第8話 悪夢と偽りの姫

ゼロは夜闇の中にいた。山林に囲まれた大きな屋敷。戸も襖も荒らされ柱には飛び散った血の跡があった。

部屋の奥に歩を進める。削れてザラザラになった畳の上を足袋で踏みしめながら周囲に意識を集中させる。

不意に何かが聞こえた。誰かの息遣い....近くには他の声も聞こえる。

灯りが見える。蝋燭の火だろうか。ゼロは一気に駆け出した。


(オレはこの光景を知っている。)


この先にいるのはきっと彼女だ。そしてあいつらもいる。かつて自分が殺したあいつらが。


そこでは下卑た宴が繰り広げられていた。

1人の少女がその中心にいた。

もう何時間になるだろうか?そこにいた何人もの男達に代る代る弄ばれた彼女はすでに声を上げる元気もなく只管されるがままになっていた。剥がされた着物の下、丹田の部分に刻印が彫られ、何度も殴られてボロボロになった少女。


(やめろ....!)


この時の自分はこう叫んだはずだ。

それだけは覚えている。そしてその後....


....


....


....記憶にない。いや、時間が飛んだのだろうか?

気が付いてみれば周りは死体の山。少女も何処かへ消えていた。全身は返り血と死体の内容物で濡れ、吐き気のする臭いが立ち込めていた。

ゼロは嫌な予感がしたので急いで外へと走った。


少女は井戸の前にいた。水を汲み汚れた身体を洗っていた。ゼロに気付くとすぐに逃げようとするが身体のあちこちが痛むのかよろよろと木に捕まり歩きするだけだった。


(待って!)


そう叫んだのは覚えている。そして少女はそれに対してゼロを恫喝した。


(近付くな!)


私に触るな!そう怒ったような、泣いたようなグシャグシャの顔でゼロを拒否する。ゼロはそれに合わせたように動けなくなった。たぶん本当に怖かったのだ。


優しかった人が壊されて、心まで奪われて、身体も汚された。もう昔のゼロの知る彼女ではなかった。


(あんたも同類よ。あいつらと一緒。)


何の事かわからない。


(そんなに楽しかった?人を殺すのが。)


違う。


(あんたは私を助けに来たんじゃない。)


違う。


(あいつらを殺したかったんでしょ?)


....。


(あんたは人の皮を被った化け物だわ。)


....。


(何とか言えば?)


....そうかもしれない。

でも、間違いなく殺意はあったのは覚えている。


殺すために真っ先に手にしたのは相手の帯にあった脇差しだった。抜いて速攻で腋下の血管と臓器を骨ごと切り裂いた。

上がる血飛沫。動揺したのを見逃さなかった。2人目は首の動脈だ。3人目は眼球から脳までを貫き一気に引き抜いた。


面白い。面白いように人が死ぬ。相手は理由がわからなかったろう。自分の身体の半分くらいの背の少年が急所を確実に狙って殺しに来る。4人目は背中から骨の隙間を狙った。臓器のどれかに当たればおそらくは致命傷になり得る。逃げようとしてその場で躓いてくれたから、なお都合が良い。


5人目は少し違った。そいつだけがただ只管に冷静だった。他の4人を犠牲にすることに何の躊躇もない奴だった。

そしてもう一つ。

そいつは少女を人質に取っていた。


首を抱えて抑え、そこに刃を押し当てる。

とても良く見る光景だ。

そしてそこから出る常套句も。


ゼロは何も感じなかった。

先程まで大切だったはずの少女もどうでも良かった。こいつを殺せれば良い。それだけに心が支配されていた。


5人目が何かを喋る。もう顔すら記憶に残っちゃいない。それに少女が身動ぎする。


その刹那、5人目の指がバラバラと落とされた。

ゼロが脇差しを投げたのだ。


その一瞬で急接近する。落ちた脇差しを拾い、すぐさま腕を神経ごと切り裂いた。5人目が痛みに耐えかね少女を放す。そこから足、腕、手、そして身体の方へと流れるように切り裂いていく。


これでは足りない。他の者もそうだ。


血を失っただけで人は死ぬのか?

確実な死とは、こんなものか?


違うだろう?


