第20話 朝になったら

ゼロは布団の中で目を覚ました。

嗅ぎなれない匂いと周囲への感覚。ここは自分の知る場所ではない。


(ここは....?)


身体を起こそうとすると妙な気だるさとわずかに感じる痛み、そしてその顔や身体のあちこちに包帯が巻かれているのがわかった。すぐさま自身の身体を調べる。骨は折れてはいない。内蔵も無事。しいて言うなら顔が重い。少し腫れてるようでもある。


(歯は無事っぽいか?いや、それより....)


「起きたのか。バカタレ。」


そこにいたのはリュウセイだった。おにぎり2つと味噌汁、数種の漬物を乗せた盆を持ち近くの卓袱台の上に置く。


「食えるなら食え。起きたのなら動けるだろ。」


「....おう。」


ゼロは何となく昨夜の事を思い出した。

自分がここに運ばれた事を。






数時間前の事である。

リュウセイは例のツバメのどす黒い気が急に大きくなったのを感じてライカと共に橋に向かっていた。そこで見つけたのは散々痛めつけられ気絶しているであろうゼロとへたり込んだまま放心しているツバメだった。


「おい、ゼロ!」


「待った。」


冷静なライカがツバメの手の部分を指差す。その指の付け根には人を殴った時にできる傷、着物にも返り血が付着していた。2人が近付いたのに気付いたのかツバメがリュウセイとライカの方へ向く。


「....。」


虚ろな目。その双眸と表情には2人に対する警戒はなく、先程まで感じていた殺気でさえ発しては来なかった。いったい何があったのか?


「あんたがやったのか?」


リュウセイが不躾に聞く。先程料亭で見せた周囲への影響を考えると彼にとって彼女は間違いなく危険人物以外の何者でもないからだ。


「....だったら?」


およそ答える気力もなさそうなツバメが口を開く。別段意識が飛んでいるわけではないらしい。ライカがその間に割って入る。


「彼を回収しに来た。連れ帰っても構わないか?」


この場においてどんな形であっても争い事になることは不利。それがライカの見解だった。両者は敵ではなく、あくまでも同業者。ただしこの少女の正体がわからない以上、迂闊に敵対する事を表明してしまっては雇い主であるバンリにも迷惑がかかることになるかもしれない。


「....。」


ライカは視線でリュウセイに合図をする。やや意識的に熱くなりかけてたリュウセイは一度深呼吸をするとツバメの方をもう一度見た。


「....勝手にすれば....?」


ツバメは視線を合わさない。ただ一言、そう返した。リュウセイはツバメの様子を気にしながら気絶しているゼロを担ぐとツバメから距離を取る。ツバメが何らかの行動に出れば、ライカは自身の霊獣で即座に襲い掛かるつもりであった。


「あ、あの....」


リュウセイが徐ろにツバメに声をかける。ツバメはそれに対しさらに首を背ける。「話しかけるな」の意思表示だろうか。ライカに「何してる馬鹿」の顔をされたのに気付くと「いや、何でもない」とさらに距離を離す。そして2人、担がれたゼロと合わせて3人はその場を後にする。途中何度か振り替えるもツバメはまだ橋の上で座ったままだった。


