最後の日

 こんこん。

「フィリア。開けるわよ」

 窒息感で埋もれていると、くぐもった声が聞こえてきた。

 かちゃり。

 どうせ「開けないで」と言っても開ける。

 私は、気にすることなくベッドに籠ることにした。

 部屋に大穴を開けたのに、わざわざドアから入るのは、ちょっと見てみたいが。

「……もう二日よ」

 そんなに時間が経っていたんだ。

 眠りにはつけないのに、時間は私には関係なく過ぎていっているんだなぁ。

 ……面倒くさい。

 どうして、皆放っておいてくれないんだろう。

 私を放っておくだけで、皆幸せになれるのに。

「出てって」

 私は、久しぶりに声を出した。

 おかしいな。ちょっと前まで、あんなにはっきり喋れたのに……もう、声の出し方を忘れちゃった。

 小さな声で言ったつもりだが、どうせお姉様は聞いている。

 案の定、お姉様はくすりと笑って答えた。

「滑稽ね。自分で突き放しておいて、また……」

「うるさい……うるさいうるさいうるさい!どっかいって!」

 今度は、私の声じゃないみたいな、割れた声が出た。

 お姉様は何も悪くないのに、子供みたい(子供だけど)に大声を出して、ベッドに引きこもった。

 

 大きな声を出したせいか、少しだけ落ち着いてきた。

 布団から顔だけを出してみよう。

 ……景色は、あの時から変わっていない。

 彼によって整理された部屋と、彼で作られた大穴があった。

 ……ホントにドアから入ってる。律儀だなぁ。


「今回は……思ったより深刻そうね」

「……変わらないよ。『いつも通り』」

「あなたのいつも通りの顔は、もっと暗かった気がするけど」

 そうだっけ……鏡も見ていないから、分からないが……

 かなり長い時間泣いた後だ、顔は真っ赤なのだろう。

「……そこまで暗くなるなら、どうして、自分の手で月詠夢を『壊そう』としたの?」

「手を……滑らせたくなかったから」

「詩的ね。教えてもらったの?」

 お姉様の言う通りなのかもしれない。

 私から見た月詠夢は、良く分からない人間だった。

 ある時は、感情的で、またある時は、機械的。

 急に色んな事を理解したと思ったら、鈍感になる。

 命令に忠実な癖に、自分の感情で勝手に動く。

 外に出ていないから、どのような感じかはもう覚えてない。

 だが、そんな彼を表すなら、風が、一番ピッタリはまる気がする。

 そんな彼に、私は興味を持った。持ってしまった。

 そして、そんな彼を、私は何度も『壊そう』としてしまった。


「妬けるわ」

「……今は、暑くないよ」

「嫉妬しちゃうって言ったの。私は一生得ることができない、妹の興味をたった一週間ちょっとで手に入れちゃったんだもの」

「……うん」

 一週間なんてものじゃない。四日だ。

 私は、『あの時』から、彼を『壊したく』なってしまった。

 彼が私に見せる、貼り付けたような笑顔も。その後の悲しそうな眼も。

 私のために奔走して、滑稽ささえ感じさせる慌て顔も。

 何より……私が話すときに見せる、『本当の』、屈託ない笑顔も。

 何もかも『壊したい愛したい』。

 そう、思わせたから。

 私は、『壊してしまう愛してしまう』前に、『壊す』ことにした。


 自分を呪い続けるより、後悔を続ける方がよっぽど楽だから。

 前みたいに……前?

 私にとって、彼は初めての執事なのに……私、なんで『前』なんて……

 そんな私が持っていた疑問は……

「……なんで僕、目の前にいて忘れられているんですか?」

 中性的な呆れ声によって吹き飛ばされた。


「非常に……ひじょーに不本意ながら!あなたの執事が隣にいるわ」

「……言いたい放題ですね」

 そこにいたのは、確かに月詠夢だった。

 衣服に隠れて見えないが、足を引き摺り、何かに寄りかからないと立ってもいられない状態だったが、彼は確かに私の目の前にいた。

「……安静にしてなさいと伝えたのに」

「大丈夫ですよ、一日休暇は頂いたので」

 彼は、優しい笑顔でお姉様に答えた。

「……そ。じゃあ私は一旦部屋から出るわ。あなたの仕事を邪魔するわけにもいかないから」

 それに対して、安心したような表情でお姉様は部屋から出た。

 部屋の大穴を横切る姿が見えたので、本当のようだ。

 優雅な歩きを見た後に、さっき向けていた場所に視線を戻してみる。

 執事は、目が合ったことに気が付いて、少し口角だけを上げた。

 だが、彼の笑顔の下、物理的な怪我以外に映った、手、顔、胴体にある、服から浮かび上がった黒い裂け目が……私の『能力破壊』の痕跡が、私の身体を震え上がらせるほどに残っている。

