第8話 「竜覇者」
運命は、いつだって好敵手を用意する。
それは超えるべき壁であったり、解決すべき事だったりする。
そして、バレルシウスの敵はもうそこまで来ていた。
ヨミガルド開拓集団、最前線「第三節拠点」が、突如現れた灰竜の大群によって壊滅。
何かから逃げるように進む灰竜の大群は、目まぐるしいスピードでコロンソ達のいる出城まで迫ってきた。
「ドット・コロンソ様、森の境目付近に灰竜の群れを確認しました。ここまで迫るまで五分弱といったところでしょうか。」
「ご苦労、兵長。私が出張ろうか。」
「いえ、あの程度ならお手を煩わせるまでもないでしょう」
自信満々に胸を膨らませ、立派な髭を手で整えた兵長は、勇足で出城の外へと出陣した。
その言葉の通り、土煙を巻き上げて出城へと突撃を敢行した灰竜の群れは、よく訓練された兵達の弓矢の雨と槍衾の餌食となった。数十体はいた灰竜達が、一体残らず動かなくなった頃。
「バレルシウス!どこだ!!」
コロンソとその妻は、我が子の名を呼び続けた。
だが、その声に返事をする者はいない。バレルシウスはすでに出城の外にて、自らの敵と相見えようとしていた。
:
「竜よ、覇者たる竜よ、お前の目的はなんだ。」
バレルシウスは、自らの相棒である魔法杖を握り締めて、巨大な竜の下に立った。
大きな竜だった。
いつか父に見せてもらった灰竜などとは比べようがない。地に突き立てられた太い四肢。漆黒と濃紺の入り混じったような輝きを放つ大ぶりな鱗。巨大な頭部を支えている首から、肩にかけての盛り上がるような筋肉。そして、その体全体を包んでもなお余りあるほど巨大な翼。
覇竜、竜の覇者は小さな自分の好敵手に目を細めて、熱い息を吐き出した。
「我ただ一つ、心躍る戦いを求めん」
シューシューと、空気の漏れるような音と共に、覇竜は言葉を発した。それはひどく流暢で、心の奥から発せられる言葉だった。その言葉の持つ力を身に受けた時にバレルシウスは、この巨大な爬虫類は自分と同じ存在であるという事を強く実感した。
バレルシウスは、なにも言わずに竜と間合いをとった。
右手の杖で、大地を二度叩いた後、彼は口上を述べた。
「我、英雄ドットの血筋なり。コロンソとペルギアを親に持ち、魔法を受け継ぐ者。そして運命の僕なり。」
「我、竜の覇者、始祖竜イソラズの子にして、竜を統べる者也、同じく運命の使徒也」
色のない竜の目が、バレルシウスを射抜く。
完璧な位置とタイミングで、バレルシウスの魔法は放たれた。
第五階梯、”英雄の焔矢”。
巨人と人間との戦いで、ドットの魔術師が使ったとされる大規模魔法。人間ほどの大きさの弓矢を具現化させ、敵を燃やし尽くす紅蓮の炎を燃え上がらせた矢の雨。
自由になった矢の大群は、森の暗がりを突き破りながら覇竜へと迫る。
極大の矢はしかし、覇竜の目前で巨大な竜巻に巻き込まれて推進力を失う。
「我、剛凶なりて、目前の尽くを滅し、その爪に血肉をぶら下げん」
竜の目が、バレルシウスをその場に釘付けにする。
生まれて初めて、自分に魔法の力を向けられて、バレルシウスは首筋に焦燥を感じる。しかし、魔力に愛されたバレルシウスは、すぐに拘束から解放される。
バレルシウスが一歩飛び退ると、薙ぎ払うように振るわれた竜の剛腕が、前髪を切り飛ばした。
「魔力と語らい、深淵と古に思い馳せん。世の理をこの目にて呑まん。」
両の目を静かに閉じ、額の目を開眼する。
その黒色の瞳に映ったのは、竜をかたどる強靭な器と、それを満たす暴力的なまでに荒々しい魔力の塊であった。
「我、バレルシウス、”ドット・バレルシウス”なり。血とその使命に従い、我が手先とならん。集え、唸れ、その牙を敵へ向けるように。」