「なぜ声をかけた。」


ライカがリュウセイに問う。

リュウセイは一呼吸置いてから答える。


「....ありゃあ放っておいちゃいけねえって顔してたからだよ。」


ライカが「なぜ?」と返す。立ち位置上は仲間であるはずのゼロに執拗に暴行を加えたであろうあの女を擁護する理由などどこにあるのかと。


「ああいう顔してた奴を知ってた。それだけだよ。まぁ、オレが気にかけたところでどうこうなるわけじゃあねえけどさ。」


「....気になるのか?」


「気になる。でも助けれるわけじゃねえ。」


「....そうか。」


ライカは何となく納得したのかそこから問い詰めるのを諦めた。そしてひと言、こう言った。


「お前は甘いな。」


「うん、よく言われる。」


そこで会話は打ち切られた。すぐそこに2人が普段根城にしている長屋が見えたからだ。


「さて、こいつどうするよ?今から宿に連れてくったって起こすわけにもいかねえよなぁ。」


時刻は日付を過ぎてすでに数時間。あと数刻で日の出になる時刻である。


「お前の部屋で寝かせれば良い。俺の部屋は狭いからな。」


「いや、お前の部屋とオレの部屋、同じ広さだろ。うちだって狭いわ。」


「お前には心の広さがある。それで問題ない。ではな。おやすみ。」


「おい待てコラ!」


ライカはリュウセイにゼロを担がせたまま自身の部屋に走っていった。そして内側からきっちり鍵を閉める。残ったリュウセイはその状況にげんなりする。扉を叩いて問い詰めても良いがこの時間にすれば御近所やお隣さんから苦情が来る事は必至であろう。


「....まじかよぉ。」


リュウセイは仕方なくゼロを自身の部屋まで担いでいく。そして布団を敷き、ゼロの汚れた身体を軽く拭くと自身の寝間着だけ着せて布団に突っ込んだ。






「....というわけでな。」


かなり不機嫌そうに事の顛末を話し終えたリュウセイは自分用に淹れた茶を啜る。ゼロはそれに対しさして気にする様子もなく出されたおにぎりと漬物を口に放り込み、味噌汁で胃の腑に流し込んだ。


「それは世話になった。ありがとう。そしてごちそうさま。」


味気ない食事の仕方にリュウセイは苛立ちを覚えたがそれは口に出さない事にした。それよりも聞きたい事があったためである。


「....あの忍びのお嬢さんは何者だ?」


ゼロが目を逸らす。リュウセイにとっては予想出来ていた反応だが引き下がる気はない。


「我々にも知る権利はあると思うがな。」


不意の横からの声。いつの間にか部屋に入ってきていたライカだった。リュウセイが「おい、お前」と言うがライカは特に気にする様子もなくゼロの前に座る。


「降魔忍。」


ライカが徐ろに口に出した単語。それにゼロは一瞬だけ反応した。


「やはり、知っているのだな。あの女がそうなのか。そしてお前とも何か関係があるのか。....どうだ?」


ほぼそれが答えのようなものだった。おそらくはバンリに確認を取った上で問いかけたのだろう。ゼロとしても、いよいよ黙るわけにもいかないような気にはなってきた。


「聞いてどうする?」


ゼロが問う。ライカは表情を崩さぬまま、ただ冷静にゼロの顔を見る。


「別にお前の過去に興味はない。ただあいつらが何者なのかは知りたい。事によっては味方として協力し合うか、敵として排除するか選ばなければならないからな。もっとも俺達の頭はお前だ。納得のいく説明を最低限した上でどうするかを決めて欲しい。」


「....納得させられなければ?」


「そんときゃ解散だな。一緒にいる理由もねえ。」


ゼロの答えにリュウセイが言い放つ。正直ゼロであれば個人でも戦う方に平気で行きそうではあったが元々が即席で作られたチームなのだ。互いに関係を継続するか、それとも解消するかに今現在の段階で損得の感情はない。

ゼロは一度考え込むと一言「わかった」と言った。






一方その頃、昼に差し掛かる時間の旅籠屋「たると」。ちょうど館内清掃を行っている時刻にスズカは宿に複数ある厠の掃除を行なっていた。一箇所終わるごとに班長であるサザミが確認をして移動、占めて16箇所分。


「これで終わりですね。」


最後の建物外れの厠。スズカが確認するとサザミが「お昼にしよう。」と返した。そして、詰所の方に戻り着替えた二人は別件に行っていたチグサと合流した。そのまま詰所内の食堂の方に入る。中にはすでに午前中の仕事を終え、休憩している者。次の仕事のための準備をしている者もいる。3人は端の一角の卓に自分でよそった食事を持っていくと席についた。


麦を混ぜた飯に2種の香の物、根菜の味噌汁、目刺の焼き物、大根と揚げの煮物。


(ああ、ありがたいなぁ....。)


仕事をこなせばご飯が食べれる。ちゃんと1日一回綺麗なお風呂に入れる。あの独房にいた時のような粗末な飯も冷たい水浴びもしなくて良い。

宿で働き始めて早1週間。スズカはこの幸せを噛み締めていた。


(ちゃんと食べて倒れないようにしなくては。この前みたく迷惑はかけるわけにはいかぬ。)


