第93話 異音

「すっごいおっきいっ!クロエ、敵は遠いはずなのにすっごいおっきい音してるっ!」


 あらまぁ、それだけ大物って事?


 原因は何かしら、猿を狩りすぎた?確かに先程倒した一団は珍しくかなりの大所帯だったわね。


 いつも一階層と創世樹街を繋ぐ入り口とその周辺、後は二階層へ向かう道くらいしか探索していないけれど、その道中であれほどの規模の集団には初めて出会ったわ。


「……皆、武器を構えて。警戒体制を維持しながら創世樹街へ続く入り口の方向へ」


 足音……もはやそう呼んでいいのか分からないほぼ地鳴りに近しいものだが、それを聞きながら私はここにいる全員に静かに宣言する。


「リリエル、リン。地雷を作って。後退しながら撒いてもらえる?」


「うん、いいよ。リリエル、根っこ、ちょうだい」


「はい。リンさん、お願いします」


 後退を続けながら、入り口までの距離を脳内で計算する。


 ここまでそんなに入り口から離れていないはずだ。

 せいぜいが一時間か、私単独で全速力で走ってその半分かもう少し掛かるほど。


 嫌な音だ。どしん、どしんと一階層のこの遺跡群を揺らしている音の正体は分からない。が、一つ言えるのはこの音は少しずつこちらに近づいていると言う事だ。


 これは……会敵も視野に入れるべきね。


「クロエ、俺達よりもダンジョン探索は長いんだろう?この音はなんだ?」


 ジャックの問いに私は答えを持っていなかった。


「さあね、そろそろ一年かそこらへん経つけれど、こんな音は初めてよ」


 地鳴りのような音の間隔からして、おそらくは二足歩行?のような何か……あるいは四足?で前足か後ろ足だけ異常に発達してるとか?


