第11話 ウライシ道場にて

日の出の時刻、ゼロと宿の仕入れ担当の青年シゲンは鮮魚問屋の近くで朝食を取っていた。それは宿の厨房の板前達が持たせてくれた弁当で大きめのおにぎり二つと数種のおかずが入ったものだった。(その内の2種はゼロが昨夜夕飯として食べていたものだった。)


「良い時間だな。しらじら明けてきやがった。こいつはこの時間に仕事ある奴しか拝めねえ。」


「それでわざわざ外回りの仕入れの仕事してんのか、シゲン兄は。」


シゲンの言葉にゼロは呆れ半分で聞く。こうして一緒に仕事をするのは今日で十日目だが毎度楽しそうに仕事をこなすシゲンを不思議そうに思っていたので聞いたのである。


「オイラは手先が不器用だかんな。でも目利きは出来るから食材選びならお手のモンよ。それにこうして仕事してると色んな食材見れて楽しいしな。ゼロ坊だって色々見て回れて勉強になるだろ?」


「まぁ、そりゃあな。」


ゼロはそう言うと水筒からお茶を注ぎ、シゲンに渡す。シゲンは礼を言うと、ゼロに卵焼きを1切れあげるのであった。




大八車に野菜や米俵、干物が入った箱、漬物の入った壺をいくつか乗せると宿に向かって2人は歩き出す。


「今日は午後から用事だって?」


シゲンはゼロに聞く。ゼロはあまり気乗りしない感じで「うん」と返した。


「副業の方でね。ちょっと依頼人の所に顔を出しに行くことになった。しかも急用で。」


それは今朝、ゼロの枕元に小さく丸まった手紙が届けられていた。おそらくは窓から伝書用の鳥を用いて届けられたものなのだろう。宿にあるはずの結界を問題なく越えたのだからおそらくは見知った者からの手紙であると思い、ゼロは中を見聞した。


「たるとのゼロ殿へ、本日昼以降ウライシ組の屋敷に来られたし。ウライシ組、組長トクシロウ」


(昨日の今日でさっそく呼び出しかよ、あのジジイ。)


おそらくこの事はバンリも認知していることだろう。もしかしたら人物捕物帖にも載ってない人間を殺してほしいとか言い出す可能性もある。そうなったとしてもゼロ自身も拒否する気は更々ないが正直気は重かった。次々と依頼を上乗せされたり制限を課されたりするのが嫌だからである。


「あんまり無茶すんなよ。あくまでも本業はこっちなんだからさ。」


ゼロの顔が暗くなるのを察したのかシゲンは励ましの声をかける。


「わかってるよ。シゲン兄。」


ゼロはその気遣いを嬉しいと思いながらも、どこか住む世界の違う人の言葉のようにも思えた。それは自分の本当の居場所はここではないと思うどこか寂しさにも似た気持ちだった。





一方のスズカはサザミとチグサの後をついて仕事を覚える事に必死だった。朝御飯の配膳から各部屋を廻り、食事が終わった部屋から順次食器を回収。その後は空いた部屋から順に部屋の掃除、布団の取替と備品の補充を行う。昼食に関しては外から出前を取る客が数人いるのでその対応も行う。


「....うぅ。」


昼食後の待機室、午前中の仕事で徹底的に揉まれたスズカが卓に突っ伏していた。夕食の準備時間まで2時間ほど。一部仕事のある者は除いて多くの女子衆や使用人が休憩と称して身体を休めていた。