働き始めで一度倒れ、その後も体調と相談しながら仕事する日々。昨日でようやく丸一日動けたがそれでも終わった頃には今にも倒れそうになるほどだった。


「....いただきます。」


手を合わせ、箸を取り、おかずとご飯、汁物、少しずつ順番に口に運んでいく。周りには飯をかっこんだり、物凄いスピードで一気に平らげる者もいるが、スズカは同じようには出来ない。元々の食が細いのもあるが、昔に叩き込まれた宮廷の食事作法が抜けてないのである。


「お上品な食べ方だね。」

「ほんと、えらく様になってるな。」


サザミとチグサがスズカのそれを見て口を揃えて言う。二人共食べ方が無作法というほどではないにせよその所作は庶民のそれである(なんならチグサに至っては箸の持ち方が少し変であった。)。


「よく躾けられてるってことだよ。あんた方と違ってね。」


初老の女子衆が「ここ、良いかい?」とスズカの隣に座る。スズカは自分の座布団の位置を少し端にずらすと初老の女子衆は自身の食事を台に乗せる。


「チョウカさん。お疲れ様です。」


「うん、失礼するよ。」


チョウカ、旅籠屋たるとにおいて女子衆の筆頭を務めるやや堅のある表情の初老の女性。スズカの初日に仕事服の採寸をしたのは彼女であった。


「身体は平気かい?」


「はい。なんとか。」


スズカがそう返すとチョウカはスズカの顔をじっと見つめる。正直スズカはこの威圧感のある顔はあまり得意ではない。


「顔色がちょいと悪いね。サザミ、このコの午後の予定は?」


チョウカの問いにサザミは口に運んだ飯を飲み込んでから答える。


「第2浴場の脱衣所の整理と掃除ですね。それが終わったら15時で上がらせる予定です。」


「誰かと変えれるかい?」


サザミは少し考え込む。


「そうですね、夕食の配膳時間を少し遅れていいなら私とチグサで。今日はお客様も少ないですし。」


「それで頼むよ。ちょいとこのコにやってほしい事があるからね。」


サザミがわかりました、と応えるとチョウカは自身の袖から1枚の封筒を取り出した。


「昼食が終わったらこれを近くの市場の商工会に持っていっとくれ。市場の場所はわかるね?商工会は入口から入ってすぐ右の大きい建物だから、そこの受付の人に旅籠屋たるとの名前を出して渡しといで。もっともその格好なら相手もすぐわかると思うけどね。いいかい?」


「はい、わかりました。」


「ああ、あとあれだ。アルシア、男子衆の中で誰か手ぇ空いてる人いるか聞いとくれ。荷運びがいる。」


近くでミサオの書類を運んでいたアルシアは返事をすると厨房の方へと入っていった。少しして体格の良い男がアルシアと一緒に部屋に入ってくる。


「チョウカさん。シゲンくんが行くって。」


食材卸担当のシゲンが頷く。チョウカがそれを確認するとスズカの肩をポンと叩く。


「商工会に、このコの付き添いを頼むよ。たぶん御土産いっぱい渡されると思うからね。」


「わかりやした。スズカちゃん、だよな。ご飯食い終わったら厨房に来てくれ。一緒に行くからよ。」


「はい、シゲンさん。よろしくお願いします。」


シゲンはニカっと笑うとそのまま厨房の方へ戻っていった。それを見届けてからスズカは食事を再開する。


「急がなくていいからね。ゆっくり食べなさい。」


チョウカはそう言うとすでに食事を終えていたようで自身の空にした食器を洗い場の方へ持って行った。その速さに面食らったスズカはやや困惑した。


「チョウカさん、今日も仕事が立て込んでるのかな?」


「明日はまた新人さん来るって話だからね。それでかも。」


そう言ってササミとチグサも次の仕事のために手早く目の前のを胃の腑に納めていく。彼女たちの食事もスズカとは段違いに早い。


(うーん、私、こんなので良いのだろうか?)


そう思いながらも自らに染み付いた作法と所作はすぐに直せるわけでもなくスズカ気持ち早め、しかし今まで通りに食事を続けるのであった。

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