第35話 対話

 リンの言う方向に目を向ければ、なるほど確かに。川の対岸、うっすらとだが人のシルエットが見える。


 人形の体は目は良くも無く、悪くも無い。故に見えるのはこの距離ではシルエット程度で、それが男か女か、人間種かどうかすら判別はつかなかった。


 代わりに劣化したり悪くなったりがないのは利点ではあるが。


 さて、どうするべきか。私としては一応助けるつもりではある。

 もし助けずに無視して、後々に助けなかった事が本人でも周囲の人でもバレてしまうと色々と面倒事に繋がってしまう恐れがある。


 なのでここでの私の回答は「助ける行動は取る。助けようとはしましたよーと言い訳出来るように」だ。


 だが問題となるのはリンの方だろう。彼女はどうだうろか?

 もしリンが人命に関わるかもしれない状況であろうと他人と関わる事を躊躇うのであれば、私としては軽い説得こそするがそれでも折れない場合はリンの意見を尊重するつもりではある。


 私は即席で作った休憩場にどかり、と座り込み滑車弓をいじりながらリンの方を向く。


「リン、どうする?多分あの感じだと放っておけばすぐにでも寄生トンボに体中穴だらけにされるわよアレ」


 リンは私の問には答えず、じっと対岸の男を見つめる。

 表情は強ばり、視線は少し落ち着きが無いように見える。


 たっぷりと五分、リンは悩んだ末に答えを出した。


「クロエ、私この前の情報収集の時、迷惑掛けちゃってたよね」


「ええ、まぁ。迷惑と言うほどの事じゃないけれど」


「だからあたしね、クロエが何回か言ってるように最低限でいいから受け答え出来るようになりたいの。クロエにあんまり迷惑掛けたくないの」


「リン・・・、私は気にしないわよ?苦手な事や無理な事もあるもの、無茶してまで向き合わなくてもいいのよ」


 行動原理が私の為というならば、私としては無茶をして欲しくない。

 大体、以前死にかける目にあって苦手になった人間種に無理して接触しようとするなんて傷口を広げるだけだろう?


 だがリンは大盾を持ち上げて休憩場からさっと降りて続ける。


「うーん、まあクロエの為に直したいのもあるんだけれどね?それとは別にあたしもちょっとこのままはマズイなぁ〜っと思ってるの」


「だからね、あたしの練習相手になるかなって。それにアレ、獣人っぽいし。人間種族じゃなくて同種族なら多少はマシかもしれないしね」


 私は見えないが、獣人であるリンには対岸の人が明確に見えるらしく、自身の成長の為にもと私に言う。


 リンがそういうのであればと私は納得し、先にばしゃばしゃと川を渡るリンに続く。


 牛の魔物はどうやら大人しい性質のようで私達が派手な音を立てて川を渡っているというのにまるで気にしていないようで、体を寄せ合っている。


 私がそのうちの一頭に近づくと牛の魔物の体が土色に薄く発光したと思えば、体に次々と岩が形成され次第にそれは川の中に佇む一個の岩と化した。


「うわっ、びっくりしたわ。急に何よ?」


 どうやら牛の魔物の防御策のようで、白くゴツゴツした岩を纏った牛は僅かな身動ぎ以外は岩と見分けがつかない。

 そんな風に川を移動し、近くに来た牛の魔物が順番にがりがり、ばきばき、と岩を体に纏って警戒していく様は中々に面白く、私はリンの緊張を解す意図もあってあえて明るく声を掛ける。