座布団を枕にして昼寝をする者、お茶を用意して閑談に更ける者、読書をする者、資格取りのために勉強をする者など様々である。

部屋の隅の机ではミサオが帳簿付け等で唸っており、すぐ横には古参の女子衆であるアルシアが資料を確認しながら手伝っていた。


「終わらん。」


「そうですね。」


「ぜんっぜん終わらん。」


「手を止めないで。」


「ちょっと厠行ってきてええ?」


「だめ、20分前に行ったばかりです。」


「もういややぁーーーーーー!!」


スズカはそのやり取りを聞いてる内に具合が悪くなる。正直他の部屋でやってほしいと思うくらいに。

しかし周りの者達はその様子を見て笑っているのだからおそらくは日常茶飯事の光景なのだろう。もしかしたらミサオは優秀さよりは人柄で人徳のある人なのかもしれない。


「スズカちゃん大丈夫?」


サザミがスズカの様子が気になったのか近寄って来た。チグサも後に続きスズカの顔を覗き見る。


「あ、平気。平気です。さすがに疲れましたが。」


スズカが必死に取り繕うが当然サザミとチグサにはそれはお見通しであるわけでサザミはくすっと笑うとスズカは少し恥ずかしくなった。


「夕飯の支度までまだ時間はある。横になっていると良い。寝てたら起こしてあげる。」


チグサがそう言うと座布団を1枚持ってきてスズカに渡す。


「さすがに朝イチからハードだったもんねえ。」


「入りたてにしては良くやったほうだと思う。頑張ってた。」


事実スズカ自身は飲み込みが早く、サザミやチグサのやった作業を見ただけで覚え他の女子衆からも褒められていた。その反面体力や筋力がなく、重い物を持てなかったりすぐにへばったりしていたのでそこは心配されている。


「まぁ慣れれば体力はつくかな。」


「たくさん動けば慣れる。私はそうだった。」


「チグサと一緒にしちゃだめだよ。」


スズカは生まれてこの方病弱気味でひ弱な人間である。それでも生きてく内に多少マシにはなったが、やはり独房での暮らしがあったのもあり、かなり身体は前より鈍っている。


(さすがにお役に立てないのはマズイな。なんとかしなきゃ。....あれ?)


横になった瞬間、身体の力が一気に落ちる感覚に襲われる。眠気だろうかと思ったが少し違うようだ。


(....んん?)


「...れ?.....か.....つ.....ない?..ん....。」


サザミの声が聞こえる。何を言っているのだろう?

どうやら額に手を当てられているようだ。

何人かがスズカの近くに寄ってきた。


「...オさ...........................。」


(チグサさん?)


スズカは身体が持ち上がる感覚を覚えた。

自分はどこに運ばれていくのだろう?

スズカの意識はそこで途切れた。





仕入れの仕事が終わった後、ゼロはミサオから頼まれていた配達を済ませ、その足でトクシロウの待つウライシ組の屋敷へと赴いた。時刻は昼前、少し早いが中で待たせてもらえば良いと思っていた。

....そこに入るまでは。


「いらっしゃい。」


そこにいたのはゼロよりも数回りも体格の良い屈強な男達。少なくともゼロが以前古寺で遭遇した者達よりも風格も威厳もあった。


「親父は奥におります。お上がり下さい。」


低く力強い声で丁寧に通される。そこにいた男達の誰もがきっちりした服装で姿勢も良く、通るたびに「お疲れ様です」と頭を下げる。それは統制された集団としての極道だった。


(こりゃあいかんなぁ。)


極道者の巣窟と思い古寺にいた者達のような連中を想像していたゼロは面食らってしまった。こうなると自分も適当な態度を取るわけにはいかない。

取り敢えずゼロはなるべく失礼のないようにちゃんと姿勢を正すようにして奥に進んでいくのだった。


通された先にあったのは道場だった。そこには数人の男達が組手をしている最中だった。

その中に1人、腕を吊った状態で指導するように立っている見覚えのある男がいた。トクシロウだ。


「よぉ兄ちゃん。来たか。」


トクシロウはゼロを見つけると満面の笑みを浮かべる。


「今、ちょいと手が離せねえんだ。悪いけど見学がてらそこで待っててくれねえか。おい、リュウ。座布団と....茶でも淹れて持ってきてやれや。」


「はい、師匠。」


(リュウ?)


