第72話 母を見た
「話はついたー?」
少し大きく声を出し、リンに戻ってくるように伝える。
しばらくして戻ってきたリンは大盾の全面、生え揃えた棘に突き刺さった猿の魔物を引っぺがしながら尋ねた。
「ええ、一応ね」
「ふーん、それで?」
私ではなく、リリエルに尋ねるリン。
それに対して申し訳無さそうに目を伏せて答えたリリエル。
「まだ信じれてないです。でも前よりももっと信じたいと思って、前よりももっと近付きたいと思えました」
「……ん。そか」
さして気にした様子もなくリンは短く返事をし、私の側に寄ってくる。
私が嵌めた指輪を大切そうに撫でながらそっと私の左側に立つ。
「ごめんなさいね、席を外してもらっちゃって」
「んーん、気にしなーいよっ?」
弾むような声でそういったリン。
改めて家族になって欲しいと言って、その証を渡した事が大きいのか、いつもより機嫌がいい気がする。
「また今度埋め合わせするわ」
「ほんとっ!?えへへ、我慢するのも悪くないね?後でちゃんと別のご褒美くれるし」
よしよし、我慢する事を覚えれて偉いわリン。
子供にモノを教えるのは初めてだったが、これは上手く行ってくれて良かったわ。
正直にいえば私は不安だった。
リンが少しでも良い方向へと教育出来ればと日々願い、あれやこれやと考えてはいるが本当にこれでいいのか分からなかった。
私のせいでリンが我儘な子になってしまったらどうしよう、人の話を聞かない子になったら?
あの子が少しでも幸せになれる様に、少しでも外の世界への関心などを得てくれる様にと日々ああでもない、こうでもないと思考していた。
だが所詮は私の拙い知識での教育なのだ。
人間であった頃を含め、子育て、あるいはそれに近しい事などした事すら無いのだ。
それが今回のリンの発言で少なくともこの教育方針で間違いが無かったのだと分かった。
私の教育は間違ってないだろうか?
そう何度も自問し続ける日々だったし、きっとこれからもこの悩みは消えないのだろう。
人形の体で良かったと本当に思う。
ストレスには弱く、すぐに体調に影響するのが私であったから。
ちゃんとリンに我慢する事を教えれた事が、そしてそれ以上にリンがそれを覚えてくれた事が嬉しくて、思わずきゅぅっと抱き締める。
「わっ!どしたのクロエ?」
クロエからしてくれるの珍しいね?と無邪気に聞いてくれるリンがさらに愛おしくなる。
「なんでもないわ、リンとこうしたくなったからしただけよ」
ん〜?と幸せだからいっかと私の腕の中でぽわぽわした顔でいるリン。
「あの……」
と控えめに私の服の裾を引っ張る感覚を覚えてその方向を見ればリリエルが複雑そうな表情でこちらを見ていた。
「あぁ、ごめんなさいねリリエル。リンが良い子だからつい……。決して無視していた訳ではないのよ?」
「それは分かってます……それになんとなくクロエさんがリンさんを抱きしめた理由も察してますから」
察しのいい子だ。
リンもリリエルも私には勿体無いくらいのいい子だ。
歪んだ周囲の環境のせいで過去に深い傷を負ってしまった事が悔やまれる。
「リリエルは良い子ね。貴女もくる?」
とリンを抱き締めていた両腕を片方だけ解いてリリエルが来れるスペースを作る。
「……いいんですか?リリエル、何も良い事してないですよ?」
「そんな事ないわよ、リリエルも良い子よ。優しくて他人を気遣える、良い子。リリエルさえ良ければ、私とハグしましょ?」
リリエルはおずおずと私の懐に入ってくる。
それを片方だけだがしっかりと抱きしめ、背中をゆっくりと撫でる。
家族の証としての指輪を受け取ってくれた時に宣言した様に、多少無理してでも私やリンに近づく努力をしているのか。
私が一方的にリリエルを抱き締めているだけで、リリエルの手はリンとは違い私の背に回されていなかった。
今はまだそれが限界、という事なのだろう。
「……お母さん」
「えっ?」
リリエルの口から出た小さな言葉に思わず反応してしまった。
