『囚われずのお姫様』

 

 お嬢様は、僕のことをゆっくりと見た後、話した。

「私は、あなたを押し倒して、『私を好きにしていい』と命令したんだよ」

「……そうでしたっけ?」

 どうしても、思い出せなかった。

 おそらく、この記憶喪失はどうしようもないのだろう。

 破った紙を貼り合わせても元に戻らないように、境目に存在する記憶はどうしても戻らないのだ。

 まぁ、そこまで気にしなくてもいい。

 僕が記憶を無くしていても、彼女が僕を見ている結果は変わらないのだから。

「……これも覚えていないんだ。まあ、これはどっちでもいいけど。あなたは私の事が好きなのに、どうして、私に何もしなかったの?」

「それは、今の僕ができることではないですから」

「そう……優しいね。まるで、『お姉様』みたい」

「……彼女には勝てませんよ。多分、僕よりも何倍も、何百倍もフィリア様の事を愛していますから」

「うん。知ってる」

 彼女は、はっきりと言った。

 そして、口を閉じた。

 何かを考えるように、口を、閉じた。

 彼女は、シーツを握った。その手は、少し震えていた。

 僕は、そんな彼女を見て、動かなかった。

 何を考えているのか、何をしようとしているのかを、理解したからだ。


「ねぇ。月詠夢」

「……はい」

 彼女は、僕の方を見て、僕に近づいた。

 近づく彼女を見て、僕も近づいた。

 彼女が、今から行うことをすぐできるように。

「……ありがとう」

「……何がですか?」

「私を、愛してくれて。私を見ようとしてくれて。私は……あなたが何なのか知らないけど。ほんのちょっとだけ見せる吐きそうな顔で、真っ暗な目で、必死に私に目を合わせようとしてたから……」

 彼女は、一瞬躊躇ったあと、一言、口にした。

「まるで、『家族』みたいだって、『お兄様』みたいだなって、思ったの」

「……そうですか」

 彼女は、今にも涙をこぼしそうな顔で僕に、言った。

「ありがとう。こんな私のことを好きになってくれて。『お兄様』になってくれて」

「……」


「だからこそ」

 この時、彼女は、僕の身体に初めて能動的に触れた。

「ごめんなさい。私には、の」

 大切な人間を殺す時の、悲しい目を示して。

──ガシャアアアアン

瞬間、彼女は一瞬で僕から遠ざかり、僕の意識は背中の強烈な衝撃と共に暗転した。

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