第二章 闘争の始まり
第10話 旅籠屋の朝と夜
旅籠屋たると。その朝は早い。
時刻は日の出前。まだ暗い中、従業員の宿舎に明かりが灯る。そしてそれは当然彼女、スズカにも例外ではなかった。
枕元には一人の着物の女性。宿で従業員として働く女子衆の姿があった。スズカが目を覚ますとその顔を覗き込むようにしているのが見える。
そして、その瞬間にスズカは全部理解する。そして昨日のことも思い出した。
「あ....。」
心の中でマズいと感じる。もしかしたら寝坊をしてしまったのかもしれないと。しかし目の前の女子衆は人差し指を立て口の前で「しーっ」の仕草をする。
「少し早めに起こしに来たの。仕事服の採寸や合わせもあるから、そのままの格好で良いから私に付いてきて。」
そう小声で言うと部屋の前で待ってるよ、と部屋を出て行った。スズカはとりあえず身体を起こす。自分から見て右側にある衝立を挟んでいるはずの「彼」はすでに部屋を出ているようだった。
(あやつ、もう起きておるのか。)
取り急ぎスズカは乱れていた寝間着の裾や帯を直すとその場で布団をたたんで部屋を出る。布団としてはそれほど上物というわけではなかったが、長い事独房での薄い毛布の生活からしたらこの2日間の就寝事情は天国だった。
「お待たせしました。」
スズカが部屋を出るとそこにはもう一人女子衆がいた。こちらの方は背も高く、体格も良い。
「ついといで。なるべく静かにね。」
「暗いから足元も気をつけてね。」
2人の女子衆さんに付き従いながら階段を一つ降り、長い廊下を抜け、その明かりのついた部屋に入る。そこは衣装箪笥や客人用の布団等が保管されてる部屋でその奥は女子衆達の待機部屋になってるようだった。
「連れてきました。」
「はいよ。」
そこにいたのは初老の女子衆とそれよりは少し若いがキリッとした目が特徴的な女子衆だった。
「とりあえず脱いで。身体図るから。」
「は、はい....え?脱ぐ?」
初老の女子衆が「そうだよ。」と急かすように返す。
「事情はミサオさんに聞いてる。別にあんたの身体がどうだろうとここにゃ気にするモンなんていやしないさね。安心してさっさと脱ぎな。」
「は、はい....。」
スズカはとりあえず寝間着を脱ぎ、下着姿になると女子衆達は巻き尺や物差し等をスズカの身体に当てていった。正直傷だらけの身体を見られるのは良い気はしなかったがそれにさして言及するでもなく女子衆達は素早くスズカの身体を測っていった。
「細いね。肋出てんじゃないかい。」
「手脚はちょいと長いかな。」
「帯はちょいと多めにね。でないとみっともないから。」
そう言いながらあっという間にスズカを他の女子衆と同じ格好にしてしまう。
「次からは自分で着れるね?」
初老の女子衆はそう言うと仕事が終わったとでも言いたげに待機室に戻っていく。その状況にやや着いていけてないスズカの前に先程部屋まで迎えに来てくれた女子衆の2人が声をかける。
「私はサザミ、こっちの背が高いのはチグサ。よろしくね。ええと....スズカさん。」
「はい、よろしくお願いします....。」
そうだった、とスズカは思った。
私は今日からここで働くのだ。
....家賃を払うために。
話は昨夜、宿に到着した時まで遡る。
スズカが最初にびっくりしたのは自身がいた遊郭と遜色ないほどの立派な建物だった。階層に関しては低いものの正面の門構えから入口、入ってからの廊下に至るまで清潔さが行き届き、それでいて派手ではないものの気品の感じる宿であった。
ゼロが、ナザムの中でも中流階級の人が宿泊することが多く、大きさで言えば町で4番目くらい、とスズカに説明する。スズカは飾ってある工芸品などもチラチラ見ながらゼロとミサオに着いて宿の奥へと歩いていった。
「ここからはこっちな。」
小さな中庭に出るとミサオが奥の木戸の方へと案内する。どうやらその先が従業員用の宿舎に続いているようであった。
中は宿ほど綺麗には見えないけれどもしっかりした木造の建物のようでありやや狭い印象の廊下、その左右には多くの部屋があるようだった。
「うちの部屋に行こうな。晩御飯をお願いしておいたから。」
ミサオはそう言うと少し行った所にある大きめの部屋に案内する。どうやらそこが仕事場兼ミサオの私室のようである。どうやら小さめの2部屋をぶち抜いた形で手前側には大きめの卓袱台が置いてある部屋があり、その上に被せ物をした形でご飯のお櫃といくつかのおかずが置いてあった。スズカが奥をチラっと覗くと書類の棚と机、低めの寝台があったのでミサオがどうやらここで寝起きしているらしい、ということがわかった。
「ご飯に、漬物2種、魚は目刺。うーん、ちょーっと物足りんなぁ。」
そう言って唸っているミサオの横でゼロは火鉢に火を点ける。そして置いてあった鉄瓶に水差しから水を入れるとそれを沸かすために火鉢の上に置いた。
「まだ厨房に誰かいるかなぁ。なんか賄い残ってるとええけど。」
そう言ってミサオは部屋を出て行った。
スズカはそれを見送ると特にすることもないので部屋を舐めるように見回した。
「スズカ。」
不意にゼロから声をかけられる。
「棚に茶筒があるだろ?緑のやつ、こっちにくれ。」
「これか?」
スズカは棚から茶筒を出すとそれをゼロに渡す。ゼロはそれを開けて中身を確認すると蓋一つ分を取り手近にあった急須に入れた。
(ん?)