心の中の違う自分が囁く。

もっと確実な死を。もっと確実で残酷な死を。

こいつらはそれだけの事をやった連中だ。


もっと身体を穢せ。

尊厳なんてこいつらには要らない。


腹を捌いて内蔵を引き摺り出せ。

頭を割って脳味噌を掻き出してしまえ。

あの少女を犯したモノも全て解体し擦り潰せ。

顎を割って歯も全て抜いてしまえ。

目の玉を指で引き抜いて握り潰せ。

肉を切り裂き骨を引き抜いてしまえ。


人の形を残すな。

こいつらの最後を人として死なせるな。

こいつらは化け物だ。人の皮を被った化け物だ。


....。


....。


....。


(....行くわ。)


少女はそう言ってゼロの前から去っていく。

傷む身体を引き摺って、夜の森の中へ。


ゼロには止められなかった。

その資格がないと思った。

自分が化け物だと知ってしまったから。


自分がそばにいたら、いつか彼女を殺したくなる。

自分はそういうものになってしまったと。


....。


....。


わかっている。これは夢だ。

昔の、一番最初に人を殺す事を意識した日の。


この後で自分が三日三晩山の中を彷徨うことになるのも。そして行き倒れた所をミサオやフェルティナ、そしてあの胡散臭い師匠に助けてもらったのも。


全部昔のことだ。もう過ぎたことだ。

今の自分には。


....。


....。


きっとこの夢も、もう覚める頃だろう。

煩い声がする。もう、起きなければいけない。


仕方ないなと思いつつゼロは声のする方に意識を手繰り寄せる。この夢はきっと起きた頃には忘れているだろう。


....そのはずだ。






ゼロが目を覚ますとそこは布団の上だった。全身に痛みが走るがすでに回復しつつあるのもいつもの感覚でわかったので身体は動かさず視線だけで周囲を確認する。


「起きたか、大馬鹿者。」


そこには不機嫌な顔があった。明らかにこちらを見下すような、それでいて機嫌を取ることを強要しそうな顔だった。


「不愉快なものを見た。これは夢だ。きっと夢の続きだ。よし、もう一度寝よう。....ふぐ!?」


すぐさま顔を掴まれる。


「これが夢かどうか確かめても良いぞ。このまま貴様の頭をガンガン揺すってやれば目が醒めるだろうしな。おっと怪我をしてる所を思いっきり棒で叩くのも良いな。涙が出るほどの痛みで目が覚めることだろう。」


今度は意地悪い笑顔だった。どうしてこの女はこうも可愛げがないのだろうとゼロは思った。「取り敢えず謝るからやめてくれ。」とゼロが頼むとスズカはあっさりと手を離した。


「....負けたか、オレは。」


「うむ。反則負けだ。武器を使ったからな。相手方は腕一本、なかなかの大怪我をしてた。」


「ああ。」とゼロは最後の最後で自身が行った行為を思い出す。それはたまたまゼロの服に刺さっていたものだった。どうせ負けるならばと悪あがきのつもりで指で飛ばしたのだ。....まさか当たったとは思わなかったが。


「困っちまうなぁ。どうしても殺す方に手が伸びちまう。」


「殺す?なぜ?」


「なぜって....そりゃあ殺されるから....。」


「向こうには殺意はなかったぞ。煽ったのはお前だとも言っていた。」


ゼロの顔が不機嫌に染まる。


「試し合いだったのだろう?」


「そう、だった。」


「では、お前が悪い。そもそもの原因もお前だしな。」


「....いちいち、うるせえ女だな。」


その言葉にスズカがムスッとする。そして顔を背け、横にあった水を入れた桶を持ち、立ち上がった。


「....起き上がれるようになったら書斎へ行け。バンリ殿が首を長くして待ってる。」


そしてそそくさと部屋を出て行ってしまった。

ゼロはそれを目だけで追う。


「なんなんだよ。あの女。」


そしてもう一つ。ゼロは心の中で思った。


(なんであいつ、あんなひらひらの看護服なんか着てるんだ?)






スズカは縁側に出て、桶の水を外に捨てると大きく溜息を吐く。


(馬鹿!馬鹿馬鹿馬鹿!結局礼を言い忘れたではないか!!)


