第39話 ジャン一家にて

「こんにちは、キリア。私のリンをよろしくね?」


 少しだけ微笑んでキリアに頼む。


 先程の反応からして適当に笑顔で頼めばこの娘はどうとでもなるだろう。

 念の為リンにこっそりと「すぐ近くにいるから」と囁いてから私はジャンと彼の奥さんの方へと歩く。


「重ね重ね、夫を助けて頂いて感謝致します。この人がいなければ私達二人など長くは生きれませんので・・・」


「いえ、こちらこそ私のリンの為に娘さんのお力をお借りする形となってしまい、申し訳ない」


「いえいえ、あの娘のお友達が増えるかもしれないという事であれば、いくらでも・・・」


 少しだけ古ぼけた印象を受ける椅子に私は勧められるがままに座る。

 机を挟む形で奥さんが座り、キリアとリンが関わる事を喜ぶ様子を見せる。


 彼女は実年齢で言えば恐らくはまだ壮年、熟年や老年にも差し掛かってはいないだろうが、それでも纏う雰囲気や口調がそうは思わせない。


 その鈍く錆びたような褪せた銀髪から覗く瞳は今も自身の娘キリアと、私のリンに向けられている。


 そこには深い慈愛、だと思われるものが見て取れ、私は少なくともリンに対してはこの獣人が警戒心や猜疑心の類を持っていない事を確認する。


「随分と娘さんを大切にしていらっしゃるようで」


 この時代ならば実の血を繋ぐ身内といえども奴隷へ売り飛ばしたり、労働力としか見ていなかったりがあるが彼女からはそれが無いように思う。


 持論ではあるが、愛情や敬意は心身に余裕があって初めて出るものだと思っている。

 衣食足りて礼節を知る、というやつだ。


 加えて、獣人というのは路地でのジャンの言葉を信じるならば差別の対象だという。

 当然、衣食足りて礼節を知る、の衣食の確保が難しいはず。

 なればこそ他者を思いやり愛を注ぐというのは口にする程簡単では無いはずだ。


 この家の状態を見ればお世辞にも衣食が十分に足りているとは言えず、裕福には見えない。

 それでも娘キリアを想い、愛を注げるという事は彼女が並々ならぬ精神力を持ち、なおかつ深い愛情を持つ人物なのだと私は認識する。

 

「ええ、勿論よ。あの子は私達の宝物よ、あの子が毎日どうしたら笑顔でいてくれるか二人で考えるのが生き甲斐なのよ」


 ね、貴女、とジャンに同意を求める奥さんにジャンは笑っておう、と答える。


 随分と深い絆だ。虐げられた者同士の結束は硬くそして愛深くなるのだろうか?

 私の持論や考え方とは異なる二人の様子にこの夫婦の背景が少し気になり話を続ける。


「失礼、奥様は彼とどれぐらいで?」


「いやだわ、奥様だなんて・・・。夫の命の恩人なのだから気にせずにアールと呼んで頂戴な・・・」


 そう言ってこちらとの距離を縮めようとする奥さん・・・アールは一旦そこで言葉を切って椅子の背もたれに僅かに体を預け、目を閉じて思案する。


 やがてゆっくりと思い出すように言葉を紡いでいく。


「そうねぇ・・・、夫とはもう二十年、くらいだったかしら」


「正確には二十二年だな、俺の方から『考え無しの馬鹿の俺の隣にこれからもいて欲しい』って無茶言ってそれをアールが受けてくれたのが初まりだ」


「やだもう貴方?お客様の前でそんな恥ずかしい・・・」


 僅かに朱が指した頬を誤魔化すようにしてアールはジャンの手の甲を優しくつねる。


 僅かな咳払いで会話の空気感を一旦リセットしたアールはそのまま続ける。


「それでね、当時は私・・・別の場所で彷徨っていたのよ。それでダンジョンだのなんだという噂に釣られてここにきてね、それで夫と出会って、という感じよ」


「懐かしいなぁ、ついでに言うと俺ぁこの街で捨てられてた孤児だったんだぜ?んでついでに獣人だからつって自分以外全部敵みてぇなもんでなぁ」


 続く彼の話によればちんけな盗みを働いて今日を凌いでいた所に獣人の集まりに見つかって仲間に入れてもらい、ダンジョンで稼ぐ毎日を繰り返して大人になって・・・とのことだ。


