第34話 この階層きらいっ!
沼と水深の深い池部分を慎重に見分けながらリンを先頭に進む。
「確かにクロエの言うとおりあの花が咲いてるかどうかで池かどうか判断できるねー」
とリン。
「やっぱり私の観察は間違いじゃなかったでしょ?」
「それとこれとはべつー」
足首ぐらいのまで張られた水をばしゃり、そして水の中の泥をどぽり、と順番に踏む音を一定のリズムで響かせて歩く。
本当に嫌な階層だ。延々と沼地が続き足場が悪い為機動力も削がれている。
暑くはないが湿気も非常に多く、思わず五感の内、肌の感覚を切りたくなるほどだ。もちろんそんなことをすれば敵の接近や攻撃を感知できない恐れがあるのでやらないが・・・。
リンも先程から服をバタバタとやってなんとか肌にじっとりと纏わり付く湿気を飛ばそうと試みているがなんの効果も無く、その結果にうぅ、と唸っては気にしないように努力している。
また私達が初めにいた帰れずの森などに比べれば少ないがこういった沼地や湿地帯といった場所に強いのであろう木々がまばらに生えている。
もし私達が元々森で生活しておらず、森にある程度の適正が無ければ視界の効かなさも厄介となっていただろう。
「うへぇ〜、もうやだぁ。くろえぇ、この階層あたしきらーい」
「私もよ」
短く答える。
「歩くたびに泥から足上げないと行けないから太もものあたりが痛いしぃ、それに見てよーこれ。服の中までべっとべとー」
そう言って私に服の中を開けて見せる為リンは付与魔法で擬似的な松明にした棒を大盾に引っ掛かるようにしてしまう。
それを見計らった様にして聞こえた羽音に私はすっかり鈍ってぼけーっとしていた警戒心を最大まで引き上げる。
「リンっ!」
咄嗟に声を上げてしまいながら、大盾に掛けてある擬似松明にMPを流して火を出す。
「っ!ご、ごめんっ!」
私から松明を受け取って先程の様に松明と大盾のスタイルを取るリン。
そんな私達の視界の端、一本の木の側で腹部が赤く、そして血管がいくつか浮いた肥大しきったトンボが浮いていた。
それは腹部以外は一般的、平凡なトンボのそれと変わらぬように見えた。
いや、体の大きさはやや異世界産な為か平均を大きく外れたサイズだが、身体的な構造自体は前述の通りだった。
やはり目立つのは唯一既知のトンボとは逸脱したその腹部だ。
半透明のそれは内部で幼虫のようなずんぐりむっくりとした虫達が蠢いているのが見え、その腹部は袋と呼んで差し支えない。
そして尻尾はサソリのように大きく湾曲し、先端は針のように鋭かった。それは袋をいつでも刺せるように構えているように私には見えた。
あれが件の寄生トンボか?なるほど、あの針で自身の腹をパンパンに膨らんだ風船を破裂させるみたいに刺して中身の幼虫を相手にぶちまける、と。
「く、クロエ。ごめんね?あたし、あたし・・・」
松明を二、三度寄生トンボに向かって振ると、トンボは舞う火の粉を嫌ってか、私達の周りを数回周って後、何処かへ飛んでいってしまった。
完全に寄生トンボが去るまでその方向を眺め、姿がもはや見えなくなってから私はふぅ、と一息つく。
リンは先程の失態を気にしてるのか、若干落ち込んだ様子で私に声を掛ける。
「リン・・・。こっちこそごめんね大きな声出しちゃって」
「ううん、あたしがぼぅっとしていたのが悪いんだよ」
確かにあれはリンの油断ではある。だが幸い大事には至っていないのが不幸中の幸いだ。
「ええ、そうね。幾ら二階層がうんざりする地形だからって貴女は油断していた、そうね?」
ここはなあなあで済ませるのでは無く、今後の命に関わる事ではあるのでしっかりと注意をする。
その為にも事実を確認するように油断していたんでしょ?と再確認と自身の口から自身の失敗を認めさせる。
「う、うん・・・」
「どんな時でも油断は駄目、ちゃんとこれで分かった?」
注意するのであって怒ったり説教が目的ではないので、なるべく優しい声で目線を合わせて頬に手を添えて言葉を掛ける。
リンが頷いたのを確認してから私は続ける。
「そう、ならこの話は貴女に今回の件を反省して欲しいから軽い罰でおしまいにするわ、それでいい?」
リンの性格を考慮するならこのままお咎め無しは逆に彼女の心に負担だろうと思う。
良くも悪くもリンは私に依存している。私が「自分でしっかりと考えれる人が好き」と釘を指したお陰で脳死で依存とはなってはいないが、それでもリンの心の大半は私を占めている。
