第74話 根を降ろす、あるいは伸ばす

「ねぇ、クロエさん」


 リリエルはじっと自身の腕の血管を見つめながら私を呼ぶ。


 その凝視は、自身に流れる血全てを吸い出し、全く別のナニかに全て入れ換えたいと願っているのかと思ってしまうほどには悍ましさを内包している様に見えた。


「……何かしら」


 リリエルの顔にそっと手を添えて目線が私と合う様に誘導する。

 私が付与で与えた偽りの淡い黄色と紺色のオッドアイがこちらを見つめる。


「リリエルはこの眼のせいで人間からは混血だと判断されて差別されてきました。亜人にしてもそうです、明確に差別や迫害は無かったですけど」


 けれど、と続くリリエルの声は低く、幾度もの諦観と絶望を内包していた。


「どこか遠巻きに見られ、本当の意味で亜人として認識される事も無かったです。疎外感というか、人間でもあるんだろ?と。そんな目線で壁を作られて……」


「クロエさん、リリエル。いつまでこんななんですか?リリエルに流れるこの人間の血は、永遠にリリエルを苦しめて不幸にするんですか?」


 人間のせいで、人間なんて大嫌い。呪詛の様に呟やかれ続けるリリエルの言葉は重く、粘り気を帯びている様に聞こえた。


 人間からは亜人と人間の混ざり者として、好奇の目に晒され、戯れに差別され、嘲笑の対象とされる。


 亜人からは人間ほどでは無いにしろ、その眼から人間との混ざり者として認識され、仲間の輪に入れず孤立を余儀なくされる。


 四方を防がれただ孤独に生き、耐えてきたリリエルにとって、ギリギリだったのだろう。


 自身に魔法が無いと自らの眼で諦めきっていたところに、こんなあっさりと、呆気なく実はそんな事無かった、だなんて到底受け入れられないか。

 本人の確認不足と言ってしまえばそれまでだが、種族の特徴故か私より少し小さいくらいの身長のリリエルだが、実年齢はまだリンと僅かに変わらない程なのだ。


 そんな子に、確認不足だとか自身の不幸を他人のせいにするなだとかの言葉は酷に過ぎる。


 不幸自体は本当に他人の、人間のせいだしね。


「リリエル、例えそうなったとしても不幸の度に私が何とでもしてあげるわ。その血も含めて私が側にいるから」


「今は信じてくれなくていいわ。これからの行動でもって、貴女への証明とするわ」


 言葉は軽く、何の価値も無い。


 これはリンにも過去に言った言葉である。

 愛する、だの、信じて、だのに意味や価値は全く無く。

 行動し、証明する事が先決なのだ。


 愛した、信じた、なら使ってもいい。

 実績が既にあって、裏付けがあるのだから。


「不幸じゃないって、否定はしてくれないんですね……」


「……まぁ、貴女から聞いた経歴を考えれば否定は出来ないわよ。そんな分かりきった嘘はかえって信用を無くすでしょう?」


 細められた眼は私を見つめ、ふぅっと息を一つ吐いて険しい表情を解いた。


「そうですよね。まぁ、もう仕方ないですよね……。それよりは、クロエさんの言葉に縋る方がまだ希望はありますよね」


 納得したというより、絶望するのに最早疲れてしまった。その段階にまで行ったという印象を感じる。

 そしてそんな事をするくらいならもっと堅実な物があると冷静に、現実的な視点になれたという所か。


 歪な信頼関係ね。純粋に信じるというより、現実を見たりより確実な理論や道理を重視し、それを軸に歩み寄る。


 私もリリエルも、こんな風にしか言えないし近付けない。


「すみません、クロエさん。取り乱してしまって……」


「大丈夫よ。それよりほら、リリエルの魔法を試してみましょう?過去よりも目を向けるべきは今、ひいては未来よ」


 多少無理にでも話題を変えるべき……だと判断しリリエルに魔法を使うように話す。


 リリエルはそれにこくんと頷いて、それからふと気付いたようにリンの方を見る。


「あの、リンさんはリリエルと似たような事、思った事無かったのですか?」


「ん?なぁにきゅうに」


