第6話 殴り合い

翌日、ゼロはミサオと共にナルムの町の中央にある領主の城へと登城していた。旧トウオウ国元締が住んでいたとされるこの城は現領主ナカノウエサダマロの居城となっており、その本丸以外の広い城内の各位置に聖帝国の地方機関が居を構えている形となっている。

本日、ゼロとミサオが行くのはその中の兵舎を統括する一角であった。宿舎を兼ねた城内でもかなりの規模を持つその建物には獣車を引くための騎獣の生育所や兵士の訓練場等もあり、そうした中で慌ただしく働く者達を尻目に2人は一際大きめの屋敷に入っていった。

表向きの看板には「龍津軍屯所」と書かれている。


「ゼロ坊、ここ来たの初めてやったっけ?」


ミサオが玄関で履き物を脱ぎながら聞く。ゼロが「うん」と頷く。


「いつも仕出しの配達とかで堀の外から見てるだけだったけど中がここまで広いとは思わなかったな。」


「入るにはそれなりに許可のいる場所やからね。ええと....。」


2人は庭園の見える縁側の通路を抜け大広間の扉の前を通り過ぎる。そこからさらに階段を登り「書斎」と書かれた部屋の前まで来た。入口には杖を肩に携えた短く髪を切り揃えた女性が座っており何故か目を瞑っている。


「ミサオ様ですね。いらっしゃいませ。」


「ランちゃん、久し振り。元気しとった?」


女性はミサオがすぐ横に来た段階で顔を向けまるで視線以外で気配を感じ取るように動いていた。


(こいつ、目瞑りか。)


携えていたのは杖ではなく仕込みの刀。ゼロは盲目の人間を見張りに置くというのは正直信じられなかったが、それをたった一人でこうして配置しているということはそれだけこのランという女が信頼されてるという証拠なのだろう。


「知らない方がいますね。」


「ゼロです。」


「うちの身内。今日はこのコの用事で来たんよ。」


ランはすんすんと鼻を鳴らす。


「武具類は私の横にある箱に全部入れていって下さいね。危ないですから。」


「え?ゼロ坊?」


なんで?という顔でミサオはゼロを見る。ゼロは一瞬気まずそうな顔をしたがすぐに身体のあちこちから苦無をはじめとした武器を出し始めた。


「護身用だよ。しかしすごいな。音がしないように固定してたんだけど。」


「金属音が少し、あとは鉄と血の臭いですかね。特に血の臭いは他の臭いをかき消しそうなくらいすごいですが。」


表情を全く変えずに言うランを見てゼロは僅かばかりの寒気を感じる。視覚がない分他の感覚が発達してるのだろうが、ゼロ自身はこういった人間と相対するのは初めてだった。


「もしこれに合わせて殺気も放っておりましたら、私、この場で斬り伏せておりました。」


「は、はぁ....。」


一瞬冗談のようにも聞こえたが、ゼロには絶対に冗談じゃないという確信があった。この人には自分と同じ、意識の内面にある汎ゆるモノに対しての殺意を感じるからである。そして現状ゼロ自身も彼女の間合いの中にいる。


(こいつは勝てねえな。)


そう思うほどに危険な相手。昨日色々と世話になったリュウセイという男もかなりの使い手であったが、龍津軍というのはこういった人間がゴロゴロしてる組織なのだろうか?この時点で彼らは敵対するべき相手ではないとゼロは認識した。


外せる武具一式を箱に詰め込みゼロとミサオは部屋の中に通される。左右と奥に並ぶ本棚。申し訳程度に光を取り込む小さな窓、そしてその手前の作業机に見覚えのある男が座っていた。

龍津軍の元締、バンリである。

バンリは2人に気付くとすぐ横に控えていた使用人の女性に菓子と茶を用意するよう指示を出した。


「すまぬな、散らかっていて。ちょいと立て込んでいるのだ。とりあえずそこに座ってくれ。」


見れば机の上は書類や木簡の山で埋もれている。ひたすら硯と炭と筆でこれを一つ一つ片付けるのは相当の苦労が伴うことだろう。その大変さはバンリの顔色を見れば明らかであった。


「さて。」


バンリが並んだ2人を見る。そしてゼロの方に視線を向けると1枚の紙を見せる。


「これにお前さんのここ数日の罪状が書かれてる。もっとも今回の行為は正当防衛のものも含まれるから対したものではない。諸々見積もっても少額の罰金を収める程度で済む。」


