第9話 殺しの依頼

ゼロは龍津軍の屯所内を歩いていた。

目が覚めてから少ししてなんとか身体も動くようになったのでバンリからの用事を早く済ませてしまおうと思ったからだ。

途中の部屋の縁側でスズカやミサオ達がトクシロウ達と一緒に茶を飲んでいる光景を見かけたがその環に入ることはせず、真っ直ぐバンリの待つ書斎を目指した。


(ここだったか?)


書斎の前に来る。そこには先程と同じようにランが戸の横で正座で座っていた。


「おかえりなさい。」


「....入ります。」


どうもこの人は苦手だ、とゼロは思った。

表向きの平静さと内から感じる凄みに気圧されそうになる。


「待っておったぞ。入れ。」


そして開けてみれば髭面の胡散臭い顔。その横柄にも見える態度と風貌にゼロは精神的に萎えてしまった。


「ん?なんか元気がないな?どうした?」


「いや、なんでもない。」


ゼロは目をなるべく合わせないよう座った。先程スズカに扱き下ろされたあれこれやトクシロウからの敗北やらで正直かなり気力を削がれている。


バンリはゼロのそんな様子を知ってか知らずか余計なことは言わずに一冊の本を取り出す。


「こいつを。」


バンリは中身を一通りパラパラ捲って確認からゼロに投げて渡す。ゼロがその本を捲ると中には名前と人相書き、続いて詳細な情報が書かれていた。


「人物捕物帖。早い話が賞金稼ぎのための情報誌だな。」


「指名手配犯の図録ってことか?」


ゼロが聞くとバンリは髭を弄りながら返す。


「ちょいと違う。正確には生死問わない人間のみを集めたもので居場所が判明してる者も多数いる。金銭の交換に必要なのは顔がわかるよう本人の首、もしくは名前のわかる証明等があればなお良い。」


ゼロが目通しする程度に本を捲り終えるとそれを自分の前に置いた。


「つまりは、オレに人殺しをしろってことか。いいぜ、受けてやるよ。」


何故かその顔には不気味な笑みが張り付いている。まるで待ってましたとも言わんばかりに。


「....その顔は、正直見たくなかったな。」


バンリは溜息をつく。正直予想はしてた反応ではあったが目の前の精神的には化け物一歩手前の殺人狂に依頼をしようとしてる自分をも責めそうなほどに。


「いくつか約束がある。良いか?まず一つ、対象以外は無闇に殺さぬ事。」


「わかった。対象以外はなるべく殺さない。」


「二つ、死体の損壊は最小限にすること。ただし必要なのは首だ。首を落とすことは認める。」


「わかった。アンタに対象の首を落として渡す。死体の損壊は最小限にする。」


「三つ、絶対に無理をしない事。危険な状況になったら必ず退路は確保せよ。お前自身の命はきちんと守るのだ。」


「....それは約束できない。」


2人の間に沈黙が流れる。数秒時間を置いてからバンリは語り掛けた。


「それはなぜだ?」


「命をかけなきゃ人なんて殺せないから。」


さも当然のようにゼロは言い放った。

バンリは一度考え込むと「うむ」と頷いてもう一度ゼロの方を見る。


「では、言い方を変える。貴様の命が危険に晒され、撤退出来る場合は必ずワシの下へ舞い戻れ。得た情報を全てワシに伝えよ。そして死ぬのならその身が絶対に自由にならなくなった時にのみ....自害を許す。」


「わかった。オレの知り得たモノは全てアンタに伝えよう。それが出来ない場合、オレは身体も残らない方法で死んでやろう。」


その言葉に驚いたのはバンリであった。そして何となく察しもついた。


「それは....あの方、魔女殿の力か。」


今度はゼロが驚く。「知ってるのか?」とゼロが聞くと「昔からの知り合いだ。」とバンリは返す。


「....まぁ、あの人を知ってんなら話は早いな。今まで見てきただろうから何となくわかるだろ?この身体、うちの師匠があれこれ弄ってちょいと人間離れ程度の改造がされてる。こいつは師匠曰く謹製の代物らしくてな。保護、もしくは情報漏洩リスクの回避のための「仕掛け」が施されてる。たぶん外部に漏らすリスクを考えたらあの人はオレなんて平気で殺すだろうぜ。」


「殺す?それはどんな形でだ。」


バンリの言葉にゼロが軽く笑みを浮かべながら返す。


「自爆、どういう仕組みかはわからんがそう言われた。」


まるで何でもないとでも言いたげにさらっと言う。バンリが寒気を感じるほどに。


(こやつ、これが正気なのか?)


