第40話 嫉妬

 私の手を引いてずんずんと創世樹街の外、馬車のある方向に路地裏を歩くリンに私は慌てて声を掛ける。


「ちょっ、ちょっとリン?強引ね、まだ話し合い次第では誤解は解けたはずよ?」


 誤解を解いていない場合、『やはりあの人形は獣人の子どもを手篭めにしている』などと思われる可能性もある。


 そうなってしまうと恐らくは少なく無い規模の創世樹街の獣人達から狙われてしまう可能性が出てきてしまう。

 私はアールとのやり取りでこの創世樹街の獣人達を日本の村社会の様な物と認識を改める事にした。


 すなわち、余所者や外部からの者には厳しく排他的、仲間内の結束が強く風習や決まり事があり、それを外れた場合密やかに始末される。

 昔ながらの日本の村社会さながらであるならば、最悪リンを奪われる。


「その・・・、ごめん」


 リンは俯いたまま謝罪の言葉を口にする。表情こそ分からないが恐らくだが間違った事をしたと思って泣いてしまいそうになっているのだろう。


 リンはその歳にしては様々な事を経験故に歳以上に大人びて冷静に考える事が出来るが、やはり根はまだ子どもなのだ。

 咄嗟に間違った事をしてしまったと思えば怒られる、家族に嫌われる事を恐れて泣くだろうし、理性や合理ではなく感情面で優先事項を決める事も偶にだがある。


「ふぅ・・・、まあしてしまったのはしょうがないわ。どうとでもなるわ、最悪言ってしまえばこの街から出ていけばいいのよ」


 しゃがんでリンの目を覗き込む様にして諭す。

 レベルアップの手段は面倒だが外でも魔物自体はいる。ただ密集していたりそこに行けば確実に行ける、みたいな確実性が無いだけだ。


「あ、あのねクロエ。その・・・」


「うん?どうしたの、言ってみて」


 どうやらリンが私を連れてジャン達の家から出たのにはまだ理由がある様で、私はリンの体温高めの手をきゅぅ、と握ってあげて続きを促す。


「その・・・ね。キリアって子とあたしお話してたよね?」


「ええ」


「その時ね、あたしキリアの事とっても殺したくなったの、どうしてこの子は当たり前に家族がいて、大切にされて愛されてるんだろう、って。どうして私はあの村で差別されて死にそうなって泥水をスープに虫を食べて飢えを凌がなきゃいけなかったの、って」


「なんで私が欲しくて堪らなかった物をこの子は当たり前に持っていて、私は持っていなかったの?」


 どうして、どうして、と繰り返すリンに私はなんと声を掛けるべきか分からないままただ抱き締めてあげる事しか出来なかった。


 これは子どもだからだとか関係の無い、非合理的で極めて人間らしい醜い嫉妬だと思う。


 持つ者が持たざる者に施しを与えた時に持たざる者が覚える感情は何も感謝だけでは無いのだ。

 嫉妬もすれば偉そうにしやがってと施しを与え悦に浸る持つ者を恨む事もある。


 別段リンの心が醜い、という訳では無いのだ。

 寧ろ村での扱いという過去があればこうなる事は予想しておくべきだったのだ。

 ほのぼのとしたアニメや吐き気がするレベルの美談にありがちな『優しくしてあげれば心を開いてくれるよぉ』みたいな夢見がちで馬鹿な事は現実で起こり得ないのだ。


 こうなる事もある、寧ろ感情に任せて暴れず私を連れて外に逃げる事が出来ただけでも上出来だ。


「大丈夫よ、私がついているから」


 無力な私にはこんな意味の無い言葉しか出ない。ただリンの背中をゆっくりと撫でて体温の通わない人形の胸を貸すくらいが精一杯だ。


 結局は時間がゆっくりと過去の傷を覆い隠し一見するとなんでも無いように偽ってくれる事しか解決方法はないのだろう。

 一発で治る特効薬の様なものはこの世に存在しないのだ。


 恐らくはリンはこの傷と生涯に渡って付き合っていく事になる。

 そして最終的にはご近所付き合いでやや引き攣った作り笑いで隣人に挨拶する程度の回復がいいところなのだろう。


 暫く私達は抱き合っていて、リンの心が落ち着いて来た頃ジャンが私達を追って来た。

 額に少し浮いた汗は慌てて私達を探していたからだろうか、私の姿を見つけた途端安心した様に息を吐く。


「おい、クロエっ!ここにいたのか、探したぜ」


「なに?今見ての通り忙しいのだけれど」


「いや、そのスマン!アールの奴今は落ち着いてるが昔はかなり荒れてて切れ者でよ、今回も自分の目で直接クロエを見定めるつもりだったらしくて・・・」


「そんなもの、最初から知っておるわ。それでどうする?私とこの子を引き離すつもりか?」


 ぎゅっとリンの体を抱いてジャンから見えないようにする。

 創世樹街を歩く時にいつもつけている全身を覆うローブの下で滑車弓を持つ用の右腕三本が滑車弓を引き切る。


「おいおいっ!待て待て待て!ダンジョンでも言ったが俺ぁ少なくともお前らの事を信用している、じゃなきゃ家族を紹介しねぇだろ?それくらいには大丈夫だって判断してんだっ!」