そしてバンリはそれを真っ二つに破った。


「が、それもワシの方でお咎めなしの形に持ち込んだ。よって今回は汎ゆる事を不問に処す。....ただし。」


ゼロは不意に後ろにある気配に気付く。

そこには着流しに煙管を持った初老の男が立っていた。


「それじゃ納得せんと言った者がいてな。」


男はゼロを見下ろす形でニヤリと笑った。


「ウライシ組、現組長、トクシロウ。お前さんゼロって言ったっけか。よろしくな。」


「自己紹介は必要なさそうだな。」


ゼロはその場で立ち、トクシロウを睨みつける。


「古寺の件か。」


「そうそう、話が早くて助かるねぇ。と言っても敵討ちとか、落とし前とかじゃねえ。単にお前さんに興味があるだけよ。」


トクシロウはヘラヘラ笑いながらゼロの周りをゆっくり歩く。ゼロはそれを視線で追いながら警戒を怠らない。


「どうすればいい?」


「そうさなぁ。」


トクシロウは煙を一気に吸うと戸の向こうに向かって吹き出した。そして握り拳をパシッと平手に当ててる。


「オイラと喧嘩しようか。武器なし、素手で。殴り合いでも掴み合いでも組み合いでも何でも構わん。....殺し以外ならな。外に訓練場もある。そこで相手してくれや。」


「....嫌だ、と言ったら?」


「その場合はあれこれでっち上げて訴える。何だかんだでうちの連中が怪我させられたからな。これでもあちこち顔が効くんだ。」


ゼロは髪を少しかくと「わかった。」と返す。バンリはその様子を見ながら終わった書類を横に避け立ち上がる。


「案内しよう。二人共付いて来い。」






「....バンリ様。」


ミサオが不満そうにバンリを見る。


「そう嫌そうな顔をするな。殺し合いにはならんよ。」


ミサオ自身も一応トクシロウという人間は知っている。この悪徳の町においては極道の組を率いる立場でありながら顔役を務めるほどの人格者であることも。

しかし極道は極道。どんなに表面を取り繕っても世界の違う存在。その男が喧嘩という名目で殴り合いをしようと言うのだから正直良い気分はしない。


(ゼロ坊、無茶せんとええけど....)


ミサオの心配を他所にゼロは素早く手足に帯を巻き、準備運動に入っていた。格好はいつも普段着で着ている作務衣。まるでいつもの習慣のような動きで身体を慣らすとトクシロウの方へ向き合った。


一方のトクシロウは先程の着流しは変わらずその場でゼロの動きを観察していた。特に体慣らしもせず腕を組みながらヘラヘラと笑っている。


「真面目だのぅ。お前さんは。」


そう言うと向き合ったゼロが思い至ったように尋ねる。


「あんたさ、殺し以外なら何でもありって言ってたよな?」


トクシロウが少し考えてから「そうだな。」と返すとゼロがさらに聞く。


「じゃあさ、壊すのもありかい?」


「へ?」


一瞬だった。

ゼロは跳躍で一気に距離を詰めてトクシロウの首を目掛けて飛んできたのだ。

咄嗟にトクシロウが平手で受け流すとそこから回し蹴りでの連続での蹴り技がトクシロウを襲う。


(飛び蹴り....あの距離からか。)


最初の一発は間違いなく脳震盪、もしくは首の破壊を狙ったものである。ある程度予測が付けば掴んで止めることも出来たが想定よりも早く、威力を伴った攻撃にトクシロウは受けと守りの体制に入らざるを得ない。


(やっば、舐めてたわ。)


ゼロの顔には殺意が張り付いている。先の壊すのもありか?という言葉には殺し合いではないけどその過程において殺す結果になっても恨むな、という意味も含まれていた可能性はある。


(舐められた....いや違う。こいつは本気なのだ。おそらくだが、「殺す」という行為こそがこいつの本気なのだ。)


力の加減が出来ない。感情を乗せることでしか戦えない。ゼロの場合はそれが「殺意」の形で現れる。古寺の一件ももしかしたらたまたま死人が出なかっただけなのかもしれない。


(だが....!)


基本は足技主体。これはゼロ自身の身長の低さと少年ゆえの筋力の少なさを補うための戦闘方法。しかしそれ故に隙も大きい。そしてトクシロウはもう一つ、ゼロの弱点を見抜いていた。


「!」


トクシロウがゼロの右足首を掴む。そしてゼロが反撃のために身体を捻ったのと同時に一気に上に跳ね投げる。ゼロはその状況から空中で一回転して身体を捻り、しゃがむ形で着地した。


「まずは足一本。」


「あ?」


その言葉に何のことだ?と思ったゼロは立ち上がろうとする。しかし....


「....!....つぅ....。」


すぐに右足に鋭い痛みが走るのを感じ、よろよろと力なく立ち上がった。


「お前さん、壊すのもありか?と聞いたな。勿論有り、だ。ただしオイラの場合は少々遠回りだがな。ゆっくり、じっくり、お前の身体を壊してやるよ。」


極道特有の凄みと威圧感を共に乗せながらトクシロウは笑みを浮かべる。普通の人間であればそれに飲まれてもおかしくないが、ゼロは冷静に、足首の帯をキツめに巻き直す。痛みは数時間あれば引く程度だがこちらはもう軸足としては使えない。


「上等だよ、クソジジイ。」


この場で武器が使えれば真っ先にその腕を、脚を、首を落とす価値のある相手だった。それが出来ないにしてもあいつの肉体に今自分が受けた分のダメージはきっちり返さなければならない。そうしてゼロは次の一手のために構え直すのだった。