ゼロがスズカに戻しといてと茶筒を渡す。スズカはそこに書いてある銘柄を見てギョッとする。
「ゼロさんや。」
「んー?」
「これ、帝都にある老舗茶屋の高ぁーいやつなのではないか?」
ゼロがスズカからもう一度茶筒を受け取ると中身を確認する。するとゼロの表情が曇った。
「んーーー。」
「どうする?まだ湯は淹れておらんし戻すか?」
ゼロがスズカに茶筒を戻し、唸っているとミサオがおかずを乗せた皿を持って戻ってきた。
「茄子の煮浸しと金平ごぼうがあったで。ほな食べよ!」
ゼロとスズカの顔が青くなる。するとその様子を見たミサオがゼロに気づく。
「ゼロ坊、お茶淹れようとしてくれたんやね。ありがとさん。あ、お湯湧いてるみたいやね。淹れて淹れて。」
うん、と力なく返事をするゼロ。スズカはその中でミサオに気取られないようにそっと茶筒を棚に戻すのであった。
3人の夕食は豪勢ではなかったものの充分なものであった。冷やご飯に沢庵と糠漬けの胡瓜を切ったもの、鰯の目指しが1人2本、それにミサオが調達してきた茄子の煮浸しと蓮根が入った金平ごぼう。追加でミサオが棚から鰹節と鉋を取り出し、削って醤油と混ぜておかかを作ってくれた。
ゼロは茶碗一杯分の冷や飯に漬物、目刺、おかかを乗せ、上から豪快に茶をかけた。そして上に乗せたものを齧りながらご飯をかっ込むように食べる。
「すごい食べ方だな。」
スズカがその様子を見て若干引く。ゼロはそれを聞くと追加で来たおかずを自分の小皿に取りながら「これが一番美味いんだ。」と返した。
対してのミサオは冷や飯にお茶をかけるのは同じだが姿勢も良く食べ方も上品で、おかずをちょっとずつ取りながら笑顔で口に運んでいた。
スズカも昔遊郭に入った頃は大部屋で皆で食卓を囲んでいたものだが上の位になるに従って1人で取ることが当たり前になってしまった。
(こういうのも良いな。)
昔スズカが城で生活してた時は家族で囲う形であったものの卓はそれぞれ個別でありおかずも1人分を少しずつより分けたものであった。厳しかった母の指導で食事中も喋る事は出来なかったので当時は城の使用人達の賑やかな食卓に憧れていたものだった。遊郭の大部屋の時も上の姉さん達は日頃の疲れのせいか誰一人喋らず黙々と食事をするだけだったのでお互いがどういう食事の仕方をするのかさえ興味を持てなかったのだ。
空気が違う。なぜかあたたかい。
ゼロとミサオを見てスズカはそう思った。スズカは何となく自分が望んでいたモノが手に入ったような気がして嬉しくなってしまった。
「スズカちゃん、どうしたん?」
ミサオが心配になって声をかける。そしてスズカはそれに少しだけ泣きそうになっていた自分にも気付いた。
「具合悪いん?大丈夫?」
ミサオがスズカの顔を見る。ゼロも食事の手を止めてスズカの方を見ていた。
「あ....いえ。....大丈夫。うん。」
食欲がないのだと思われたのかもしれない。そう思ったスズカは取り敢えず手近なおかず、金平ごぼうから手をつけることにした。
「....美味しい。」
「そうか、良かった。」
ミサオはスズカがちゃんと食欲がありそうなのを確認すると他のおかずも小皿に取り、スズカの前に出す。スズカは御礼を言うと冷や飯の方にお茶をかけ、おかずと交互に口に運んでいく。
「ミサオ姉。」
ゼロがミサオの方を見ると「なん?」と返した。
「まさかとは思うけどこれ、明日の朝飯の分から取ってきてないよな?」
ミサオが目を逸らす。
「厨房に誰かいた?」
沈黙するミサオ。
「....オレ、知らねえぞ。」
「まぁ空腹には変えられんちゅーことで。それにスズカちゃんもおるし.......な?」
スズカは聞かなかった事にした。
食事後、スズカは明日の事をミサオから聞く。
まず、明日からスズカには宿の従業員である女子衆見習いとして働いてもらうこと。そのための話はすでに他の女子衆にも話をしてあるので明日は寝坊しないように気をつけてね、とのことだった。