 それでも彼は、生きている。

 今にもその裂け目からバラバラになってしまいそうなのに、その視線は、私の目をはっきりと見つめているのだ。

 いなくなってしまった人が現れる。

 そんなおとぎ話のような、絵本のような展開は、実際に起こると恐怖以外の何物でもないということをこんな形で知ることになるとは思わなかった。


 ずる。

「……ひっ」

 思わず、声が出た。

 彼は左足を引き摺りながら、私に近づいてくる。

 確実に痛みで動けないとわかるのに。

 普段私に奉仕する時に見せる笑顔を、そのまま見せながら。だ。

 ……足が止まった。

 怯えてしまった私を見て躊躇ったのだろうか。

「……ぁ」

 無意識的に声が漏れた。何か声を出そうとしたが、もう二度と会えると思っていなかった人に対して、どのような声をかければいいのだろうか。

 私は、一瞬だけ彼から視線を外した。

「いえ、仕方ないですよね、こんな大怪我だと」

 だが、ほんの少しの仕草で、彼は全てを察するかにように、表情も、口調も変えることなく、執事として淡々と、それでいて感情が籠った、小さな抑揚もある声で、私に返事をした。

 逸らしてしまった視線を、また彼の所に戻したが、不思議と震えは消えていた。


「どうして……生きているの?」

 言葉を漏らすように、彼に聞いてしまった。

 私の悪癖だ。

 言葉を選ぼうとしても、結局もっとも単純な言い方が漏れ出てしまう。

 そのような発言の後悔を気にすることなく、月詠夢は、私の質問の答えを探そうと、顎に人差し指を添えていた。

「……どうしてなんでしょうかね」

 彼は、理解しているような、いないような、良く分からない表情で答えた。

「ただ……僕は吹き飛ばされるその瞬間まで、お嬢様の行動を甘んじて受け入れただけですから。だから……」

 いてて、と後頭部を軽く抑えて、言葉は止まった。

 だが、そのあとの言葉は推測できる。

「私が……自分の意志で、止めたって言いたいの?」

 私の答えに、彼は頷いた。

 自分の意志で……

 そうか。私は、『壊す』と同時に、彼を『壊さないように』していたんだ。

 『壊れていく』月詠夢を見たくなかったから……無意識的に彼を突き飛ばした時に、『壊したくない』と思ったから……だろうか。

 分からない。

 でも、これが一番正しい気がした。


「そっか……じゃあ、生きてて良かったね」

 だが、自分の感情とは真逆に、建前の私はまた、素っ気ない態度で返してしまった。

 本当はこんなことを言いたいわけじゃないのに、口は勝手に動いてしまう。

「えぇ。お嬢様のおかげで」

 そんな態度でも、彼は皮肉だか、感謝だか分からない言葉を使った。

 おそらく、後者だと思う。

 私は、胸の奥どころか、喉奥までに強烈な圧迫感に苛まれた。

 結果的には、彼は生き死にの狭間にいたことには変わりない。

「……ごめん」

 感情が、言葉に漏れた。 

「……どうして、『ごめん』と言うんですか?」

 彼はそれを聞き逃さなかった。

 うちの執事は鈍感なのか、敏感なのか、どっちか分からない。


「分からないの?なんで?こうなったのは……私のせいなんだよ?」

 本当に、イライラする。

 ここまでの大怪我をさせたのに、彼は首を傾げて、私を見ている。

「そうですね。でも、それは謝るほどの事では……」

「なんで……なんで?そんな状態になったのに、どうして理解できないの?」

 少し、声を荒げてしまった。

 大きな声を……抑えないと。落ち着かないと……感情を……

「なんでと言いたいのは、こっちの方ですが」

「何が⁉」

 だめ。だめ。だめ!落ち着かないと……

「それは、お嬢様が……」

 

 動揺を落ち着かせる為に、私はシーツを握り──

 ──パキ

「あ……」

 右腕に力を込めた瞬間、からだが、下に引っ張られた。

 視点を下に動かす。ベッドがこわれた。

 やっちゃった。

 足は付いたけど、体勢は直らない。ぶつかる。

 いやだ。痛いのはいやだ。

 じめんは、つめたいから。

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