そのまま桶を割りそうな力で圧力をかける。

当然その怒りは対象であるゼロが原因であって、諸々の複雑な感情がごちゃまぜになった帰結であった。


(あいつは....あれはたぶん死んでも治らぬ。なのになぜ....。)


どうしても気にかけようとしてしまう。絶対にどうにもならない相手のはずなのに。そこには何となくゼロを気になっている自分と嫌っている自分の両方がいたと。そうスズカは感じていた。


(こんなものは所詮刷り込みだ。さっさと忘れてしまえば良い。あの者が私を助け出したのは偶然に過ぎぬ。私は運命など信じぬ。....絶対に。)


「いやぁ、随分色んな顔するもんだねぇ。」


「ぎゃああああああああーーーーー!!」


不意に現れたフェルティナに飛び上がる。


「なんだい。人を幽霊みたいに。」


「フェル姉さんは気配なさすぎるもんなぁ。」


横にいたミサオがお茶の容器と菓子を乗せたお盆を床に置く。


「看病お疲れさん。ちょいと休憩せぇへん?....そうそう、スズカちゃんと話したいって人もおるし。」


「え....?」


襖の奥から現れたのは舎弟を連れたトクシロウだった。ゼロとの戦いで片腕は吊っていたが、さほど痛む様子も見せず軽快に部屋に入ってくる。舎弟達は入口で待ち、トクシロウだけがスズカ達の所へ来る。


「茶に呼んでくれて感謝します。スズカ姫。」


スズカはギョッとして半歩下がる。トクシロウは片手を前に出すと「そのままで」と囁き、頭を下げる。スズカは警戒を解かずに睨みつけた。


「何者だ。」


「かつて貴方様の父上、ナカノウエサダキヨ殿に世話になった者でございます。主君と配下の関係ではありませんでしたが今でもその御恩に報いる心は忘れてはおりませぬ。」


「....。」


トクシロウはその場で正座をし、手を床につき頭を深く下げた。


「ずっと探しておりました。山中にて我々の方で保護する手筈だったのを奴隷商人の一軍に先を越され、まさか遊郭に売られていたとは、とてもお辛かったことでしょう。どうかお許し下さい。」


「やめよ!!」


スズカは軽蔑するように叫ぶ。


「私の目の前で頭など下げるな!!今の私は姫ではない!!」


トクシロウが面を上げる。そこには今にも泣きそうなスズカがいた。


「....すまぬ。私はそなたを知らぬ。そなたがどんなに私を探すために心を砕いたのかも。....だからやめてくれ。私はもう姫でいることをやめたのだ。」


「御父上の意思を継ごうとは思わぬのですか?」


「父上の願いは叶っておる。国の統一に力を貸すこと。....もっとも横取りされた形ではあったがな。それに私は主君の器ではない。私のような者が人の上になど立てるものか。だから、どうか....。」


それ以上言葉は続かなかった。顔には大粒の涙が流れ俯いたまま動けなくなってしまった。ミサオがそれを抱き締めるとハンカチで涙を拭う。

トクシロウはその様子を見て頭をかくともう一度頭を下げる。


「いや、失礼いたしました。人違いで御座いましたか。どうかお許し下さい。何しろ生まれてこの方無作法ものとして通して来ましたゆえ。」


トクシロウは面を上げないままに言葉を続ける。


「もし、何か困りごとがありましたらウライシ組の屋敷にお越し下さい。このトクシロウ、必ずやあなたの力になりましょう。....てぇことで、よろしいかな?お嬢ちゃん。」


トクシロウは顔を上げてニコッと笑うとスズカの方を見る。スズカはその顔に何となく腹が立って目を背けた。ミサオがそれに合わせて明るく振る舞おうとする。


「....ほな、気分をかえてお茶しばこか。バンリ様に良い菓子貰ったんよ。」


「菓子?」


トクシロウが盆の上に乗ってるものを見る。


「これ、この前オイラがやったやつじゃねえか。あのやろぉ....。」


「美味しいよね。これ。」


フェルティナが早速一個摘むとミサオが「姉さん、お茶いれるから待ちぃ。」とフェルティナを叱る。スズカはそのやり取りを見て色々馬鹿らしくなったのか少しだけ笑みをこぼすのであった。

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