そしてもう一つ、それはスズカの寝床の事だった。
「ほな、行こか。」
そう言って案内された部屋は二階の奥にある物置きも兼ねた部屋だった。実際部屋の広さはそこまで狭くはないが色んな箪笥や棚等でスペースを圧迫されており若干手狭には感じる。
そしてそこには1枚の衝立を挟んで二組の布団が敷かれていた。
「....ミサオ姉。」
先に口を開いたのはゼロだった。
ミサオは言わんとすることはわかると頷く。
「スズカちゃん、悪いんやけどね。今ちょいと部屋に空きがないんよ。なので....。」
スズカの顔が一気に暗くなっていく。そしてゼロの方を睨む。ゼロは無表情で顔を背けた。
(病室に引き続きこやつと寝ろってことか....!)
「いや、そのな、ええと....。」
ミサオが口を開くとスズカは今度はミサオを恨みがましい顔で見た。さすがにこれはよろしくないと感じたのかミサオの目が泳いでいる。ゼロはその様子を見て何となく事情を察した。
「あのおっさんの命令か。」
ゼロがミサオに聞く。ミサオはどう応えたら良いかわからない様子だったのでゼロは一度溜息をついてからスズカの方を見る。
「要人警護だよ。対象はお前。普段は宿の中で匿って、夜はオレが護衛として傍にいる。そういう事だろ?ミサオ姉。女子衆としての仕事もそのためのやつじゃないか?」
ゼロがそう言うとミサオは観念したと言わんばかりに息を吐く。
「ごめんな、スズカちゃん。バンリ様からの言い付けなんよ。」
「言い付け?」とスズカが聞く。
ゼロはすぐに部屋の戸を閉めると1枚の術布を取り出して戸に貼り付ける。そしてミサオに視線で合図をする。
「まぁ言うてしまうけどな。どうやらスズカちゃんを探してる人達がいるっちゅー話なんや。まだ正体を掴めてへんからそれまではうちらの方で秘密裏に保護、護衛するという話になってな。」
「獣車の中で悩んでたのはそれか。」
ゼロが言うとミサオは思う所があるように頷いた。
「最初はゼロ坊には護衛だけお願いするつもりだったんよ。でもバンリ様がゼロに直接仕事を頼む事自体が予想外やったからどうしたもんかなと思ってなぁ。しかもあんな....」
そこでミサオの言葉は止まる。納得はしていないのはお互いわかっているがミサオとしては本来は反対したかったのだろう。
「ミサオ殿、質問があります。その私を探しているという者達は「姫」としての私を探しているのですか?それとも「遊女」としての私ですか?」
ミサオは「それはわからん。」と首を横に振った。
「状況として考えるなら「姫」としてのスズカちゃんを探してる方が話は通りそうやけどな。複数で動いとるって話やったし。」
「「遊女」だったら個人の方が辻褄が合いそうだしな。鶴観館の連中はまだ勾留中だっけ?」
「一部の従業員達は今日の段階で釈放されたって聞いとる。ただ経営責任者数人と例の地下独房の管理をしてた人らは実刑にされて投獄されるらしいな。お店としては修繕費は龍津軍の方で持つ形で親戚筋の人らが経営権を取ったらしい。まぁ再開まではしばらくかかるやろな。」
スズカとしては複雑な気持ちだった。自身を地獄に突き落としたのも鶴観館だったが、人買いに売られはしたものの命を繋いだ場所もまた鶴観館だったからだ。
「なくなっちまったほうが良かったか?」
不意にゼロに聞かれたスズカは一瞬見透かされたかと思ったが少ししてやんわりと否定する。
「いや、あそこが無くなれば露頭に迷う者も多くいる。私も世話になった場所でもあるからな。」
「....本当にそう思ってるか?」
ゼロの言葉にスズカは視線で返す。
「そなた、前も同じ質問をしたな。くどい。もうするな。」
そうきっぱりと言い返した。
ゼロは諦めたと言うように鼻を鳴らすとそのまま奥の寝床の方へと行く。ミサオはその様子を見守るとスズカの方へと向き合う。