 それまで私とリリエルの話をただ聞いていたリンは話し掛けられてリリエルを見る。


「ですから、その……自身の産まれや種族を恨んだり、あるいは人間に対して止まらない、殺意を抱いた事って無いですか……?」


「んー……あるけど。というより、今もだけど」


 歯切れ悪そうに、だがそこまで深刻さを含んでいない口調でリンはそれに答えていく。


「生きるのが辛かったり、しないんですか?」


 しないよー、とあっけらかんと答えたリンはそのまま語る。


「あのね、リリエル。あたしはクロエがいるから、クロエの事で、大好きな人の事で頭をいっぱいにしてたら、全てがどうでもよくなるんだよ?」


 と言ってのけた。


 リンのそれは私という存在に依存し、自らの足での自立をせずに私に完全に寄り掛かる事による安定だった。

 私がいるからそれでいい。と。


「クロエに会うまでは世界の全てがきらいだったよ?人間は勿論、あたし以外の全てはあたしの敵くらいに思ってたし」


「そうですか、リンさんにはクロエさんが……」


 リリエルの表情は何も宿してはおらず、ただ確認するように口から出た単語だけが独り歩きしていた。


「リリエル、貴女にも私がいるのよ。それを忘れないで、決して独りではないわ」


「いつか、実感が湧くんでしょうか……その言葉」


 まだ歩み寄りを始めたばかりのリリエルは自信なさげにそうこぼし、こちらを見る。


「もちろんよ、今まで苦労したぶん幸せになる権利が貴女にはあるんだから。絶対に私が実感させてあげる」


 さ、その為にも貴女の出来る事を確認しましょ。と私の言葉にリリエルは自身の魔法を発動させようとMPを使用する。


 数秒して第一階層、その遺跡の床を割るようにして鉄パイプ程の太さの、根が生えてきた。


 それは健康的な色をしている様に見え、その根が動くたびに土くれがぱらぱらと落ち、根の隆起に巻き込まれるようにして出た虫が数匹、蠢いていた。


「すごいわね。これ自由に動かせる?」


 これがドライアドの魔法なのだろうか、あるいは純血のドライアドはこれよりももっとなのだろうか。


 リリエルは私の発言にううん、と眼を瞑って唸る。


 すると根は命をでたらめに吹き込まれ、けれど脳にあたる部分が無い為になんら目的や生命活動をしている様には思えない動きを見せた。


 怪しく、生命と非生命の中間を行き来するように動く根はリリエルの様子を見るに制御に苦労しているようだった。


 これは練度次第かしら……?


「む、難しい……です。なんだか急に手を一本、それも背中に無理矢理生やされて、それを必死に動かしてるみたい、です」


「おー……結構勢いあるねー」


 リンが大盾を構えながら暴れる根に近づき、その打撃を受けて感想をこぼす。


「最初だから慣れていないだけよきっと……もう少し練習してみましょ」


「わ、分かりました」


 リリエルは精力的に自身の植物魔法である主根の操作の練習を続けている。


 少し前の猿の魔物の戦闘時での台詞もあったが、リリエルは自身の価値を示すことに執着している様に見える。


 それは今まで生きてきた経験からか、あるいは私の在り方、思考や態度からそれを示せないとと強迫観念に囚われているのか、それは定かではないが。


 それ故に改めて自身に魔法があると判明した今、それを十全に扱い、自身に一定の価値があると証明しようとしている様に見える。


 もし後者であったとしたらリリエルには酷い事をしてしまった。

 確かに他者に対しては対面した時に、自身に何がメリットがあるのか、世間体や社会倫理に照らし合わせ、関わるべきかを常に考えているが、身内にはそうじゃないようにしているつもりなのだが。


 まだリリエル自身に自分がその身内だと言う認識をさせてあげれてないのが原因だ。

 つまるところ、私の日頃の行動のせいだ。

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