余談 カップがこぼれた時 三月十七日 十時 (四日目朝)

 ──パキ

 フィリア様の部屋のゴミを整理する最中、硝子の割れる音が聞こえた。

 ……この部屋に硝子を使った物はあっただろうか?

 食事は終わっているはずなので、フィリア様がカップを落としたわけでもないと思うが……

 振り返って、お嬢様の方を見てみると、『壊した』ものの正体が分かった。

 それは、ぬいぐるみだった。

 彼女がベッドでのんびりしている時に、いつも抱えている熊のぬいぐるみ。

 テディベアという言い方もある、それの腹部や、頭部が大きく裂けてしまっていた。

 ……布製のぬいぐるみで鳴る音ではないが、視覚の情報を信用しよう。

 そんなぬいぐるみを、肝心のお嬢様は……

「……」

 諦観するように、見下していた。

 自分の手と、ぬいぐるみを瞳で往復したあとに、先程まで愛着を示していたものとは思えない、恐怖さえ覚える冷たい視線を向けていた。

 

「……ねぇ」

「はい、お嬢様」

「これ……捨ててきて」

 彼女は、ぬいぐるみを指差し、そう言った。

「……本当に、いいんですか?だって……」

「いい……どうせ、お姉様は『代わり』を用意してるから」

 吐き捨てるように行った後、彼女はベッドに横たわった。

 ……いや、捨てられない。だって、彼女がこれを壊した時、虚ろな目大きくなったのだから。

「だめですよ。これは、お嬢様が大切にしてたじゃないですか」

 僕は、彼女に一歩分近づきながら聞いてみることにした。

「……うん。お姉様から貰ったもの」

「なら……」

 捨てるわけにはいかない、そう言おうとした時。

「いいから……早く捨てて!」

 僕の二歩目は、一歩下がる結果となった。

「どうせ……みんな『壊れるから』……だったら、もう見たくもないから……早くどっかにやってよ!」

 今までにない剣幕に、僕は、しりもちをつきそうな程だった。

 それほどに、僕の直感が、危険を伝えていた。

 これは、彼女の『触れていけない場所』ということに。

「……分かりました」

 ココに触れる人間は、『バカで命知らずなやつ』だってことに。


 なんだ、僕の事じゃないか。


「……分かりました」

 執事は、そう言って足音を鳴らした。人形を拾ってるんだろう。

 だが、部屋から出た後に「人形を捨てた」という報告はなかなか来なかった。

 『あれ』は、まだ悩んでいるんだろうか。

 別に、気にしなくていいのに。

 私は、油断したらすぐに壊してしまう『体質』だ。

 こうやって今までにもいっぱいお姉様の贈り物を壊している。

 今回も、『いつも通り』の一つに過ぎないのだから。

 今回の執事も、すぐに『壊れちゃう』んだろうな。

 まぁ、私としては愛着が湧いちゃう前に『壊した』方が、私としては楽だが。

 ……それにしても遅い。もう一時間は経つ。

 転んで怪我でもしちゃったのかな。


 がちゃ

 そんな下らないことを考えていると、ドアの音が鳴った。

「遅い」

「すみません。時間がかかってしまって」

 ゴミを捨てるのにそんなに時間がかかるだろうか。

 そんなことを考えながら、ベッドから起き上がると……

「流石に、治すのが難しかったんですよね」

 彼はぬいぐるみを手にしていた。

 腹部と、頭部につぎはぎが目立つが、私のぬいぐるみそのものだ。

「……どうして捨てなかったの?」

「え?それは……お嬢様が悲しそうだったから、ですかね?」

 意味が分からない。

 私は、ただ壊れたぬいぐるみを見ていただけだったのに。

「……どうしてこんなことをしたの?」

「同じ、と言いたいところですが、さっきの理由に一つ追加が入りますね」

「……?」

「なんか、むかついたんですよ」

 予想外の言葉が返ってきた。

「……誰に?」

「自分に」

 予想外の対象だった。

「正確に言うなら、『流れに任せて楽をしようとした自分』にですかね」

「……意味わかんない」

「えぇ。自分もなんでこう考えるか、分からないんですよ」

 そう言って彼は、ぬいぐるみを私に手渡した


「……」

 私は、いつものようにこの子を抱きしめることはできなかった。

 また、壊してしまうかもしれないから。

 どうせ、壊れるならそのまま捨てればいいのに、だって……

「『どうせ、いつかまた壊れる』とかですか?」

「……なんでわかったの?」

「ぬいぐるみから、目を逸らしたからですかね」

「それだけで?」

「あと、お嬢様はいつもそれ、抱きしめているのに、しないからとかもですね」

「よく見てるね」

「もちろん、執事ですから」

 彼は、私に二歩分近づいて、私に伝えた。

「お嬢様、ぬいぐるみだろうと、何だろうと、ものはいつか壊れます。でも、そんな時は『直せば』いいんですよ」

「また、『壊し』たら?」

「また『直します』」

「でも、直せなくなったら?最後は、『壊れる』よ?」

「その時は……仕方ないです」

「……じゃあ」

「でも、諦めないで『直しきった』後に壊したとき、それは違うものですよ」

「……?」

「お嬢様。いつもみたいに抱きしめてみてください」

 執事の……彼は、ぬいぐるみを手で指し示した。

「……でも、壊れたら?」

「時間はかかりますが……『直します』よ」

「……」

 

 私は……ぬいぐるみを抱きしめた。

 つぎはぎなせいで、抱き心地は前よりも悪いし、糸の違和感がある。

 うん、さっきとは違う。


「どうですか?」

「最悪。下手だから……抱き心地は前よりも悪いし、糸でごわごわする」

「……あー。すみません。不器用で」

「でも……悪くない」

 いつもみたいに顔をうずめてみる。

 お姉様の匂いの他に、何かの木の香りがほんのり感じられる。

 ……そういえば、彼は、何て名前なんだろうか。


「ねぇ……あなた、名前は?」

「あはは……覚えられていなかったんですね……」

「早く、聞きたいと私が思ってる時に」

「……月詠夢。どこにでもいる『普通』の旅人ですよ」


「……ありがとう」

 もう一度、人形を抱いてみる。

 ……案外これも、抱き心地がいいかもしれない。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る