始まりの日
……
一瞬の浮遊感と、肩の痛みが、傾く身体を止めた。
上を見る。
そこにあったのは、苦悶の表情を浮かべる、執事と、いつの間にか伸ばしていた私の腕を掴む、旅人の腕だった。
「とりあえず……自分の足で立ってもらっていいですか?」
痛みに耐えながら、月詠夢は私の右手首を握って言った。
袖の隙間からは、青黒く染まった腕が映っている。
すぐに、腕を手で……
「……無理!手を離していいから……この位置なら、そんなに痛くないから。ねえ」
「今更何言っているんですか?」
呆れたように彼は言うが、私にとって死活問題だ。
「さっきの光景……見えてないの⁉今度は、月詠夢の腕を『壊しちゃう』かもしれないのに!」
「執事が……ご主人を地面に付けるわけがないでしょ!」
握る力が強くなった。引き絞るような、力の入れ方だ。
彼の語気も荒い。余裕は、彼にもないのだろう。
だが、私には彼の腕を掴む事を未だに躊躇していた。
「握りたい……でも、無理……だって……また、握ったら……」
感情と言葉が一致した。震えが止まらない。静かな部屋が騒がしい。
それでも私は手を掴めなかった。
痛い思いをさせてしまった彼を、もう一度痛めつけてしまうかもしれない。
彼の慈愛を、無下にしたくないのに……
「別に、ぶっ壊してもいいですから!右が無くても、どうせあなたは左腕を出すんでしょ!」
彼はつんざく声を私に投げた。
今にも泣きそうな、光を乱反射する瞳を私に見せて。
「……一人で、抱え込まないでください。怖くなったら……僕が今みたいに手を取りますから」
「……っ!」
この言葉を、私は知っている。
私がこの部屋から時々出ていた頃に、よく聞かされた言葉だ。
瞬間、あれだけ高鳴っていた鼓動が、消えた。
そして、私は気が付いた。
彼の手を振りほどくために、私は彼を引っ張っていたのだ。
「お嬢様……私の事を『お兄様』だと言ったことが噓じゃないなら……家族の一人と言ってくれたなら……この腕を、握ってください」
「……どうなっても知らないよ、『お兄様』」
苦痛を耐え、笑顔を見せる旅人の声は、優しく、温かく、身体を融かした。
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