リリエルはたちまちに顔を赤熱しきった石炭の様に赤くし、慌てて口を開く。
「あうっ、ち、違うんです。その……クロエさんが優しくて、なんでも受け入れてくれて、リンさんに色々と教えていたりするのを見てたら……」
なんだかお母さんみたいに、見えて……。と後半に連れて萎んでいく声を聞きながら私とリンはリリエルを見る。
「本当のお母さんはリリエルの事、混ざっているからって気持ち悪いって、だから愛して貰えなくて……。クロエさんはまるでリリエルの理想みたいにさっきは見えて……」
産まれた子を愛せなかった母からの影響か。
私にそれを見出すというのなら、私としては別にそれでもいい。
生活面、食糧事情的に言えば生産魔法やリンの植物魔法等、いくらでもなんとでもなる。
それに、家族となる。と宣言したのだから当然、リリエルの将来や幸せについて責任があるのだ。
もちろん、リンもだが。
「リリエル、貴女がそれを望むなら私としてはそれでもいいわよ」
「え……いいんですか」
「もちろんよ、それに貴女言ったじゃない。多少無理してでも信じれるように近付きたいって」
リリエルの両眼が私を見つめ、暫く考え込む。
「ほんとに?リリエルのお母さんになってくれるのですか」
「リンと同じく、貴女も私の可愛い娘よ。貴女が望んでくれるのなら」
「お母さん……クロエお母さん」
私の手を握って確認するように何度も呼ぶ。
人を吐くほどに本能的に嫌いなリン。
愛に飢え、望まれず産まれたリリエル。
弱音を言うつもりも無いし、覚悟は決めているつもりだが、この世界を恨まずにはいられない。
きっとこの世界にはリンやリリエルの様な子が溢れているのだろう。
亜人と人はぎすぎすという単語にラードを掛けまくって尚足りない程にぎすぎすしているし、命の価値は吐き捨てられたガム程の価値しか無い。
だからといって必要の無い同情心などからこれ以上家族を増やすつもりなどは無いが……。
私の許容量はこれが限界だ。
理想や夢、善人を志すのは結構だが、現実を知るのも大事だ。
「あたしに妹が出来るって事?でも友達でもあるんだよね?」
「リンがお姉ちゃん〜?えぇ〜?」
お転婆で、可愛いリンは妹じゃないのかしら。
「む、何よクロエ。あたしのがリリエルより歳上なはずだもん」
「実際何歳なのかしらね」
「あの、ステータスの書かれている紙に載ってるはずですよ……?」
言われて久々に取り出したカードには名前、レベル等の基本的な事が書かれていた。
だがそれも最初だけで、名前の横に数字が浮かび上がるようにして出てきた。
ある程度この情報が欲しいと望めば出てくるのか。
「ふーん……クロエって37なんだ。クロエおばあちゃん?」
恐らくは人間だった頃の年齢も加算されているのだろう。
だがリン、その発言は看過出来ないわ。
「リン?」
「うひっ、ごめーん」
思わず出た私の女性らしくない低音にリンが反射的に謝る。
失礼ね、こんな美人な人形におばあちゃんだなんて。
老化も劣化も無い人形といえど、感性はまだ人のままでいるつもりだ。
「というか、クロエってそういうの気にするんだね……?」
「以外です、『いずれ老いるのだから、気にするだけ無駄よ』とか言うのかと……」
あ、分かる。とリリエルに同意したリンに私はリンを抱き上げる。
「わぁっ!ごめんってばぁ〜、ちょっと揶揄っただけだってばっ!それにクロエが何歳でも綺麗で変わらない人形なんだからいいでしょ〜」
リンの首筋をくすぐりながら弁明を聞く。
女性に歳の話は厳禁、少なくとも私には。
「ほ、ほらっ!リリエルが実際何歳かあのステータスカードで見てみよっ?ねっ?」
む、逃げられた。
私のゆるい抱擁から離れたリンを未だ捕まえようと伸ばした手のまま、私は確かに巫山戯るのもここまでにするかと思い直す。
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