4 不意打ちの進路講演会からの、初対面
教師からいきなりO先生の名前が飛び出し、私は慌てふためきました。
「あーっ……してます! してますけど! その、ヘンなお付き合いしてるわけでも、フジュンイセイコウユウでも、エンジョコウサイでも! なく!」
「それは分かってるよ。そういうことじゃなくて」
「へ?」
困惑の余り、とち狂った弁明をした私に教師は呆れた視線を投げかけてから、思いもしないことを話し始めました。
「高校三年生向けにやってる、進路講演会ってあるだろ。俺、来年度のそれの担当で」
「はあ」
「それにO先生をお願いしたくて、学校にお呼びしたくてさ。それの依頼と運営をお前にお願いしたくて」
「はあああ?」
進路講演会。
その存在は知っていました。たしか高校三年生対象に行ってる学校行事で、でも強制でなく、放課後にフラッと行くタイプの自由参加で。で、内容は校風にふさわしく、ただ、ちょっと面白い経歴の人を呼んで、その軌跡を喋ってもらうだけという、なんともゆるい講演会。
たしか、この間は生徒の父兄で、オーケストラの指揮者をやっている方をお呼びしていたような。
――それにO先生を呼ぶ? しかも依頼をする? 私が?
理科教官室を出てから、廊下を歩く私の足はふわふわ夢見心地でした。
――それはつまり、O先生とお会いできちゃうってことじゃないか! いや、そんな簡単に、関東のこんな辺鄙な学校に北陸から来てくれるとは、考えにくいけど?
しかし、担任教師の意向とあっては無碍にすることもできません。
私は恐る恐る、先生にその旨の手紙を書きました。
はっきりいって、最初に手紙を書いたときの百億倍くらい緊張して。
ところが、次に来た手紙は、次の一文がしっかりとワープロで打たれていたのです。
『僕も君の学校は面白そうだから、行ってみたいと思っていました。北陸から車で行きます』
――ひえええええ。会えちゃうよ! O先生に! 本当に! なんてこったい!
私は手紙を手にしつつ、半ば呆然とそう頭の中で呻いたのを覚えています。
O先生の進路講演会の日時は、高校三年生の六月でした。
私は俄然、忙しくなりました。
というのも、担任教師は私に「会の依頼と運営」を、ちゃっかり私に頼んでいたのですよね。
さすがに、OKが取れてからの細かいやりとりは学校側がやってくれましたが、雑事はなぜか私ひとりに押しつけられることに。
さんざ考えて、「まずは人が来なければO先生に申し訳が立たぬ」と理科教官室からもらってきた何枚もの模造紙で手書きのポスターを作り、それを学校中に貼りまくりました。
学校のあちこちに、自分の汚い文字で書かれたポスターが躍っているのは、流石に居心地悪かったですが、日が近づくにつれてそれすらどうでもよくなるほど、緊張は高まっていきます。
そして当日。
「O先生、到着されたよ」
担任教師にそう言われて、おどおど理科教官室に向かった私は、はじめて、O先生に対面しました。
いかにも人の良さそうな笑いを浮かべた、背の低い、関西弁の紳士がそこにいました。
といっても、そのことも、そのあとも、いまとなると、余程緊張していたのか、ほぼ思い出せないのです。
どうやら、その後になってO先生に言われたことをつなぎ合わせると、私はまず理科教官室にあったインスタントコーヒーを勝手に使って、コーヒーを淹れて、先生に勧めたそうです。
そして、そのコーヒーは「とんでもなく不味かった」そうです。
肝心の進路講演会の方もあまり思い出せないのですが、とりあえず会場の多目的ホールが埋まるほどには盛況だったこと、冒頭で急に挨拶をしろと言われて、震える手でマイクを握り、しっちゃかめっちゃかな挨拶を述べたことは記憶にあります。
先生の話は、本と同じく、ユーモアに富んでいてとても面白かったですね。戦前の少年時代の話(関西の製薬会社が生家だったとか)、戦争の話、戦後の京都大学理学部生物学科在学時代の話、そこから神戸の須磨水族館で研究員をし、そしていまのK大学に至るまでの道筋は、波瀾万丈で、聴衆もみな引き込まれていました。
講演会後、学校のある小さな町の駅前にある、ちょっといいホテルのレストランで、やっと人心地が付いた私は、まず先生に聞きたかったことを尋ねました。
「なんで、あんな不躾な手紙に返事をくれたんですか?」
するとO先生はステーキをフォークでつつきながら、にやりと笑いながらこう言いました。
「面白い女子高生がいるなあと思ってなあ。あと、ほんまに大学に来られたらかなわんからなぁ」
その後、話は楽しく弾んで、私はいい肉を平らげ、満足して帰宅しましたが、次の先生の手紙にはこう書かれていて、赤面することになります。
『君、食事を奢ってもらったら、礼は言うのものだぞ』
どんだけ浮かれていたんでしょうね。
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