「一応スズカちゃんの素性は一部の人には話しとる。うちの信頼出来る人にだけな。とにかく、ここにいれば滅多なことで危険なめに遭うことはないはずやから安心してええで。ささ、明日は日の出前に起こしに来るからな。早ぉ寝んと。」
そうして2人は就寝する。ゼロはスズカが寝付く前に物凄い早さで寝息を立てており、話す暇もないままスズカも眠気に襲われ意識を失った。
....以上が昨夜、スズカが宿についてからの一連の話である。着替えも終わったスズカはサザミとチグサに連れられ奥の待機部屋に移動する。
そこには大きなテーブルが部屋の真ん中を陣取っており、入ってすぐ手前には出勤を確認するためか名前の書いた木札がはめ込むような形でズラッと並んでいる。その中にはすでにスズカの名前もあり、サザミが「こうしてね。」と木札を外すと裏返してはめ直した。色は白と黒、表裏名前が書いており白が出勤、黒は退勤という形らしい。休暇の場合は別の所にはめるようだ。
奥には今日の予定と現在の各部屋の使用状況が書かれている木板があった。チグサは「うちらは3班だからこれね。」と予定表に書かれている項目の見方をスズカに説明する。部屋の布団の取り替えと洗濯、朝食と夕食の配膳、掃除など間に休憩はいくつかあるものの基本的には夜まで結構な量の仕事が入っていた。
(....これがほぼ毎日か、これは大変だな。)
おそらくスズカが生涯でここまでの仕事量をしたことはない。幼少期は勿論、遊郭に入ってからも上の姉さん達の世話でもこんなに忙しかったことはなかったからだ。
覚悟を決めなければいけない。
ここで働いていくための。
少しして従業員が集まりだすとミサオが部屋に入ってくる。そして全員がミサオの方を向いて姿勢を正した。
「みんな、おはようさん。今日もよろしくお願いします。今日は昼頃にお風呂の設備点検のために業者さんが入ってその間しばらくお風呂が使えんくなります。夕方までには終わる言うてましたがお風呂使える時間は1時間遅くなりますと各お客さんの方へお伝え下さい。あと、今日から新人さんも1人入りました。そちら、スズカちゃん。女子衆組3班の方に入ることになります。サザミ、チグサ、よろしくたのむな。スズカちゃんも、みんなに挨拶して。」
スズカはすっと立ち上がる。
取り敢えず頭の中で不自然にならない挨拶を考えた。
「スズカと言います。昨日からこちらでお世話になることになりました。皆さんよろしくお願いします。」
他の全員から視線を感じる。たぶんだけどこんな事も初めてかもしれない。そうスズカは感じていた。
「うん、よろしゅうな。ささ、みんな。朝ご飯にするで。今日もしっかり食べて、しっかり働こうな。」
ミサオがそう言うと厨房の方から山盛りのいくつかのおかずと炊きたてのご飯、味噌汁の鍋などが運ばれてくる。サザミが「今日は2班が配膳だけど、明日は私達がやるからちゃんと見といてね。」とスズカに伝えた。
配膳が行き渡ると全員が手を合わせて「いただきます」と口にする。そこから物凄い勢いで食べる者、おかわりをする者、少食なのか配膳の時に少なめに盛ってもらう者など色んな人間模様が見れた。
今日からここの一員となる。そう考えると色々不安ではあるが、こうしてあたたかいご飯と毎日寝れる場所があるだけでスズカには充分に思えた。その生活のために働けるのなら別に悪いことではない、と。
「そういえばさ。」
「ん?」
端に座っていた男達が話す声が聞こえる。格好的には厨房で働く人達だろうか。
「さっき見たら茄子の煮浸しと金平ごぼうが少し減ってたんだよ。誰か摘まみ食いしたのかな?」
「んなことしたらミサオさんに怒られるだろ?」
「オレらの中にいないとすると誰だろうな?」
スズカは聞かなかった事にした。
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