と先生の交流は続きます。
いつしか私は、実家を離れて、大学の近くにひとりアパート暮らしをしていた気楽さから、思い立つと夜行電車に飛び乗り北陸へ向かうようになりました。そのころは「急行能登」という夜行列車が上野から出ていたのです。
大概、私が先生に会いたくなるのは、人生に何かしらの悩みを抱えたときでした。
そうなると、先生の顔を直接見たくなるのです。
といっても、先生に特に連絡することもせず、私は夜行に乗ってはいきなりK大学に乗りこみました。
早朝、駅につくと、その頃は市の郊外に移っていたK大学にバスで向かい、学生のふりをして理学部の校舎を目指します。
先生はご自身の研究室に鍵をかけていないことを、私はそれまでのやりとりで知っていました。だから私は、生物学科の先生の研究室に勝手に潜り込むと、とりあえずソファーに陣取って先生の出勤を待つのです。
しばらくすると、ドアが開き、先生が現れます。
そして、先生は特に驚いた様子もなく、私を認めるとこう微笑むのでした。
「おう、来たか」
「はい、また、来ちゃいました」
「とりあえず学食行くか?」
「はい」
そして私は、学食で朝食を先生の奢りで食べます。K大学の学食は自分が通ってた大学の学食よりも遥かに美味しくて、私はいつも、それだけで幸せな気持ちになりました。
すると、先生がさりげなく尋ねてきます。
「どうしたんや、また男に振られたか?」
「ええ、まあ」
そこから私はそのときごとの悩みを先生にぶちまけます。それを先生は黙って聞いてくれました。特にアドバイスをするまでもなく。
そして、予定が空いていれば、またドライブに連れていってくれることもありました。
いったい何回夜行列車に揺られたか、もう今では思い出せませんが、その回数に関係なく、私にとってOセンセイは誰よりも特別な人間になっていました。
そういえば、大学在学中に、私の祖父が亡くなった直後に先生と会ったときは、こんな会話を交わしましたね。
「私もう、両方の祖父を亡くしてしまったので、先生が祖父ですよ。いわば、ニセ祖父、っていうか」
「そうか。なら、君は、ニセ孫やな」
そのときの悪戯っぽい先生の笑顔は、いまも記憶に鮮やかです。
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