この少年はおそらく自分の命なんて紙くずくらいの値打ちしかないとでも思ってるのだろうか。およそ戦いの場に身を置いてきたバンリにとってもそれは異常に思えた。


「一応自爆用の術式の発動コードはオレの方でも持ってる。発動する時は師匠のが優先されるだろうけどな。何なら今ここで自爆してみようか?」


バンリが横に備えていた刀を床にガンッと打ちすえた。


「滅多な事を言うなこの若造!!今すぐこの場で貴様を斬り殺しても良いのだぞ!?」


ゼロはそれに眉一つ動かさなかった。

ただ「やってみろ」とでも言うように眼の前のバンリを見つめるだけだった。


(威しも、効かぬか。)


今までゼロがどういう生き方をしてきたのかはバンリにはなんとなくわかる。自分の命が軽い、いや、いつでも平然と差し出せる人間なのだ。そこに理由も何もないのである。


「....お前はなぜ人を殺す?」


バンリはゼロに問う。


「死にたくないからか?それとも単純に殺したいだけなのか?その動機はどこからくる?何がお前をそうさせるのだ?」


ゼロは少し考えると首を横に振った。そして一言「わからない」とだけ返す。


「わからない?」


「ああ、あるのは衝動だけだ。そうだな....よく思うのは誰かがこいつは殺すべき、とか囁いた時だっけな。他にもオレ自身が殺したいと思う時もある。それがなにかはわからない。....ごめん、上手い言い方がわからないんだ。」


その様子は迷っているようにも見えた。しかし沈着冷静にも見える。なぜそんな曖昧なモノで戦いに身を投じる事ができるのか?バンリには納得のいく感覚がなかった。

そして、自分は今、こんな明らかに危うい奴を自身の計画の歯車の一つとして起用しようとしているのだ。


(イかれてる....のはワシも同じか。)


やはりこいつ1人では危険過ぎる。誰かもう一人、出来れば二人以上、この少年のための見張りがいる。バンリは脳内でそう結論を出した。


「もう一つ確認をさせてくれ。」


「なんだ?」


「お前が殺したいと思った、もしくは殺せと囁かれたのはどんな奴だった?」


ゼロの目が丸くなる。そしてまた、少し考えるとこう結論を出した。


「たぶん悪党。眼の前でやばいことやった奴は大体殺してるな。」


バンリが「そうか」と返すと2人は互いの指に血判用の穴を開け、契約を交わした。





ゼロがスズカ達と合流したのは茶会が終わった直後だった。ミサオが追加のお茶を淹れようとしていたが帰るのが遅くなるとゼロが返したので盆や茶器をそのまま使用人に返して各々帰り支度を始める。


