第118話 異常

 何処まで行ってもいっそ異常と言える程に人間への嫌悪と憎悪に支配された亜人の街を往くこと数分。


 案内役と……推測だが監視役と思われるエルフの女が脚を止める。どうやら私が制圧した人攫いの亜人共に関する諸問題に対する話……という名目の人柄調査場に着いたようだ。


「馬車はこちらに停めていただけますかな?ああそれと、お手数ですがお連れ様も責任者と面会して頂きたいのですが、よろしいですか?」


「うちの子達が貴女達を好いていないと知って尚、そう要求するの?」


 案内役のエルフはただの一度も目線を下げず、毅然とした態度を崩すことなく頷く。


 ……感情ではなく理性や合理、街の治安を優先する。いい門兵ね。


 深く、聞かせるように大きくため息をついて二人を呼ぶ為に馬車に入る。

 二人とも一階のいつものベッドに座っていた。


 街での喧騒やその内容、そして私と案内役との会話を聞いていたのか落ち着かなさそうにしている二人にそっと歩み寄る。


「あ、クロエ。えと、降りなきゃ、なんだよね?」


 左手で銃を握ったままリンが顔を上げて私に尋ねる。

 その表情は創世樹街でダンジョンに行く時のそれに近い。すわなち、油断や慢心が死に繋がる死地へ赴くそれだ。


「ええ、大丈夫そうかしら?」


 勿論二人を心配しての発言だが、その比重はリリエル側に傾いている。それをリンも知っているのか視線がリリエルの方へと向く。


 そして、その当人は……。


「大丈夫……大丈夫。リリエルは……大丈夫」


 目を瞑って耳を塞ぎ、同じ言葉を繰り返していた。

 時折、リリエルには家族がいる……と自己暗示の如く呟いていた。


 リンとの会話から、私が来たことに気付いたリリエルの瞳が開かれ、私を見つめる。


「く、クロエさん……っ!」


 縋るように伸ばされたリリエルの手を迷いなく取る。その淡い黄色と紺色のオッドアイは怯えに染まりきっており、視点も定まっていなように見えた。


「や、やだ。この街……やだっ!おかしいですよ、早く逃げてしまいましょう!?」


 不安の原因は自分の本当の瞳の色が黒い、という事からかしら。

 もし何かの拍子に、あるいは私達が知らぬ手段によってその付与魔法を見抜かれてしまう事への不安か。


 リリエルの瞳を見る。

 私が付与で色を変えた、本当は黒いその瞳を。


 亜人は全員、何かしらの色を持った瞳を持つ。その色は大抵、自身が扱える魔法の種類に影響を受ける。

 ……のだが、人間側の血が濃かったのか魔法を扱えるにも関わらずリリエルの瞳は人間と同じく黒いのだ。


 この瞳がこの街でどういう意味を持つか、あるいはどういう反応を街が返してくるか……いずれにせよそれが好ましい物では無いのは確かだ。


「り、リリエルが見た色んな所よりも、ずっとずっとおかしいですっ!こわいです、クロエさんっ!」


「ああ……まあ、そうね」


 ぶっちゃけ人形だからなのも相まってうわ頭のおかしい街や、おもろ。くらいの感想だったけれど……。

 そうか、確かに血の通った感情のある存在にとっては異質で自分の身の安全を危惧する街なのか。


 てっきり自身の瞳の色に起因する不安や懸念だとばかり……。


「クロエ、あたしも同じかんそーだよ?人間もまぁ……って思う事あるけど、ここまでじゃないよ」


「うぅん……私も理由は違うけれどここに長居するつもりは無かったし、この後の面会とやらが終わったらすぐに逃げてしまいましょうか」


 その後、馬車から出る事を拒否するリリエルをなんとか宥め、説得するのに時間こそ掛かったが……ここを耐えなければ帰りが長引く、という私の言葉渋々頷いた。


 その代わり片時も離れる事なく自分の側にいて、という条件がついたが……。


 感情というものは複雑で、真に他者の気持ちを理解出来る事などありはしないのが常識だ。

 故にリリエルの不安やそれの原因を察する事や歩み寄る事は出来ても共に感じてやる事は出来ない。


 その為に私達には言語というものがあり、様々な表現方法を用いて自身にすら時に不明瞭なそれを外部へ出力する。

 つまるところ言語とは相互理解や歩み寄り、理解に至るのに必要不可欠な手段である。


 リリエルはどうにもこの街にいる。という部分が尽きぬ不安の原因となっている……らしい。

 彼女の過去は逃走を唯一の手段とし、闘争からは遠い。


 いつだって逃げれば解決できた。それで少なくとも自身の安全は確保される。

 それは自身の経験から裏打ちされた確かな事実であり、彼女にとって敬虔な信徒が持つ聖書と、それに書かれた教典の様なものだ。


 故に……このようにリリエルにとって敵とも呼べる存在に囲まれた、あるいは彼らの本拠地とも呼べる場所にいる事はあってはならないことであり、それと同時に彼女が唯一絶対とする逃走を封じられた形となっている。

 落ち着かない、逃げたい、でも四方はヤツらでいっぱい……どこへも、どうやっても、


「離しちゃ駄目ですよ?ぜったいっ!」


「分かったわ。ほら、こうやって貴女を抱っこすればちょっとは安心、でしょ?」


 ちなみに、リンはリリエル程不安に思っていない。


 リンの過去は怒りと不信、そして私と出会ってからは闘争の過去だからだ。

 尽きぬ憤怒が、自身を取り巻く環境が、リンに他者への攻撃性の獲得を促した。


 私と出会い、戦う手段を得てリンは……彼女自身の言葉を借りるなら「殴れば黙るもんね、かんたん、かんたん」と理解した。


 故にこの状況も最悪戦闘に持ち込めばいい、とある意味で楽観、あるいは覚悟を決めている。

 殺しの厄介さについては教えている為、自身が不利になるとしてその一線を超える事はやすやすとはないだろうが……一応そこは釘を刺すべきか。


「ちょっと、リン?あまり派手にやっちゃだめよ?」


「分かってるよっ!もう、クロエの言った事は守るもんっ。殺しは投降を促した後で、でしょ?」


 わかっているならいいけれど……。


 時間は掛かったが、必要な時間でもあった。ともあれ、これで馬車から出られる。


 外では変わらず、色を付け忘れたボールの様に真っ白の瞳の案内役が待機していた。

 エルフの案内役の視線が私、そしてリン……最後にリリエルへと注がれる。


「なに?」


「いえ、仲のよろしい御家族のようで」


 当たり障りのない返答に何を隠したのか、あるいは本心か。

 それを知る便利な手段等無い為、代わりにさっさと案内なさい。と虚勢を貼る。


 エルフの案内役は目の前の建物に……恐らくは人攫い、そう呼称される部隊の本部、あるいは本社とおぼしきものに入っていく。

 この建物もこの亜人の街同様に過美に装飾され、まるで技術力を見せつける様にガラスを多様した造りだった。


 もしこの街が亜人の狂熱がとぐろを巻いていなければ、この時代にこのような建築様式の建物があるだなんて、と感心できたものだろう。

 だが現実はそうでない。私にはこの建築の全て、フレームに入れられた植物を模したと思われる飾りが、見せつけるようにして態とらしく大きく作られた狼の横顔を彫りつけた扉が……彼らの尽きる事のない選民思想と悍ましい本性を隠す為の薄く張られた布切れにしか見えなかった。


 うやうやしくも演技臭く、こちらに振り向きいやに手慣れた仕草で建物に入るように促す案内のエルフ……。


 あぁ、嫌になる。この街は臭すぎる。

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