「でも……状況を考えるに多分だけれど逃した猿が関係していると思うの」


「と、すれば猿達の頭か?」


「そんな存在、今まで聞いた事も無いけれどね……」


 憶測を交え会話する事少し……やっと創世樹街への入り口がある所まで半分といったところで、リン達が共同制作していた地雷、その初めの一個が遠くで爆発する音が聞こえた。


「っ、クロエ、聞こえた?」


「ええ、性能のいい耳を生産魔法で作ってみたから私にも聞こえるわ。これ、この地鳴りが初めて聞こえた場所のやつよね?」


「うん、作りながら撤退したその初めの一個……だと思う」


 続けて二、三回地雷が起爆した音が聞こえた後……つんざくという表現が似合う程の咆哮が遺跡群を揺らした。


 その音は悍ましさと、生命力に満ち溢れた咆哮であり、人形の背に流れる筈の無い冷や汗を錯覚させた。


 猿叫び、そう呼べばいいのか。

 低音で、腹の底に響く嫌な音であった。


 滑車弓を取り出し、矢を番える。引き絞り、鏃の形状を確認する。

 それはそうした方がいい、というよりは何かをしていないと不安に押しつぶされそうだからせざるを得なかったという表現のが正しい。


 それほどまでにこの咆哮はプレッシャーを放っており、常に合理と理性的であれと志す私にらしくない行動を取らせる程だった。


「う……地雷の爆発音と地鳴りがセットになってこっちに向かってきてる……」


「リリエル、地雷の設置はどういう箇所に?」


「いつも通りですよ……クロエさんに教えられた通り見つかりづらい場所とか、地面に半分埋めたり、ただの地雷付きじゃない根っこでダミーを用意したり……」


「そう……偉いわね。私の助言、しっかりと取り入れてくれてるのね」


 なら少しでもいいからダメージは入っている、と思いたい。

 先の咆哮からしても少量でもダメージは入っていると見たい所だ。


 ……どれだけこの謎の地鳴りの正体にダメージを与えれているのか、それが分かるのは案外と早かった。


 急に、地雷の爆発音が聞こえなくなった。


 地鳴りも聞こえなくなって、私達は足を止めてしまう。


「……?あの音が、消えた?」


 何の前兆か、あるいは異音の正体がこちらへの接近を諦めたのか、何も分からない状況で唯一ユーリだけが楽観的な意見と共に肩の力を僅かに抜く。


 だが得てしてそういった戦場で気を抜いたものから死ぬのが通例だ。


「ユーリっ!」


 ジャックの声と、遺跡群の影から前足を真っ赤に染めた大猿が現れ、ユーリに迫るのはほぼ同時であった。


「え……?あ――……」


 左前足に殴られユーリはなんら意味のある言葉を発する事なく吹き飛ばされ、石造りの乾燥しきった遺跡群の一つに激突する。


 その姿は激突の際に生じた土煙によって確認出来ないが、ジャックが必死に何度も呼び掛けるも返事が無いことを思えば、結末は最悪か、それより一歩手前が良いところだろう。


「ジャック!ユーリの安否の確認をしに行きなさいっ!リン!リリエル!交戦準備!」


 戦闘前には敵の情報の確認は必至だ。


 私達が設置した地雷を幾つも喰らった大猿は、その大きく発達した前足を恐らくは自身の血で真っ赤に染め、負傷している。


 だがユーリを殴る際にその前足を使った事から、深刻なダメージという訳では無いだろう。


 特徴と言う特徴はその異常な程に発達した前足だけで、それ以外はいつも相手にしている猿の魔物、それを三、四倍ほどの大きさにしただけに見える。


「レベル7のユーリが簡単に吹き飛んだことを思えば……私達と同等か少し上……だと思った方がいいわね。リン、正面から攻撃を受けたら駄目よ。受け流して」


「わかったっ!ねぇクロエ、地雷、効いてないっぽくない?」


「そうね……でも出血はしているから、多少はダメージになってるはずよ」


 大猿は右へ左へとこちらを旋回するようにゆっくりと歩き、いつでも手を出せるように構えている。


 本当に大きな猿ね……通常の猿が大体あたしの腰くらいのサイズだとすると……うん。見上げる程に大きいこの猿は間違いなくボス猿ね。


 群れの長がわざわざ出てくるって事は、少々殺しすぎたのかしら、やはり。


「クロエ、ユーリは生きてる……」


 ジャックがユーリに肩を貸しながらこちらに声を掛ける。

 そして当のユーリは……片足が中途半端に千切ってやめたセロハンテープみたいに辛うじて繋がってはいるがちょっとの切っ掛けで取れるのではという程にボロボロだった。


 布をキツく縛り、辛うじて出血は止めている様だが、意識があるのかどうか……ぐったりと頭を下げ表情が分からなかった。


「生きてる……だけね。申し訳ないけれど、相手したこと無い魔物相手に戦力を削って護衛に回せる程、人員に余裕は無いの」


「分かってる、それにあの大猿がこちらを狙わない保証もない。安易にこの場から離脱する事は却って死を早める」


 冷静で助かるわ、応急処置も早い。


 亜人は種類によって様々だが、総じて人間よりあらゆる点で優れている。


 それは身体能力や頑強さに秀でた種族でなくとも、人間と比較すればその強度は高い程だ。

 つまり、ユーリの身体も亜人である以上、それなり以上には頑強なはずなのだ。


 そのユーリを一撃であれ程に負傷させるこの大猿の膂力はいかほどか……。


「ジャック、貴方はユーリを守っていなさい。どうやら無事に抜けるにはこの大猿を殺す必要があるらしいわね。……私達が逃げる為にも」


 ジャックがうなずき、一旦肩を貸していたユーリを近くの建物に座らせる。


 それを見てか、はたまた偶然か。大猿は一度聞いたあの嫌な咆哮を一つ上げる。


 耳を塞ぎたくなる嫌な音。

 低く、響く異音。


「……知恵が回るようね」


 咆哮を受けてか、いつも相手していたあの猿の魔物どもがどこからともなく現れ、ジャックとユーリを半包囲し出す。


 ジャックは初戦、初のダンジョンでありレベルも余裕で猿を倒せる私達に比べて僅かに7程度。


 遅れを取る事はないだろうが、それも回数を重ねれば分からない。

 要はジャックがお陀仏になる前に大猿を倒してね、という時間制限までついてしまった。


「どうする?こっちから仕掛ける?」


「そうね、リンの言うとおり。私が射ってみましょうか」


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