第127話 老婆
「で?これがこの街らしさ、ってやつなのね?」
街の大通り、名前は覚えないこの通りで私は二人の亜人と対峙していた。
一人はその大きくよく聴こえそうな耳をくる、くると動かしながらまるで仲間だと安心させるように口を開く。
その軽薄かつ馴れ馴れしい態度に人形らしく全くの無表情で対応する。
「まぁそう言うなよ?それに、全く知らない奴が来るよりは安心出来るだろ。もう知り合いだろ、俺達」
街の案内、と銘打ったその役目を負ったのは以前に私達が完膚無きまでに無力化した人攫いという部隊に所属する亜人の二人だ。
耳の良い、と自身で言っていた亜人の男が手を軽く振って勘弁してくれよ、と私の警戒丸出しの態度を茶化す。
目を細め、睨みつけるようにその亜人の手を見る。
あれ程粗っぽくリンが大盾で手首落としたのにね。
「知り合い、ね。はいはい」
その程度ならいいだろう。
それにこいつらがわざわざ街の案内などという粘着が弱まりきったシールみたいに薄っぺらい理由でつけられた意図も理解している。
これ以上仲良くするつもりは無い。
「……ねぇ、ほんっとにアンタってそんな顔しか出来ない訳?」
依然変わらずに私に突っかかるのはあの時私達を襲撃した亜人の……女の方。
それがどこまでわざとなのかは不明だが、兎に角私の神経を逆撫でするのが趣味のようだ。
「……私の顔?綺麗でしょ。シミも汚れも無いわよ」
ほら、と無機物なのだから当然生きるだけで汚れる生き物特有のそれを一切内包しない人形の顔を自慢するように見せ、とぼける。
聞こえるようにわざとらしく大きな舌打ちをして女の方は私から視線を逸らしてそれきり黙ってしまう。
「で?わざわざ私の貴重な時間を割いてまで私をどこに連れて行くの?」
「まぁそう怒んなよ。俺ならアンタが欲しがってる物も聞いたからな」
いつ、とは言わない。
恐らくは盗み聞きされていたあの会話からだろう。
男はこっちだ、と案内する。
昨日人攫い共が話していた内容を知っているからさほど驚かないが、なんとも率直に来るものねと思わないでも無い。
大通りから一つ、あるいは二つほど離れた小道を案内されるまま行く。
どの住居も過剰に装飾され、窓はすべて格子が嵌められている。黒か、あるいは灰色のそれらは高く鋭く形を描き、玄関口に下げられた蛍のように淡く儚い光量のランタンだけがこの通りの明かりであった。
峡谷の底に一体どれほどの陽の光が入るというのか、ましてや頭上に忌々しく伸びるあの大樹がそのほとんどを奪ってしまっている。
狭い小道ですれ違う亜人共にしたってそうだ。
この街の陰気に引きづられたのか皆が皆、まるでこれ以上大きな声を出せば悍ましい怪物に見つかってしまうと思っているように小声で話す。
それがどこぞの主婦どもになれば日傘で自分たちを覆い隠すというおまけ付きだ。
だからこの街は嫌なのだ。暗く、そして以前見た下水道があの形状だから悪臭が容赦無く街を覆っている。
「あぁ、ここだ」
一体いつまで歩くのか、私がいい加減うんざりした頃に男が足を止める。
足を止めた建物は何てことは無いこの街でいつも見る建物だ。
ただ一つ、玄関口に提げられた看板があるだけだ。
もはや風化し判別の難しいその看板には、本の様なイラストが一つ描かれていた……と思う。
「おぉい、婆ちゃんいるかあ?」
知った店なのか、特段気にする様子も無く中に入っていく。
本屋か、あるいは蔵書……この時代で本を売る店があるとは思えないわね。
なら何かしら……書庫?
そもそも私達の求めるもの……傷の治療や薬の類が欲しいというのは既にこの亜人の男に盗み聞きされていたはずなのに、どうしてここなのかしら?
