3 その差およそ三十五歳 まさかの文通開始

 とはいいましても。


 見知らぬ相手に手紙を投函するというとはいえ、そう簡単に返事が返ってくるとは思っていなかったのも事実です。


 たしかに勢いで「大学に潜り込んでいいですか?」とか書いてみたのものの、よく考えてみれば、どんな人間だかも分からない高校生が、大学の授業に顔を見せる、ってのをそうそう簡単に了承するはずないし、だいたい不躾が過ぎるというもの。

 

 そもそも、こういう本なんか出す人はファンレターなんかもらい慣れているだろうし(なんせ送れと言わんばかりに住所が記載してあるんだから)まあ、「変な手紙来たなぁ」と無視されて終わりかなあ、と、その後冷静になるにつれ、流石の私も思い直しました。


 ところが、高校二年生の春の終わり。

 返事は唐突にポストに舞い落ちました。


 差し出し人の名前は、万年筆らしき青のインクで綴られており、たしかに「O」と見えます。僅かに丸っこいその筆跡が、大学助教授という肩書きとかけ離れているように思えて、まずはそれに驚いた記憶はいまも鮮やかです。差し出しの住所も、自分が手紙を出した覚えのある北陸の県庁所在地です。


 ただただ驚いて封を切ると、ワープロで打ったらしき手紙がすとん、と掌に舞い降りてきました。その文面に使われていたフォントが明朝体でない、なんともかわいらしいもので(今考えれば、たぶんメイリオ)筆跡とともにまたも私は面くらいました。

 

 ですが、肝心の文を読み進めるうちに私の確信は高まりました。


 ――ああ、この文体、たしかにあの本の人のものだ。


 決してその肩書きを誇示するように高慢ぶることなく、本を読んでくれたことと、手紙を送ったことに対する感謝の言葉から始まる文は、あの夢中になって貪り読んだ本の文章と同じ匂いがしました。


 それだけに、この一文が目に入ったときは落胆しました。


『君の気持ちは嬉しいけれども、大学に潜り込むのはやめてください』


 ――やっぱりなあ。そううまく「いいよ」なんて言ってくれるはずないかぁ。


 しかしながら、こんな丁寧な返事をいただけたことは、とても嬉しく、ひとまず、私はまた「比較的地味な縦書き便せん」をまた机の引き出しから引っ張り出して、御礼の手紙を書いたのです。ありがたいと思ったら、その気持ちを伝えなきゃ、と思ったものですから。


 ところがそれに対しても、また返事が来ました。

 そして、どういうわけか、その返事にも返事が来ました。


 こうしてあれよあれよという間に、私とO先生の文通が始まってしまったのです。



「私さ、いまさ、三十五歳くらい年上の男の人と文通してるんだよねー」

「げっ、お前。いくら『銀河英雄伝説では断然オーベルシュタインが好き』とか『ロードス島戦記ではウッド・チャックに惚れる』とか普段からのたまってるからって、三次元でも、それ? っていうかどこから見つけてきたんだよ! 援助交際とかじゃないだろうな!?」

「馬鹿言え、違うわい。出逢いは図書館! 健全じゃろ?」


 こんな会話を友人としながら、高校二年生の私は、先生との文通をいい息抜きとばかりにエンジョイしまくりました。なお、手紙なんてなんと古風な、と思われるでしょうが、なんせ平成初期の話です。当時はメールもLINEもありませんからね。


 主な話題は、反抗期まっしぐらの私ならではですが、親との軋轢のことだったような気がします。聞けば先生は昭和一桁世代だそうで、お子さんはいるものの、すっかり子育ては終了し、今は夫婦ふたりで暮らしているとのこと。だから、懐かしいものを私の文章に見たのでしょうか。先生は私が汚い字で書き殴った親への文句に、逐一丁寧に、大人として思うことを返信してきてくれました。


 その文面からは多少困ったような困惑も伺えましたが、私を一個の人間として受け止めてくれる気がして、そういう関係を親と築けず苦しんでいたその頃の私には、何よりの救いでした。


 そのうち、こう私が思うようになったのは、あまりにも自然なことだったといえるでしょう。

 

 ――いつか先生にお会いできるといいなあ。大学に潜り込むとかじゃなしに。


 だけど、そうは思うものの、それが実現する日は遠いようにも思えました。


 ところが、年が改まり、もうすぐ高校三年だという春、私は担任から理科教官室に呼び出されました。

 そして開口一番、こう言われたのです。


「K大学助教授のO先生と文通しているって、本当か?」

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