その中にはまだトクシロウも残っていた。

彼はゼロに気兼ねなく「よお」と挨拶するとすぐに舎弟達を後ろに並べてゼロに向き合った。


「オイラの勝ちだったな。兄ちゃん。」


「一矢報いたから満足してる。余計な怪我させてごめん。」


「いいってことさ。良い医者も来てたしな。こんなモンもすぐ治る。」


トクシロウはゼロの手に握られていた本を見る。それを見て納得した様子を見せると、


「たぶんだが、うちからも何かしら頼むことはあるだろうからその時は頼むぜ。」


したらな、とトクシロウは部屋を後にした。

びっくりしたのはその場にいたスズカとミサオであった。


「どういうことだ?」


スズカの問いに関して2人にバンリから貰った「人物捕物帖」を見せる。

ミサオはそれを見ると一瞬暗い顔をしたがすぐに無表情を作りゼロの方を見る。


「受けたんやね。仕事。」


「ああ。」


ゼロは短く答えた。ミサオはそれに対し少し目を瞑る。そしてもう一度ゼロを見る。


「反対する?」


ゼロが目だけ合わせるようにして言う。ミサオは少し間をおいて「いや、せえへんよ。」と答えた。


「好きにしたらええ。賛成はせんけどね。」


もうこれ以上言わないと言わんばかりにミサオは帰り支度のために離れていった。一方のスズカは最早怒りを向けるが如くゼロを睨みつけていた。


「お前も反対か?」


ゼロが少し顔に笑みを浮かべながら言う。その瞬間にスズカからゼロの頬に平手が飛んだ。


「....てぇ....。」


「お主が馬鹿だということは良くわかった。私を馬鹿にしていることもな。お主、何を考えているのだ?」


ゼロが叩かれた頬を擦ると少し申し訳無さそうにスズカを見る。


「すまん、お前を馬鹿にしているわけじゃない。ただまぁ、ちょいと考える所があってな。それで引き受けた。」


「言え。」


スズカはゼロの顔に目線を合わせると凄みのある気を纏いながら近付いた。ゼロ自身はそれには臆さず真っ直ぐスズカの目を見つめていた。


「今は言えない。会ったばかりのお前に言うことじゃないが、わかってほしい。」


そのまま数秒見つめ合う。やがてスズカの方から離れ、立ち上がる。


「私もミサオ殿と同じだ。賛成はせん。だが、理由を言えないのであれば、代わりに私の条件を呑んでほしい。」


「....わかった、聞こう。」


スズカは座るゼロを上から見下ろす形で答える。


「死ぬな。」


その言葉と同時に風が抜けた。看護帽が飛び、髪が広がり、服もそれに合わせて揺れた。

ゼロにはそれが主君から家臣に対する盟約のようにも思えた。それだけの風格が僅かではあるがスズカには備わっていたのかもしれない。


ゼロは少し俯く。何かしらを感じ取ったように。

とても大事な何かを受け取ったような気がした。


「わかった。オレは死なない。」


それが形のない盟約に対するゼロの答えだった。






帰りはスズカとフェルティナは例の移動用の術式で、ゼロとミサオは正門から出てそれぞれ診療所に戻った。そこで宿の獣車を呼びフェルティナに見守られながらゼロ、スズカ、ミサオの3人は「旅籠屋たると」に戻っていった。


ミサオは獣車の中では一度もゼロと口をきかなかった。ゼロがバンリからの仕事を受けた事を内心認めたくなかったためだろうか。一方のスズカはその車内の重苦しい空気を何とか回避しようと黙って窓の外を見ていた。


(わかってほしい....か。)


スズカはふと先程屯所で言われた言葉を思い出す。


(私ならわかってくれると思われたんだろうか?)


スズカは何となくゼロの方へと視線を移す。彼もまた自分と同じく窓の外を見ているようだ。


(私にはあいつの考えてる事などわからんと言うのに。)


一つだけスズカには何となくわかっている事がある。それはゼロが判断し辛い言葉で人を煙にまく人間ではないということだ。今までの行動を見る限り嘘や中途半端な言葉で誤魔化すような事はたぶん出来ないだろう。それがある意味今のスズカから見たゼロの唯一信頼出来そうな部分であって心配な部分でもある。でなければあんなに簡単に自身の命を投げ出すような選択など取れはしない、それがスズカの認識である。


(ミサオ殿は、当然このようなこやつの意識や行動を知ってて怒っているのだろう。でも、こやつが多少怒られたところでその意思を変えるとも思えぬ。でなければあんな汚い事に手を染めるような事もせぬだろう。)


人物捕物帖、とりわけゼロの持つ書には生死の問わぬ者達が記されていた。

首や個人を認識できるモノを対価に報酬が貰える。いわば人殺しも出来る賞金稼ぎ。まともな人間が受ける仕事ではない。


ゼロ自身はそれが自分の殺人衝動の確認のために受けたのだがスズカはその事情を知らない。ミサオはその事情に何となく勘付いてはいるがゼロには絶対に言わない。それを言うことでゼロが傷付くかもしれないと考えているからだ。


3人それぞれの思いが交錯する中、獣車は「旅籠屋たると」へと走る。時刻はすでに暗くなり始め今からが騒がしい東の街ナザムの夜が訪れた。

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