第69話 悲しい本音 (リリエル視点)
リリエルの構えた大盾越しに、猿の魔物が見える。
背は大きいけれど、リリエルよりかは小さい。
クロエさんはレベルが六なら余裕、なんて言ってたけれど心は逃げたくて仕方ないと叫んでいる。
リリエルの悪い癖だ。自覚はある。
危機的状況で、まず『自分だけは助かる』方法を模索する。
誰を犠牲にしてもいい、自分さえ無事なら他はゴミ屑と同じという逃げ腰の悪い癖。
「大丈夫よ、本当に危険になったら助けるから。ね?頑張ってみて」
クロエさんが後ろから声を掛けてくれる。
最後に付け足すように今晩も美味しいもの作るわよ?などと冗談めかして言って緊張を取ろうとしてくれる。
リリエルは悪い癖を直したい。
初めてここに居ていい、と言ってくれたリリエルの居場所の為に。
今までは独りだったからこんな考え方が染み付いていたし、リリエル自身もそれを良しとしていた。
だって、独りだったから。
でも今は違う。
リリエルにも居場所が出来た。
居場所を作ってくれたクロエさんに、そして本来受け入れたく無かったはずなのに友達になろ?と気遣ってくれたリンさんの為にも。
初めて、逃げたく無いって思ってる。
「怖ぃ……、やだぁ」
今までも盾役を無理矢理にやらされたり囮になった事はあった。
でもそれは強制されて仕方なくだったし、大抵は逃げようとしたり遮蔽物に身を隠したりして自身の安全性を第一に考えていた。
つまり今回が初めてなのだ。
自らの意思で敵の眼前に立って、相対すると言うのは。
逃げたく無いとはいうものの、リリエルの心はもう限界に近いです。
猿の魔物が短い唸り声と共に飛びかかってくる。
がん、と盾に伝わる衝撃に目をつぶってしまう。
怖くて、必死になって槍を突き出しても猿は盾で防がれたのが分かるとすぐに下がってしまい、当たらない。
心が狭くなる。
どうしたらいいか分からない、なんでリリエルがこんな事をしなきゃ……。
視界までもが狭くなった気がして、気を抜いたら呼吸の仕方すら忘れてしまいそうになる。
目に映る景色の端の方が暗くなっている気がする。
クロエさんが作ってくれた槍を手放してしまう。
槍の長さは恐怖を薄れさせてくれる。なんて言っていたけど、そんな事は無い。
だって、こんなにも怖いんだもん。
今は盾を必死に構えて猿の魔物からの一方的な攻撃に晒され続けていると、急に視界を覆うほどの明かりがついて、リリエルも猿の魔物も動きが止まってしまう。
隣から音が聞こえ、視線を移すとリンさんが隣に立ってこちらを見ていた。
その視線は心配している様な、或は戸惑っているように見えた。
「リリエル、相手の攻撃の終わりにだけ攻撃しなさい。決して自分から仕掛けては駄目よ」
後ろからクロエさんの声が届く。
肩に置かれた手に気付いてリリエルは気づく。
独りで戦っているんじゃない、と。
当たり前だけれど、そんな当たり前ですら忘れてしまう程にパニックになってしまっていた。
方法は分からないが、さっきの明かり?は二人のどっちかがしてくれたのか。
「やれる?無理そうなら今日はもう大丈夫よ?また次にしましょ」
クロエさんが猿の魔物が近くにいるにも関わらず、少しだけ屈んでリリエルと視線を合わせながら聞いてくれる。
猿の魔物はリンさんが放り投げた大盾の下敷きになっていえ、簡単に無力化されちゃっていた。
あんなにリリエルが怖がって、何もできて居なかったのに……リンさんは強いなぁ。
「は……っ、い、いいえ。リリエル、まだや、やれます」
嘘だ、本当は逃げ出したい。でもここで逃げたらクロエさん、リンさん、リリエルの三人の中でリリエルだけが役立たずだ。
リリエル知ってる、例え家族であっても使えない奴は殺されて埋めて肥料になるか、どこかとおい所に連れて行かれるって。
いろんな場所を彷徨ったから知ってる。
余裕が無い村々ほど、積極的にそうしてた。
クロエさんがそうするかは分からない。でもリリエルは見てたもん、クロエさんが必要だから、という理由で躊躇う事なく色んな事をする所を。
だから、リリエルもそんな風に捨てられたくっ――!