 恐らくはアールの方も言葉を濁した様に思えたが似たような物なのだろう、創世樹街は待たざる者たちの

一世一代の賭けであり、人ならざる者たちの安息の地でもあるのかもしれない。

 ・・・少なくとも人間たちの目がダンジョンの魔導具に行っている間は。


 それからはアール(偶にジャンによる)の半ば夫婦の惚気話の様な物を暫く聞く。

 やれ彼は少し向こう見ずな所があって、今回以外にも何度か命の危機があって気が気でない〜・・・など。

 魔導具や魔物の素材などを沢山取っていいものを買ってやりたいのは分かるがそれで命を落としたら私達を残していく事になるのに貴方という人は・・・とか。


 それからひとしきりアールは愚痴かはたまた惚気か分からない話をした。


 流石にしゃべり疲れたのか口が乾いたのか木製のコップに枯れ色の葉を一枚浮かべた水を飲んだ。

 ・・・お茶の様なものだろうか?浅学故にそれが果たしてお茶かは分からないが似たような物なのだろう。

 そうだ、リンに今度お茶を淹れてやろう。食べ物もまだパン以外日本産、あるいはそれと同等のクオリティの物は振る舞えていない。


 まあ茶葉からなのでリンの植物魔法に頼ってしまうのだが・・・、振る舞うと大口を叩いておきながら全て自分で用意してやれない事に少しだけ落ち込むがリンの喜ぶ所が見たい思いのが大きい。


「やだわ私ったら自分の話ばかり・・・よろしければそちらのお話も聞かせてくださらない?」


 お茶だと思われる物を飲み終えたアールはそういって私を見る。


「その・・・あまり聞いていいかは分からないけれど・・・。人形、でいいのよね?夫から少しだけ貴女の事は聞いたのだけれど、こうして目の前で見ても信じられないわ」


「ええ、私達はここから大分と遠い所から来たのよ」


「今キリアと遊んでくださっている・・・リンさん、でいいのかしら。とは長いのかしら?」


「・・・いいえ?創世樹街から少し遠いところの森で出会ったのが初まりよ、大体四ヶ月、五ヶ月くらいかしら」


 多分だがアールが私達の話を聞きたがっているのは簡単な素行調査というか・・・素性を知ろうとしいているのだろう。

 いくら自分の旦那を助けてもらったとはいえ信用できるかは分からない。旦那が信用していても直接面談してみるまで要警戒、という感じなのだと思う。


 むぅ、さてどうしたものか・・・、ここは正直に全てしっかりと話すべき所だろうか?


「・・・リンさんとはどう知り合ったのかしら?」


 気のせいでなければ、アールの私を見る目が少しだけ厳しくなっている気がする。

 推測だが私がリンを攫ったか何かしているのでは、とでも思っているのか。


 ロリコン野郎がどうやって手篭めにしたコノヤロー、とかそんな具合か?

 まあ同種族でも無く一見関わり合いになりなさそうな二人が一緒にいるのだから多少疑われても仕方ないか。


 私はリンの方をちらりと見る。今はキリアと遊んでいる様だが、獣人特有のふわふわとした耳は私とアールが会話を始めた時点からずっとこちらを向いており、この会話に聞き耳を立てている。


 リンは私の方に寄ってきて、私の手をぎゅっと握る。

 そして私のお腹あたりにぐっと顔を押し付けたまま唸る様にして


「嗅ぎ回らないでっ、私とクロエを引き離そうとする気?」


 とだけ言って私の手をぐいぐいと玄関まで引っ張っていく。

 アールはまさかリンの口からそんなことばが出るとは思っていなかったのか一瞬唖然とした後、後悔するような表情で私達を見る。


 そしてアールが何か口を開く前にリンは完全に私をジャン達の家から引き離してしまった。

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