 それに、とジャンはその黒い髪をガリガリと掻きむしって続ける。


「アールのやつもよ、悪ぃ事したって反省してんだ。まさかリンの方から否定されると思ってなかったらしくてよ、完全に読み違えたって、憶測で決めつけて尋問まがいの事しちまったって後悔してんだ」


「・・・それで?」


「だからよ、できりゃもっかい家に来て弁明の機会をくれやしないか?頼むよ」


 リンは今はもうある程度落ち着いているがその表情は暗い、ここは彼女の精神安定のためにも今この場は辞退しよう。


 私はリンに「帰りましょう?」とだけ言ってからジャンの方を見る。


「申し訳無いのだけれど、今は無理よ。機会があればまた今度にして頂戴」


 察しろよ、おい。という目線でジャンを見てからリンの手を取って帰る。


 ジャンはこちらが最初に失態したという負い目がある以上深くは追求出来ず、「・・・分かった」とだけ言って自分の家に帰っていった。


 私達も口数少なく創世樹街の外へと出、今は馬車の前にまで戻ってきた。


 二階層ダンジョンの攻略とジャンの家に行った事で日は傾き、もうすぐあたりは暗くなるだろうという時間帯だ。


 自家製馬車の中に入り、備え付けのキッチンで果実を絞ったものを沸かす。

 付与魔法のおかげでIHの様に火を使わずに加熱される仕組みで、火の音は無く小さな鍋の小さな果実水がこぽこぽと音を立てるのみであった。

 食器一通りは生産魔法で作ってあるので、それの中のリン用の可愛らしいサイズのコップをキッチン上の食器棚から取り出す。


 その間リンは馬車の奥を贅沢に占拠している二人用のベットに力無く座り込み、ぼぅ、っと私を眺めている。


 ・・・私はリンにどう声を掛けてあげるべきだろうか、未だにリンの為の言葉が見つからないでいる。

 まさか同年代と関わる事でリンの過去に触れ他者に殺意を抱くほど嫉妬するとは思っていなかった。

 私の失態だ。


 うじうじと答えが出ないまま果実水が湧き切り、それをコップに移してリンに手渡す。


「はい、これ・・・」


「あ、うん。ありがと・・・」


 程よく温まった果実水をちびちび飲むリンの腰に手を回し、そっとこちらに体を預けるように誘導する。

 全体的なシルエットは細いが、細部を見れば無駄無く鍛えられた歳不相応な体躯は今はひどく弱々しく見えた。


「私はリンの悩みに対して適切な言葉は掛けられそうに無いわ、ごめんなさいね?ただこうして傍にいてあげるしか・・・」


「うん・・・、ありがと、クロエ。もうちょっとこうしてていい?」


「もちろんよ・・・」


 お互い気遣う様な言葉を掛ける余裕も無く、二人して抱き合ってそのまま眠る事にする。

 

 過去を気にするのは老人のすること、と昔私はリンに言った。

 ならば多分私がする事は気にせず現在と未来をより良くするために明るく幸せになる為に色々と考えてあげるべきなのだろう。


 覚悟はしていたはずだ、リンは過去に酷いトラウマを持っていてそれが至るところで彼女の生活等で邪魔をしてくるという事を。


 私達だけで生きればそんなものは関係無いと思っていたがそれに至るまでにはまだまだ時間とレベルが必要だ。

 今はそれに至るまでの過程、それはもちろん分かっていた。そして過程という事は望まない他人との関わりも必要という事も。


 それによって生じる問題も、私ならきっとリンの事を守れると思っていた。

 だが結果はこの様だ。読み違えただとか、リンの方から人と関わる練習がしたいと言ってくれたとか、そんなものは言い訳なのだ。


 彼女の保護者であり友人であり近しい人であると決めたのならしっかりとあらゆるリスクを管理すべきだったのだ。


 今は眠ってしまっているリンの横顔を見ながら明日はあの一家との関わりをどうするかリンと話し合うことにしよう。

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