一方その頃、診療所でフェルティナに検査を受けていたスズカ。それらは多岐に渡り、結局昼過ぎまでかかっていた。


「んー。」


およそ一ヶ月の間、過酷な軟禁状態に置かれていたスズカは正直何かしらの病気や感染症かかっていてもおかしくはなかった。勿論それ以外の事も。


「とりあえず今すぐにヤバそうなのはなさそうかな。身体は元気?生理は来てる?」


フェルティナが早口にまくしたてるように聞く。


「わかりません。来るとしたら2日か、3日後くらいだったかと。体の方は、まぁ、怠さとかはありませんが。」


「うーん。ちょいとまだ様子見がいるかな。一応出来ていた時のために墮胎出来るよう準備はしとこうか。まぁそれも身体と相談になるけどね。....あとは....。」


フェルティナはスズカの着物の下から覗く傷跡を確認する。その体の至る所、手足にも体にも彼女の身体には拷問を受けた傷が残っていた。


「これはちょっとどうにもできないね。怪我してすぐだったら目立たないようにも出来たけど随分雑な処置をされたもんだ。痛かったでしょ?」


「ええ、まぁ、はい。これは、その....もう諦めます。今更ですし。....ええと、私以外の人たちはどうでした?」


スズカが言うのは昨夜同じくここに運ばれて来た、同じく独房に入れられていた2人である。


「どうにもならんね。一人は精神やられてて話すのも無理だし、もう一人は身体の損傷が酷い。何しろ執拗に拷問されたのか、舌が抜かれて歯もボロボロだったからね。一応引取先は見つかったから明後日には二人共そっちに移動かな。見舞いするかい?おすすめはしないけど。」


スズカは押し黙った。そして下を向きながら首をゆっくり横に振った。


「....そのほうがいいね。んで、どうする?一応動くのに問題ないなら少し外の風に当たってくるのも良いと思うけど。ずっと室内にいたら気持ちも晴れないだろうしね。」


スズカは少し考えるように顎に手を当てると思い至ったように応える。


「あやつは、んん、ゼロ殿はどちらに?いつの間にか寝所から居なくなっていたのですが。」


「ん?ゼロくん?ミサオと城の方に行ったよ?多分昨日の事で色々手続きしなきゃいけない事があるからかな?」


「城....。」


現トウオウ領主の居城であり、領地の政の一切を仕切る場所。かつてスズカが子供時代を過ごした広大な場所。そしてその領主こそ今の自分にとっての敵である。


「気になる?」


「え?」


急に聞かれたために変な反応をしてしまったとスズカは思った。まぁ気になるといえば気になるのだがそれはゼロのことではなく、かつての自分の暮らした城や場所が今どうなっているのか、であった。

しかし一部の者には面が割れてるであろう自分があそこに入るには相当のリスクがある。何しろ現領主の息子を殺そうとしたのだから。


「あ、はーいフェルティナさんですよー。んん?....ああ、わかった。すぐ準備するわー。陣の有効化よろしくー。」


スズカがあれこれ考えあぐねている中、フェルティナが耳に手を当てて誰かと会話していた。フェルティナはすぐに棚から救急用の道具と薬の一式を鞄に詰め始める。


「....何をしているので?」


フェルティナの不可思議な行動に対してスズカが聞く。フェルティナは「お仕事だよ。」と返すとクローゼットを開けてスズカに衣装一式を渡す。


「それを着たまえ。スズカちゃん。」


それは看護師の服である。しかも何故かヒラヒラのエプロンがついた、およそ一昔前のような出で立ちになりそうな服だった。


「え?あの....。」


当然困惑するスズカであるがフェルティナは恍惚な笑みでニヤついていた。


「今から君は私の助手だよ。」


そう言うといつのまにか2人の看護師がスズカの両肩をがっちり掴んでいた。その瞬間、逃げられないと悟ったスズカの顔は恐怖に染まる。


「え?ちょ、ちょっと待って....。」


「こすちゅーむちぇーんじ!!」


「わああああああーーーーーーーー!!!」


フェルティナの号令により、ほんの数秒でスズカは下着姿にされ、2人の看護師の手によって着替えさせられた。状況に心が追いついてないスズカは鞄を持たされフェルティナに手を引かれて小さな部屋へと入る。

そこにあったのは幅3メートルほどの魔法陣のようなものだった。


「ささ、真ん中に立ちたまえ。」


「え、ちょ....状況が....」


「た・ち・た・ま・え。」


ほれぼれと勧めながらスズカを中心に立たせるとフェルティナはそのすぐ横に立った。「動いちゃだめよ。」と言う。


「こ....これはなんです?」


「これから良いところに行くんだよ〜。」


良いところ?とスズカが聞くか聞かないかで陣は眩い光を放つ。それに包まれる形で2人はその場からかき消えたのであった。


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