あの時は本当に迂闊だったわ……。耳の良い亜人の存在も考慮しておけ必要が当然あったと今思えば……。
いえ、言い訳ね。あの時にちゃんとした対応が出来なかったから今こうして私一人で案内を受けているのだから。
二人が心配だわ、一応私の服の内側にはリンの操作する偵察用のハエがいるのだけど……それでもね。
向こうで異変があった場合、このハエをなんでもいいから動かして、と言ってある。
相も変わらず違和感を感じる可愛らしいドレスの内側のハエを感じながら待つ事数分、亜人の男が一人の老婆を連れてきた。
「はいはい、そんなに急かさなくても行くよ……。昔からあんたはせっかちな……」
その老婆は腰は曲がっておらず、しっかりと二本の足でこちらに歩いてきた。
埃の被った毛皮の分厚い本の山を掻き分け出てきた老婆は、そのハイエナの様に荒みきった相貌を私に向けた。
「あんたが人攫い共が言っていた人形かい?」
種類や方向性を変えながらその美しさを損なわずに老いたようなその女性は、確認するように私に問い掛ける。
「ええ、名前に関しては伏せさせて貰うわ。友人と家族以外には名乗らないと決めているの」
言外にこの街で友と呼ぶべき存在など誰一人いないと言ったのだが、老婆は何が可笑しいのか体内で押し殺すように笑う。
老婆はここまでの案内をしていた亜人二人に
「あんた達、もういいよ。帰んな」
「いや……婆ちゃんそりゃ……」
「ふん、どうせあんたらあの
しっしっ、と手を振って亜人二人を無理矢理に建物から追い出した老婆。
「……良かったのかしら、意地悪な人と友好的な人を用意して懐柔していたようだけど」
いわゆる良い警官、悪い警官と呼ばれる尋問におけるテクニックね。
否定的や暴力的な事をする人間がいて、そいつから守ってくれる、理解や共感を示してくれる人間がいたらそっちにコロッといっちゃうよね?という簡単に、かつ雑に言えばそんな策略だ。
ありきたり、かつ分かりやすい策略よね。
「……悪かったね、嬢ちゃん」
疲労の色を滲ませたため息と共に老婆が話す。
「あら、この街に来て初めて高圧的じゃない声色が聞けたわ」
「ここはいつもそうさ。そうしなきゃこの街が保たないのさ」
茶でもいるかい?と先ほどとは打って変わって優しげな態度でこの本で溢れる建物の奥へ来るように誘導している。
あの亜人二人がいた時とはその表情も幾分か和らいでいるように思える。
「茶は結構よ。というか、人形は食べれず、飲めずよ」
「そりゃ可哀想にねぇ……食事は生物に許された数少ない幸せを感じれる瞬間だと言うのに」
「問題無いわ、私の分まで私の子供達が幸せそうに食べてくれるから」
特にリリエルが。
「子供がいるのかい?」
「……」
「あぁ、すまないね。そりゃこの街の亜人なんて全員信用に値しないだろうね。ふむ……どうしたもんかね」
悩む仕草をする老婆。
私は直立不動のままで、更には表情も一切動かす事も無いが同じく悩んでいた。
この老婆は信頼、または信用に値するのか。
この街に来て初めて高圧的で無い人物だ。
流石にそれだけでは信用する材料が少なすぎるが……さて。
「そうさねぇ……じゃあ自己紹介やこの街の歴史や何故こんなにも異常なのかでも話してやろうかね」
「……信用とはどれだけ相手に捧げられるかで決められると言うけれど?」
「それも含めて助けやるさ。その前に相手がどんなやつなのか知らないとその手も取りづらいだろ?」
ふむ、確かにそうだわ。
私が頷き、了承したのを確認した老婆は
「じゃあまず、あたしゃロザリィ」
とここに来て初めて記憶に値するかもしれない名前を名乗った。
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