「リリエル?別に戦闘が出来ないからって貴女を要らないなんて言わないわよ?私。他にも出来る事はあるはずよ」
「あぇっ……?え、なんで、どうしてわかるの……」
「そんな思い詰めた顔しながら出来る、やらせてくれ、なんて言われたら誰だって無茶してるな、なんて分かるわよ」
クロエさんが困った顔しながらリリエルを見る。
「で、でもっ、クロエさんはあの賊が相手の時、必要だからってなんの感情も無く色んな事をしたじゃないですか!」
「リリエルも、同じように使えないって分かったら捨てるんでしょ!?きょ、今日あの自分の部屋で寝るのがこわい!」
一息にすべてを吐き出してからリリエルはしまったと思うも、手遅れだった。
クロエさんの表情が、その見惚れてしまうほどの美貌が、悲しそうに歪んでいる。
完全に戦闘でのパニックが原因で、思わず口から出てしまった失言だった。
もちろん、嘘では無い本心ではあったが、それもほんの二割くらいもしかして、だなんて思っていた事で、全て疑ってクロエさんを見ていた訳じゃないのだ。
今まで行動でリリエルの信頼を得ようと頑張ってくれたクロエさんの姿をリリエルは知っている。
あのハンバーグとかいう凄く美味しい食べ物を作ってくれて、おかわりも貰えた事を、リリエルは確かに知っていたはずなのに……。
クロエさんは信じたい、と思いながら昨日馬車の一階、クロエさんのベットで三人寝ている時に確かに思ったのに、これも本心なのに……。
「ねぇ……、リリエル?」
リリエルの頭は後悔でいっぱいだった。
こんな事を言いたい筈じゃなかったのに、こんなのが全部本心だと思われちゃう。
そんなの嫌なのに、頭が熱くなってぼぅっとして、眼から涙が止まらない。
どうしよう、という単語だけが頭の中で繰り返されて、どうしたらクロエさんに嫌われないか、勘違いを訂正しなきゃ、という思考のループから抜け出せない。
「リリエルっ!」
大きな声と共に頬に添えられたクロエさんの両手に意識が向く。
思考の渦という内側から現実という外側に帰ってきたリリエルは、なんとか詰まりながらもクロエさんに言葉を掛ける。
「あ、あのねっ!リリエル、あんな事言いたい訳じゃ、な、ないの。嘘なの!いや、う、嘘でも無いんだけど」
その、あの、と纏まらない思考のまま言葉を出鱈目に吐き出すリリエルをクロエさんはじっと見ていた。
「うん……うん。大丈夫よ。リリエル、大丈夫だから。本心だけど、全部じゃないのよね?分かったわ、だから落ち着いて?」
クロエさんの綺麗な手がリリエルの頭を撫でる。
あんな酷い事を言ったのに、クロエさんはリリエルに変わらずに優しくしてくれて、それが嬉しくて、でもそれに比べて自分は酷い奴だな、って情けなくなる。
「落ち着いた?」
「はい……、ごめんなさい。リリエル、あんな事を言っちゃって」
「大丈夫よ、リンが魔物も抑えていたしね」
「うん、問題無いよ。……それにしても、うーん」
とリンさんが唸ります。
「あたしの場合、割とクロエに一目惚れしてて半分堕ちてたみたいな物だったから割と簡単に信じれたけど……」
「その、リンさんは一目惚れ以外で何が理由でクロエさんを信じたのですか?」
「ん?んー……、クロエはね、あたしを下にも上にも見なかったからだよ。一人の対等な存在として、頼ってくれたし扱ってくれたから」
だからだよ、と教えてくれたリンさんはねー、クロエー?とクロエさんに絡みにいった。
「その、クロエさんがリリエルにも戦闘をさせるのって……?」
「うん?まぁそれもあるわね。でもなによりリリエル、貴女が言ったんじゃないの、戦い方を教えてくれって。だから私は望むものを与えようとしてるし、戦力として扱っているのよ」
使えないリリエルをなんとかしようとしてる、そんな訳じゃなくて、最初から一つの戦力として数えてくれたって事?
貴女は弱いから戦わなくてもいいよ、では無く、期待してくれている……?
「あ……確かに初めて会った時に言いましたね、リリエル」
そんな簡単な事すら気が動転してて忘れちゃってたみたいで、なんだか恥ずかしかった。
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