エピローグ
「……来ないんですか?」
向こう側で、執事が私を手招きした。
三日前についた怪我はすっかりふさがり、心の底から笑顔を見せる彼は、私の緊張に気が付いていないようだ。
「お兄様、ちょっと待って欲しいかな」
「……お兄様って言い方、まだ慣れないですね」
「嫌なら……やめるよ?」
「いいえ、距離が近い感じで、いいと思います」
「なら、すぐに近づかないとね」
「あはは、そうですね」
そう言って、彼はお姫様をエスコートするように手を出した。
されるがまま引っ張られ、向こう側に踏み込むと、足元の硬い感触が変わり、沈みこんでいった。
「……あ」
一瞬身体がこわばったが、緑が靴を包み込んだ後、止まった。
地面一つでここまで心が動くのだ、今、上を見上げれば、どうにかなってしまうかもしれない。
だが、この感情は不安ではない。
高鳴る身体を止めゆっくりと上げると……
ふわ
風が、私の頬を撫で、歓迎するように、木々がピンクの花びらの吹雪を作り出した。
花吹雪、と言うのだったか。
青い絵の具とは違う、透き通るような天井に、舞い上がっていた。
「どうですか?数年ぶりの空は」
「……手を伸ばしても、触れないね」
手を繋いだまま……いや、手を離して地面を蹴っても、まったく近づかない空を握っても、空振るだけだった。
「フィリア様は、凄く上を見ているんですね」
「うん。もっと先もみたいけど、今は上を見続けていたいかな」
お兄様の方を見ると、彼はただ真っ直ぐ森を見ていた。
「この木が、何かあるの?」
「いいえ。ここまでこの木をしっかり見るのは、初めてだなって思って」
「そうなんだ」
私は、視線を下げ、ピンク色の花を咲かせる木を見てみた。
「綺麗だね」
「そうですね。でも、もって一週間くらいですかね」
「そんなに早く散っちゃうの?」
「えぇ、でもその散り際も含めて、儚く美しい花なんですよ」
「なんで?綺麗なままの方がいい気がするけど」
「常に同じ物は、見てたってつまらないでしょう?こうやって花を咲かせて、散って新しい葉が生まれ、緑になる。この移り変わりを含めて、この花は綺麗なんですよ」
「……私も、分かるようになるのかな?」
「ふふ、何を言ってるんですか?もうフィリア様は『変わって』いますよ」
「……そうかもね」
ごお
さっきよりも強い風が私の身体を押してきた。
すると、木々も大きく揺れ、さっきよりも大きな吹雪が、空に舞った。
少し物寂しい感覚だ。儚いって、こんな感じなのかな。
悪い気分はしないな。
「……綺麗だね」
呟くと、お兄様は懐かしそうな口調で、桜の木を見ながら一言、呟いた。
「ええ。とっても綺麗な『さくら』の木ですね」
ただ、その視線の先は、もっと向こうにある。
なんとなく、そんな気がした。
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