「見てみて、リン。この子面白いわよ?」


「・・・え?なに?」


「ほら、こっち。この牛、綺麗な色合いの岩を纏うのね。恐らくは体を護る為の策よ、これ」


「うん」


 リンの肩に手を置いて牛の魔物の生態に興味を向けさせる。

 まあ、やはり分かってはいたが私の無理矢理な話題転換では気を反らせないか。

 リンはこれから苦手な他者との会話に挑もうとしているのだ。無理もないが私の話もあまり入ってはいないだろう。


 だがそんな下手くそな私のフォローの気持ちだけを受け取ってくれたのかリンは軽くありがとう、とだけ私に言ってくれた。


 やがて川を渡り切り、私達は川岸の一部、木の根が地面から大きく顔を出している場所まで来た。

 どうやらこの獣人はこの根に引っ掛かった為にこれ以上流されずに住んでいるらしく、たまに川の流れに流された石ころがこつん、と獣人の体に当たっている。


「さて、来てしまった訳だけれど・・・、一応、死んでは・・・いないわよね?」


「うん・・・、あたしがなるべく会話してみるね?クロエは側にいて?」


「分かったわ、無理そうなら遠慮なく言ってね」


 リンがゆっくりと倒れている獣人に近づく。大盾の先でゆっくりと揺さぶると、低いうめき声が聞こえた。

 どうやら獣人は男のようで、うつ伏せだった体をよろめかせながら起こす。


「うぅ、助かった・・・のか」


 男はまだ視界や意識が安定しないのかふらふらとあたりを見回して状況を把握しようとしている。


 やがてその視線は私達に向けられ、彼は私達を警戒しながら声を掛けてくる。


「あ、あんた達が助けてくれたのか・・・まて!近付くな!アンタ達を疑いたくはねぇが死体漁りや冒険者ギルドからのじゃねぇ保証が無い。俺はジャン。あんたらは?」


 男はおぼつかない足取りながらも立ち上がり、武器が手元に無いことに気付くと拳を握り構える。


 身のこなしは速く、筋肉も素人で知識の無い私でも鍛えてるんだな、と分かるものだ。

 防具は最低限の物で、急所を守れれば多少の傷は無視、という意図が見えるもので太ももの内側、脇の下、心臓、首等に重点的に金属製の防御策が施されている。

 相手は素手。私達は武装し、付与魔法で相手の虚を突くものばかりを開発している、二対一の構図なのを考えるとギリギリこちらが有利だろうか?


「お、落ち着いて・・・」


 リンが大盾の横側からひょっこりと顔を出して喋る。

 私はその後ろで全身を覆うローブを着て人形である事を隠している為リンの表情は分からないが、声色からして緊張や恐怖はあるが敵対的には取られないとは思う。


 そっとリンの手を握ってあげてリンの発言に続いて口を開く。


「私はクロエ、大盾に隠れているのはリンよ。私達、対岸のあそこでちょっと休憩していてね?そしたらここで倒れている貴方を見つけたの」


 あくまでリンの補助や会話の始めのきっかけになるよう心掛けて、最低限度に心掛けて言葉を掛ける。


「その・・・、あたし達は安全、です。敵意は、無いです」


 ジャン、と名乗った男は少しだけ警戒を解いたように見えたが、私の方を見て、


「そっちの、リン、だったか。あんたは信用してもいいがそこの女」


「私?クロエという名前がちゃんとあるのだけれど・・・」


「んな事はどうでもいいんだ。そのけったいなローブ取んな」


 分かってはいたが、やはりこれは怪しいか。

 仕方ない、ここは予め二人で決めていた嘘の設定を使うか。


「分かったわ」


 ローブをさっと取り払い、私の球体関節人形としての体を見せる。


「っ!?てめぇ、魔物かっ!?」


「ち、ちがうのっ!クロエは、ここのダンジョンで見つけた・・・魔導具」


 発想としてはごくごく単純なものだ。ピンからキリまで魔導具が出るなら【自我を持って動く魔導具】という設定にすればゴリ押せるのではと考えだけだ。


 魔導具なんて未知の未知。そんなのもまぁいるか・・・と思わせれればそれで万事オッケーなのだ。


「おとうさん、冒険者・・・。その時に見つけて、ずっとあたしと一緒」


 緊張し、視線が落ち着き無く左右に振れながら必死に言葉を紡ぐリン、しっかりと側にいていつでも代われるように構えてはいるが本人はまだ頑張りたいとの事なのでそのままリンに喋らせる。


 以前帰れずの森でリンが冒険者と対峙していた時は怒りに任せて罵声を浴びせまくっていたが、あれは勢いがあったり、最初から敵として認識しているから平気たったのだろうか。

 私の予想していたリンの会話と違うのはそのせいかもしれない。一度敵と認識すれば後はどう殺すかの単純な話だが、今は違う。


 一人の個人として認識した上で関わりを持たないといけないというのはまた別の領域なのだろう。


 それはさておきに、問題はジャンとかいうこの男が私達の嘘を信じてくれるかどうかだ。


 ジャンは私の事をじっと観察する。ただそのまま立っているのもなんだということで、友好的だとアピールする為にも右腕三本の全部でピースサインを作ってにこり。


「そんなに怪しいかしら?ただ私はリンに仕えるただの魔導具よ?」


「そんな魔導具今まで聞いこともねえ、俺にはてめぇが嘘ついてるようにしか見えねぇ」


「あら、貴方が知らないだけじゃあなくって?」


「んだと、このやろ・・・あん?」


 ジャンに軽く言い返し、それに対してジャンからの返事は途中で止まった。


「おい、なんだこれ。地面が揺れてやがる」


「私じゃあないわよ」


「ったりめぇだ。んな芸当出来るならわざわざ安全ですなんて言わずに力でねじ伏せりゃ済む」


「あら以外とかしこい」


 ああっ!?というジャンのがなり声を他所に、私は周囲の観察をする。


 川でのんびりとしていた牛達は落ち着きなく行ったり来たりして、最後にはみな岩を纏って動かなくなってしまった。

 あたりには緩い川の流れだけが聞こえるばかりで、静寂と謎めいた緊張だけが支配していた。


 そして対して身構える時間も与えられず、地面を掘り進むようにして巨大なカニが私達の前に姿を表した。



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