「我、ウロレギオス、”レグニス・ラバレス・ウロレギオス”。その利権を奪い、台頭する者也、喉を喰い四肢をちぎり、その全てを謳歌せん」
双方の魔法が、正面からぶつかり合う。
魔力達の力を借りて、その威力を底上げしたバレルシウスの魔法は、巨大な質量の大顎であった。対する覇竜は、バレルシウスが協力を要請した魔力の半数を奪い取り、自らの風の魔法の足しにした。
目に見えぬ大顎と巨大な風の刃がぶつかり、衝撃音が森にこだまする。どこか遠くで、鳥の群れが一斉に飛び立った。魔法の形が途切れ、再び二体は円を描くように回りながら互いの隙を窺う。
先の名乗り口上を聞きつけて、世界中から集まってきた魔力達が、二人の体に纏わりつく。バレルシウスの第三の目は、覇竜の体を覆う緑と黒の微細な魔力の群れを映していた。
なんと、魔力に愛された竜だろうか。
バレルシウスはそう思った。だからこそ、相手ではなく自分についてくれた白と青の魔力に、さらに深い絆を感じた。
白色の魔力の塊が、この戦いが終わりに近づいていることを知らせる。そして勝負が決まるのなら、次の魔法が最後だと。全力を注ぐ覚悟を固める。青の魔力が、自分の最も得意な魔法の発動を整える。
第三階梯、”無風夜来”。
バレルシウスのオリジナル魔法。
指定した範囲の魔力を一時的に堰き止めて、一定時間、魔力の存在しない空間を作り出す。
覇竜の周辺の魔力が消失し、今まさに行使されようとしていた竜の魔法は、構築が済む寸前に霧散した。竜の周囲を固めていた魔力の塊が姿を消すのと同時に、さらに力を込める。
みしり、と重い音を立てて覇竜の前腕がひしゃげ、太い骨が飛び出る。
竜の盾に切れ込まれた瞳孔が見開かれ、すぐに防御のための魔法を発動しようとするも、自分の周囲の魔力が枯渇していることを思い出す。一泊遅れて、覇竜が力任せにバレルシウスへと飛びかかった。
覇竜は無事な方の腕を振るい、小さな魔術師の体を消し飛ばそうと爪を伸ばした。しかし、その思いはついぞ届くことはなく、不可視の力に全身を縛られて動きを止めた。
”無風夜来”は、一定範囲の魔力を消失させると同時に、絶対に指導権を奪われることのないバレルシウスの魔力を放つ魔法である。魔法とは、空間中を満たしている魔力に対する命令や要請に他ならない。資格を持つ英雄の血筋は魔力を操ることができるが、全てではない。自分を愛してくれる魔力だけである。
魔力には様々な種類があり、魔力にこの上なく愛されているバレルシウスは、問答無用で空間の魔力を独り占めできた。しかし、覇竜もまた、魔力に愛された者だった。
取り合う魔力をそもそもこの場から取り除き、絶対的な信頼のある青の魔力を操って、覇竜の体を拘束する。魔法は即ち意思の実現。相手が魔法を使えない以上、この拘束を解くことはできない。
確実に思われた勝利は、思わぬ邪魔が入ったことにより遠ざかった。
”無風夜来”が崩され、荒い息を吐くバレルシウスの意識の外から、一体の竜が乱入してきた。
「ソルワ、ナブナタローワリナス」
「ウナガロータス、ハラバカラズ」
その白い鱗をしならせた一体の古竜は、魔法を持って覇竜の拘束を解き、瞬く間に森の奥へ姿を消した。
助けられたにも関わらず、その背中を睨んで唸る覇竜は、バレルシウスに向き合うと、やがて背中の翼を広げて空へと飛び上がった。
バレルシウスもまた、魔法杖を下ろし、出城への帰路についた。
どこかで、鳥が鳴いていた。
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