第92話 リリエルの気持ち

 ひとまず私達の実力と、ノリと勢いでバラした私の素性に関してはこれでいいとして……問題はあの二人がどこまでやれるか、だ。


 しかしまぁ……やっちまったなぁと言わざるを得ない。


 前世の人間であった頃、こんなにも喧嘩っ早かったかしら、私。

 例え家族であろうと馬鹿にされても何か言うてるわ、わはは。で済ませてた気がしていたのだけど……。


 リン達の実力を疑われ、まだ小さい子どもと侮られた瞬間と言ったらもう、瞬間湯沸し器もびっくりの速度では?って勢いで感情が湧き上がってしまったわ。


「ジャック!ちょっと突出しすぎ!少し下がってっ!」


 ううむ……、リン達の存在が、私にとってそれほど大きくなっていた、と推測すべき?


 だとしてもこれは欠点ね。


 安い挑発であっても家族であるリン達が絡むとまたやらかしてしまいそうだわ。


「ん?どうしたの?」


 思案する私の腕をちょいちょい、と触れられて視線を向ければ、リリエルが私を見ていた。


「見てなくていいんですか?一応クロエさんはあの純血どもの教官、みたいなのですよね?」


「あぁ、大丈夫よ。多分。一応見ているしね」


 後衛であり、戦場を比較的広い視野で見れるユーリが指示を出しながらアタッカーをし、近距離かつ前衛のジャックの周囲の状況把握が困難になってしまう部分をカバー。


 ありきたりだけどまぁ形にはなってるわ。


 二人、という部分がネックよねぇ。

 どうしても取れる戦術が狭まるし、そこにこの時代に則した武器や防具などの縛りが入るもの。


 生産魔法による現代技術をふんだんに盛り込んだ銃やら閃光手榴弾やら、地雷やらは教えずになんとか形にするのは苦労したわ。


「あ、そうだリリエル。さっき貴女大丈夫だった?」


「えっと、何がですか?」


 私はリリエルがジャック達に実力差を見せつけたにも関わらず、さして嬉しそうにしていなかったのが気がかりになって問う。


 それにリリエルはあぁ、と私の発言の意図を理解したのか困ったように言葉を続ける。


「なんというか……戦闘している間は楽しかったんですよ?これであの純血の、恵まれた正しい血筋の連中の鼻をあかせると……」


 でも、と続くリリエルの表情は疲れているように見える。


「なんというか、ジャック?とかいうあの男に謝られて、一気に気持ちが落ち着いてしまったんです。なんであんな小物相手にムキになっていたんだろうって……。リリエル、なにしてんだろうって……」