そんな私の前で失敗したとなれば、リンはいくら私が許しても自分で自分を許せないだろう、それこそ何かしらの罰を欲しがる、と思う。
ここは私が率先してリンに提案してあげるべきだろう。
「リン、今回は幸い誰も怪我していない。それに油断した、だけで終わったわ。だから本当に軽いものにするわ。これは私が決めた事だから、いい?」
「うん・・・」
「じゃあ今回の罰は、今日は一人で寝ること。私は夜に魔法の実験とかするから、いいわね?」
一人で寝るのが当たり前の大人にとっては「その程度か」だが、リンほどの歳の少女なら親と一緒に寝るというのは存外に大きな安心感と親からの愛情を確認できる大事な事だろう。
罰としては、そこそこに有効なはずだ。
リンは一瞬怯んだが、やがてしっかりと頷く。
それを確認した私は「これでお話はおしまいっ!」と分かってもらう為、人間の時から苦手でしょうがない下手くそな笑顔を作る。
「はいっ!それじゃあこれでおーわりっ!さ、探索続けよー?」
普段はしないような努めて明るい言葉遣いと共にリンと手を繋いで並んで歩く。
最初は私に引っ張られて歩いていたが、やがて実感として先程の話が終わりと分かったのか徐々に元気を取り戻していった。
その後は油断しない様に気合を入れ直したリンのお陰か、魔物に出くわす事も無くざぶさぶ、と沼地を歩く。
私の滑車弓も出番が無い以上は三本ある右腕の内一本で保持している。
残りの右腕二本は現在生産魔法で作った紙とペンで地図作りをしている。ただ保持しているだけなので実質右腕二本と左腕一本だけに意識を割けばいい。
特徴と言う特徴も無く、延々と沼地が続くばかりなので中々に難儀しているが、それでも地図のようなものは出来つつある。
「あ、トンボだ・・・むぅ」
時折木々に隠れるようにして私達を付かず離れず付いてくるトンボを見つける。
それをリンがいやーな物を見たと言わんばかりの表情で見つめる。
まあリンからしたら注意を受ける原因となったものな以上あまりいい感情は無いだろう。
そうしたやり取りもあったりしながら移動すること暫く、急に視界が開けた。
どうやらそこは広く浅い川らしく、穏やかな流れが耳に心地よいほどの音を奏でていた。
数頭一グループで固まる大きな牛に似た魔物が浅い川の流れを自らの体重を活かし流されぬようにしてうろうろとしている光景も見られ、初めてこの階層に来て開放感のようなものを味わえた。
「おおぅ・・・、広い川だねぇ。やっとちょっと気分が晴れるよぉ」
「ここは他と比べて少し地面が盛り上がっているのね。たから沼地の水が流れない・・・、沼地に、川か。水。水、水ね・・・ここの階層は」
牛に似た魔物は首や脚、そのすべてが太く頑丈で、その巨体を活かしてまだ若い個体が川に脚を取られぬ様に数頭で囲って川でたむろしている。
赤いトサカの鳥が牛の背に留まり、背中をなにやら喋んでいるように見える。
空には雲が掛り、薄暗い景色と相まってこの光景はなにやら閑静な印象を覚えた。
「でっかい牛だねぇ、お腹減ってきちゃった」
「そうねぇ、ちょっと休憩でもしましょうか?」
ここまでかなりの距離を歩いたように思う。ここらへんで一息ついてもいいだろうと判断した私達は近くの木を切り倒し、生産魔法で加工して川の側に足場を作った。
高床式のそれは地面の沼地の影響を受けず、濡れずに腰を下ろせるようにしたそれに、二人して座り込む。
余った木材で松明の予備を作り、それを設置している為寄生トンボの対策も一応は出来ているようで、休憩している絶好の獲物を前に右往左往するしかないトンボ達にふふんと得意になってみせる。
「はぁ〜、疲れたよぉ。もうこんな時までトンボを見たくないよー、あっちいってぇ」
「あの子達からしたら繁殖の為なのだからしょうがないわよ。ほら、牛の魔物のところにもたくさんのトンボが飛んでるわ」
「どれどれ〜?んー・・・ん?」
私の言葉に確認しようと大川に視線を向ける。が、何か別のものを発見したようでリンの言葉が詰まる。
「とうしたの?」
「クロエ、あそこ誰か倒れていない?」
固く、低めの声で私に報告するリンの声にこちらも釣られて緊張を高める。
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