ゼロは聞き覚えのある名前と声を聞く。

そこにいたのは遊郭でゼロと一緒に協力してくれた少年。リュウセイだった。あの時と違い兵士としての服ではなく道着を着ていたが人懐っこそうな顔は変わっていなかった。


(あいつもここに出入りしてるのか?)


よくよく見れば男だけでなく、女性、老人、子供まであらゆる年代や性別、種族も色々な者達がいる。それを先程屋敷内にいたような強面の男達が動きや型、声出しまで丁寧に指導していた。

なんとなくゼロも身体を動かしたくなってきたので混ざっても良いかもしれないと思えてきた。


「ほい、お待たせ。」


リュウセイがお茶と菓子を持って戻って来た。


「オレ、戻んなきゃいけないから後でな。んじゃ。」


そう言うと待っていた1人と組手を始める。その動きは恐ろしく綺麗でまるで舞踊のようだった。


(オレにはあの動きは無理だな。)


あの爺も同じような動きが出来るのか、そうゼロが考えると1人の男が近づいてくる。その手には綺麗に畳まれた道着があった。


ゼロはトクシロウの方を見る。トクシロウはゼロの方を見てウインクをして親指を立ててジェスチャーをする。


『暇だろ?お前。ちょっとやってかねえ?』


そんな声が聞こえた気がして気持ち悪さも相まってゼロは身震いした。

仕方ねえなとゼロは菓子を口に放り込みそれを茶で喉に流し込む。


(熱っ!!)


ゲホゲホとその場で咳き込むと口周りを手で拭う。そして着ている服の上から道着を着るとトクシロウの元へと歩いていった。


「似合うじゃねえか。」


「....どうも。」


ニヤニヤ笑うトクシロウはもう一人、近場にいた少年を呼ぶ。


「ライカ、ちょっとこっち来い。」


呼ばれて来たのは女と見間違えそうなくらいに線の細い少年だった。整った顔立ちに切れ長の目、長い髪は後ろで纏められ動きにも無駄がない。


ゼロは即座にライカと呼ばれた少年の実力を察した。リュウセイもそうだったが強い者は普段の振る舞いや身体の動かし方からその気質は現れる。


「ライカという。」


声変わりをするかしないかの少年の声、背丈もゼロより少し小さい。


「ゼロだ。....もしかしてまた殴り合えみたいな話じゃねえだろうな?おっさん。」


トクシロウはニコニコしながら頷いた。


「別に昨日みたいに殴り合いじゃねえ。単純に組手だけよ。ちなみに今回は制限時間付き、10分間かな。目の前で動いてくれりゃ良い。」


まさか依頼ってこれじゃねえだろうなと不審感に駆られるゼロ。トクシロウは周囲の門下生達に「やめ」と声を掛け、場所をあけるよう門下生達に伝えた。


「打撃、掴みと投げ、返しはあり。ただし組技は禁止。勿論武器は一切なしだ。そこんとこよろしくな。....そうだ、リュウ、シュロウ、お前らちょいと手本見せてやれ。」


リュウセイともう一人ライカよりさらに小さな背丈の少年が現れる。2人は向かい合って掌を合わせてお辞儀をすると互いに一歩下がって距離を取り、構えた。


「先手リュウセイ、始め!」


シュロウの左肩に向かってリュウセイの蹴りが炸裂する。シュロウはそれを左腕で防御するとその流れから同じように蹴りをリュウセイに入れる。リュウセイはそれを受け流し、今度は拳での打撃を行う。そうして一手、一手、また一手と攻守を入れ替えながら双方打撃のみに絞った攻撃を行っていった。それらに規則性は一切なく、その場の動きから流れる形で拳、蹴り、手刀、掌底、踵、それぞれの得意な形でぶつかっているようだった。