 それで虚しくなって、馬鹿馬鹿しいなってなったんです。

 それだけですよ。と締め括ったリリエルは心底疲れた様に見えた。


 もはや悪意に晒されすぎて抵抗する気力も湧きづらい、と言った感じかしら。


 例え今になって十分な力が自分の手元にあったとしても、もうどうでもいいという境地にまで行っているみたいね。


「そう……、最初は確かに怒りを覚えていたはずなのに、長続きしないのね」


「はい……それもなんか嫌で……もうリリエルにはそういう気持ちすら奪われて無くなったのかなって……」


 そういう意味で言うなら、リンのがこの件に関してはまだ正常ね。

 見返してやりたいと言う気持ちをまだ失っていない。事実、ジャックの謝罪にリンは鼻で笑って見下してみせたもの。


 達成感と優越感を感じれるのは、まだ正常な感性よ。良し悪しは置いといてね。


 私はスカートのポケットからまだ試作段階のお菓子を取り出してリリエルの口に放り込む。


「なんですか……?っ!?なにこれ、甘いっ!美味しいっ!」


「ふふ、でしょ?まだ作りかけだから完成したら渡そうと思っていたんだけどね」


 リリエルの言葉を聞いて一応ジャック達を監視していたリンがこっちに寄ってくる。


「なになに?あたしを置いて二人でいちゃいちゃしてたの?ずるーいっ!」


 ぐずるリンにはいはい、と返事しながらもう一個お菓子を……飴玉をリンの口に入れてあげる。


「舐めると美味しいっ!クロエ、これなぁーに?」


「飴よ、舐めてる間ずっと美味しいでしょ?」


 元々はリリエルを元気付けたくてポケットにあったのを思い出して食べさせたのだが、リンも釣れちゃったわ。


「ねぇ……リリエル。飴、美味しい?」


「はいっ!」


「良かったわね……ねぇ、リリエル。貴女は確かに抵抗する気力や戦う気持ちが失せてしまったのかもしれないわ。それは私でもどうする事も出来ないわ」


 飴を左の頬でころころと転がすリリエルに言葉を続ける。


「でもそうやって美味しいものを食べて美味しいっ!って思える感性は貴女にまだ残っている。それじゃ駄目かしら?失ってしまったものを数えるより、今ある手元にある物を大切にしましょ?」


 詐欺師や怪しい講習セミナーが言いそうな二束三文のありきたりな励ましだが、事実リリエルに必要な考え方はこれが大事だと私は思う。


 あと、下世話というか単純な話、人間気分がとれだけ沈んでても美味いもん喰ったらそれなりに快復するものよ。

 案外複雑に見えて人間って単純な精神構造をしているもの。


 そういった事もあって、リリエルの口に飴を放り込んだという意味もあった。


「クロエさんでも、とうしようもないですか……?」


「ごめんなさいね……私もこればかりは、幸せな時間をたっくさん過ごしていたら、もしかしたら。そういうレベルで難しい話なのよ。無力でごめんなさいね」


 心に負った傷のなんと始末に負えない事か。


 結局どれだけの時間や年月を重ね、進化しようと心の傷口に効く薬は今も昔も時間なのだ。


「いえ……リリエルこそごめんなさい。そうですよね、美味しいものたくさん食べて、その方が有意義ですよね」


「ええ、その証拠に最近あなたちょっと肉付きがよくなってきたでしょ?」


 リリエルのお腹まわりを確認しながら笑ってそう締めくくる。


 ほんと、最初に会ったときは不健康そのもので心配したものよ。

 爪はひび割れて血が滲んでいるし、肋が浮き出る程に痩せたお腹に、ドライアドとしての種族特性か、私よりほんの少しだけ小さい程度の高身長のくせして、病的に軽いんですもの。


「んふぅ……クロエさん?触り方が優しすぎて、ちょっと……」


「あ、あぁ。ごめんなさい。昔と比べて健康的になったわね。と思って……」


「それ分かるー、頬とかげっそりだったもんねー。骨と皮しかないって感じ」


「ふ、二人とも……リリエルが健康で嬉しいのは伝わりましたから、そんなに触らないでぇ……」


 リンと二人してリリエルを愛でていると、戦闘中らしいユーリから声が掛かる。


 なにかしら、今リリエル愛でるのに忙しいのだけれど。


 視線をやればあらかた猿は倒しているようで、ジャックもダンジョンでの初実戦なのか息こそ切れているが余力はありそうだ。


「あの……戦闘終わりました」


「まだ残っているようだけれど?」


 敗走しようとしている猿がいるが、二人は追撃するつもりは無いようだ。


 退き兵が何するか分からんというのに、猿とて、魔物とて生き物だ。

 生き物とは必ず学習するもの、それが世代を繋いでのものか、当代での学習や進化をするかは置いておいて。


 こういう敵がいる、そしてそいつはこういう攻撃をする。と情報を渡すのは好ましく無いのだが……。


「でも……可哀想じゃないですか。もう戦う意志のない魔物を追い打ちするんですか?」


 ユーリの主張を一旦無視し、ジャックを無言で見つめる。


 ジャックは居心地悪そうに視線を外す。

 その反応を見るに、ジャックは私側らしいわね。


 でも、姉や親の様に保護者として自分を守ってくれているユーリに従わざるを得ない、という感じ?


「(うんざりしたようなため息)……ユーリ。慈愛や博愛では、戦場では誰も救えないわよ」


「そんな……」


 ことはない、と続けようとしたのだろうユーリの発言は、遥か遠くから聞こえる地鳴りにも近い異音によって掻き消えた。


「何か来るわ……、全員構えて」

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