2分を過ぎた辺りでトクシロウが手を上げ、「やめ」と声をかける。2人はすぐに距離を置いて姿勢を正し「ありがとうございました」と向き合ってお辞儀をした。2人は汗こそ薄っすらかいているものの息は全く上がっていない。


「こんな感じだな。連続攻撃は繋ぎ技であれば許可する。それ以外は基本的に攻めと守りの連続だ。やってみろ。」


(気乗りしねえなあ。)


組手自体ならゼロも自分と同門の幼馴染と一緒にやった事がある。ただこうした形式めいたものではなく防御術式を用いた本気の殴り合いだった。互いに大怪我はしないものの途中からは力負けして一方的にボコボコにされていたゼロにはあまり良い思い出はない。


(10分か....。)


このライカという少年、間違いなく風格は実力者であるだろう。実際どれ程のものかはわからないがこれはあくまでも組手であり勝敗は問題ではない。懸念材料としてはゼロ自身が殺意を抑えられるかというところだろうか。


(これも修行だな。)


ゼロとライカは向き合った。互いに手を合せ先程と同じように挨拶をする。


「よろしくお願いします。」

「よろしくお願いします。」


互いに一歩下がる。互いに構えを取り、視線を合わせる。


「先手ライカ、始め!」


一瞬の事だった。ライカがゼロの道着を掴み、そのまま背負う形で投げたのである。咄嗟の事で身体は反応しなかったが投げられた段階で上手いこと手を付き、そのまま身体をひねりながら着地し難を逃れる。


ゼロはそこから一気に接近する。

今度はこちらの番だ。


走る勢いに任せて右足を軸に身体を回転させ、横腹を目掛けて回し蹴りを叩き込む。ライカはそれを身体を少しずらして掠る程度に回避するとさらに追撃の二発目の蹴りに対して足首を掴んだ。そして勢いを利用して身体を回転させぶん投げる。ゼロはまたも身体を捻って、四つん這いの状態で着地する。そこからもう一度接近し数発の拳を牽制の分も込めてライカに放つ。ライカは一発のみ受け止めるとそれ以外は受け流す、もしくは回避し、またもゼロの裾を掴むと左脚を掬ってゼロを転倒させた。とうとう床に叩きつけられたゼロはそのまま腕を床に付けながら下半身を振り回してライカに蹴り技を入れる。咄嗟の動きにライカは腕で防御はしたものの数発受けた衝撃で一気に体勢を崩した。ゼロもその体制から一気にライカと距離を取り再度構え直す。


「はぁはぁはぁ....。」


「はぁはぁはぁ....。」


双方ここまでの動きでだいぶ息が上がったので一度仕切り直しのために息を整える。次の一手はライカからになる。


「良い動きしますねあいつ。」


外野でトクシロウと共に見守るリュウセイ。周囲の門下生達も今の短時間での動きに目を奪われていた。


「型を固定してない事の強みかな。だが、ライカにはある程度は見切られとるようだ。狙いが見え見えだからな。」


「例の殺意云々話でしたっけ?」


リュウセイの言葉に「そうだ」とトクシロウは頷く。


「あれは素直過ぎる。相手によるがあの兄ちゃんは相手を殺す、もしくは戦闘不能にするために直接的な手段しか使わん。直接的がゆえに搦め手と云うものを知らん。オイラにもそこに漬け込まれた。それに気付けばもう一段化けるぞ。」


リュウセイは嬉しそうにしているトクシロウを見てゼロがここに連れて来られた理由を理解した。


「それで、稽古をつけようと思ったわけで?」


「もう一つある。」


リュウセイが「もう一つ?」と聞くとトクシロウが頷く。


「首輪をつけろとバンリに言われた。今回はそのための土壌作りだ。当然お前にも手伝ってもらう。」


リュウセイはその理由が一瞬わからなかったが一連のゼロの話を聞いてはいたので何となくは察していた。それが後々で嫌な形で降り注ぐはめになるとはつゆほども思わなかったのだが。



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